父を見送る ~ その2 見送りに向けた段取り ~

5月8日に父が息を引き取り、早くも三七日が過ぎた。

その1でも書いた通り、この3か月ちょっとの間の状況の変化でバタバタしたが、多くの人がバタバタしたと思われる、葬儀の段取りは、比較的パニックにならずに組めたと思う。

その点について振り返っておくことにする。

<日取りの決定>
すぐに執り行えるものと思っていたところ、そうはいかなかった。
その1でも触れたが、火葬場が混みあっていることがネックとなってしま 
った。私が弔事に伴い取得できる特別休暇が5日と決まっていたため、何とかその期間中に見送りたい、と祈るような思いで葬儀社と打ち合わせをしたのだった。

<誰に声をかけるか>
これについては、父の意識がはっきりしていた時に意思表示があったおかげで、残された私たちにとって迷いなく段取りできた。具体的には以下の通りの意思表示があった。
・家族葬で行う。
・父自身の兄弟は、葬儀に呼ばない(兄弟全員80代以上で、参列したことで具合悪くなったら困る、とのことらしいが、隠れた本音があったのかなぁ・・・)・
・よって、母と私家族のみで見送る
その結果、食事の手配等が不要になり、静かに見送ることとなった。

<どこにお骨を納めるか>
自分たちが入るための墓(永代供養墓)を、2005年に京都で購入していた。
埼玉県でずっと暮らしてきた両親が、墓を京都に設けたのは、私がずっと西日本で仕事をしていたことに起因する。
現在は山口県に住んでいるが、その当時は大阪で暮らしていた。
地元には戻らない、と自分でも決めていたし、話はしてなかったが両親もそれを察していたのだと思う。
いつまでに納めなければならない、という制約もなさそうなので、今後、諸々落ち着いたところで、京都のお寺に連絡を取ることにする。

ざっとこんな感じであるが、要は「事前に本人の意向を聞き取っておくこと」がポイントだと思う。
もちろん、段取りを決めておきながら想定していなかったことはいくつかあったが(香典をすべてお断りしていたが、一部の親族から現金書留が送られてきたため、香典返しの手配をあとからする など)。
まぁ、私が直接聞けたわけではなく、事あるごとに母に話があったものを、帰省の折に聞き、母との間で意識合わせができていた、というのが実情なので、「私による備え」はゼロなのだが。

できれば期間を長く開けてほしいが、いずれは母を見送る日が来る。
その時は、今回の段取りを私一人で組むことになる。
こうして書き留めることで、将来の自分への備えとしたい。
(もちろん、母がどうしていたいかの話も、既に行っている。)


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