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保護猫リリーのこと①

我が家は築40年を超えている。自然に囲まれている環境もあり、梅雨や田植えの時期、冬場になるとネズミが自宅に入ってくる。

2021年の夏は暑すぎて餌がないせいか大きなネズミが2週間我が家に滞在した。あらゆる食料ストックは食べられ、朽ちかけている床には大きな穴が開けられて困ったことがあったが、それはまたの機会に。

そんなネズミ来訪率が高い我が家でどうしても猫を飼いたくなる事情があった。ネズミが光回線のコードを食いちぎってくれたのだ。今の時代ネットが落ちると何もできない。「猫が家に1匹いるとネズミが来ないらしい」そんな話を聞いて、猫を飼うことにした。

以前に我が家の前に捨てられていたアメショっぽい雑種の子を飼っていた。そういえば彼女が生きている間はネズミを見たことがなかった。彼女は狩りが得意なおきゃんな猫だった。彼女が亡くなってからもずいぶん時間がたっていた。

今回は我が家の愛猫リリーについて書いてみようと思う。

リリーは保護猫カフェ出身猫。6年前に保護猫カフェひめねこから譲渡を受けて我が家の一員となった。すでに成猫だった彼はおとなしく、ほとんど鳴かない。エイズ猫で隔離された部屋にいたが、ひときわ人懐っこいのがリリーだった。

保護猫カフェに娘と主人と3人で出かけたが、すぐに膝に乗ってくれたので私たちは彼の美しいアクアマリンの瞳やどことなく思慮深さを思わせるその仕草に一目ぼれしたのだ。リリーは人が大好きなようだ。

リリーは性格が合うのか、男性臭が好きなのか、思春期で多感だった息子のことが大好きだった。息子の汗をかいた衣服を脱いであると顔をうずめて、身体を擦り付けて恍惚とする姿を何度も見かけた。

息子が県外の大学に進学してからはもっぱら主人ラブ。私がトイレの世話やブラッシングなどのケアをしてものどを鳴らしてくれない。息子や主人には鍵しっぽをピンと立てて、ブルブル小刻みに震わす。主人の出勤前には足元に寝転んで「遊ぼう」のポーズ。

「家の外には出さないように」と保護猫カフェからも言われていたが、好奇心から人が出るすきを狙って脱走することが数回あった。しかしあまりの「どんくささ」にすぐに家族に捕まる。捕まると珍しく私に媚びてくる。気まずさを察知しているようだった。

リリーのどんくささは際立っていて、猫なのにネズミを見つけても捕まえることができない。ネズミが目の前を走っていて追いかけても追いつかない、なんと鈍足なことよ。

我が家ではネズミ捕りは超音波の機械やトリモチに任せ、リリーは「愛玩動物」として生きてもらうことにした。

彼が鳴くときは「餌が欲しい」「お水が欲しい」「寂しい」の3つだけ。顔を見るとほかのことは通じてしまうので、ついこちらが下僕となって動いてしまう。物言わぬ彼だからこそ、我が子以上に言わんとするところを探ってしまうのかもしれない。

「寂しい」時はいつも一緒にいる母が友達と出かけているとき。大きな声で鳴いていて、私に見られたら気まずそうな仕草を見せる。私が出かけていても残念なことに鳴くことはないそうだ。

彼なりのこだわりは、誰かと一緒に寝ること。息子が自宅にいたころには、息子と寝るのがお気に入り。息子が帰省すると絶対に彼と一緒に寝たがる。布団の中に潜り込んでわきの下でまあるくなって腕にちょこんと顎を載せて眠る。

息子がいないときは、私と一緒に寝る。本当は大好きな主人と寝たそう。でも主人の寝返りの時に、乗っていた主人のお腹から振り落とされるような形になって仕方なく私のもとにやってくる。

私は彼を抱えて冬は羽毛布団の中に入れてやる。私は寝つきが悪いがリリーが一緒だといつもぐっすり眠れる。まるで私を寝かしつけるためのように、私が仕事が終わって寝室に行くまで、じっと部屋の前で待っていることもあった。その姿を見るたびに、いじらしすぎて悶絶しそうになる。

仕事部屋から私が寝室に歩いていくときに「あっちに行くよ」と声をかけると最近はくっついてくるようになった。

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水道から直接出る水を飲むこともリリーのこだわりの一つ。1mほどの高さにある洗面台に「せーの」と言うと得意げにジャンプしてマズルを膨らませて私を振り返る。

我が家は地下水を使っているので、夏は冷たく冬はほのかに暖かくなる。水道の蛇口から流れる水をぺちゃぺちゃと音を立てて美味しそうに飲む。その姿が可愛くて、つい見つめすぎて嫌がられてしまうこともあった。

リリーは2021年の春ごろからよく吐くようになった。時には粗相することもあった。水を飲む時間が長くなって、食欲も減った。病院に連れて行くと腎臓病だと診断された。体重も少しずつ減ってきた。水を飲みたいときには私を呼んで、洗面台に上げてほしいのか自分で登ろうとしなくなった。

近くの動物病院に診察に連れて行くと「毎日点滴に連れてきてほしい」と獣医は言った。県外に住む友人の飼い猫が同じく腎臓病で、自宅で点滴していることを教えてくれた。その情報をもとに仕事が忙しく毎日の通院は難しいことを告げ、点滴を自宅でしたいことを伝えたが、万が一のことがあったら責任が取れないことを理由に受け入れてもらえず、通院をすることを勧められた。

入院を勧められることもあったが「夜間は人がいないので、急変しても何もできません」の一言。毎日誰かと一緒に寝たいリリーのことを考えると入院させるのは酷だった。その日は連れて帰ることにした。

リリーは病院が嫌いだ。

外に出られるのはうれしそうだが、病院ではぶるぶると震えイカ耳になり、治療が終わるとキャリーバッグに吸い込まれるように入っていく。家を出る前には何とか逃げようと抵抗するのに。

先日はとうとう点滴と注射の時に今まで聞いたことのない声で鳴き、唸った。骨と皮だけになってしまったので痛みを強く感じるためだろうか。

リリーと一緒に生活するようになって初めて見せる姿に驚いた。

ペット保険に入っていなかったため治療費の負担ものしかかる。通院すると点滴だけだと1回3,000円、それに加え吐き気止めや抗生剤の注射や検査をすると10,000円を超えることも少なくない。毎日は難しくても週1~2回は何とか続けたかった。通院するのにも病院の診療時間とこちらの事情が合わない。

治療についてどうしたらいいか家族と話し合いを続けていた。主人は元々「ある程度まで治療をしたら、あとは寿命だと受け入れることも大事だ」と言い、私は「できる限りの治療はしたい」と言いながらも、仕事が忙しいうえ、更年期で体が辛い日もあり、なかなか通院できない日が続いていた。母も「保護猫でうちに来て、好きに過ごせたのはこの子にとって幸せなことではないか」と言う。私の中でなかなかあきらめがつかない、その反面通院には週1~2回しか連れていけない日が続いていた。

そんな中まさに今日獣医から言われた一言は「毎日点滴に来ないのなら検査しても意味がない」だった。これを聞いたときに、嫌がっているのに点滴や検査を頻繁に受けさせることがリリーにとって本当に幸せなのか考えた。

母と主人、私が考えた答えは「積極的な治療よりもリリーが幸せに過ごせることを考えよう」だった。猫の腎臓病は不治の病で、治る見込みも現段階では厳しいらしい。彼の幸せの優先順位を考えることにした。

病気の末期を迎えてしまうと家族はその治療や判断に迷うし、本当に正しいのかわからない。父親が脳梗塞で亡くなったときも、今までの家族だったペットたちが死んだときもそうだ。

何が正解なのかわからない。もしかしたらもっといい方法があるのかもしれないし、ここで積極的な治療をあきらめることがいい事なのかも全く分からない。

ネットでいろいろと探してみたけれど、はっきりとした答えが見つからなかった。

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病院で進められていた療養食は固くて食べれられないことが増えた。丸呑みしてしまうので戻すことも多くなった。獣医に相談したら「栄養状態が悪いので、もう何を食べさせてもいい」との回答だった。

腎臓病と診断されてから一度もあげていなかったチュールも復活させ、ドライフードを辞めてウェットフードに変えた。今まで食べなくなっていた餌も喜んで食べる。私たちの食事の時間になったらやってきて、食事係の母にご飯をせがむようになった。

それからトイレの位置も私の仕事場に移し、日中は私の隣で眠れるスペースを作った。リリーに異変があったらすぐに対応できるようにするためだ。腎臓病特有のアンモニア臭もあるが、それでもリリーと一緒にいられることの方が幸せだ。

今日からトイレと日中のベッドの位置が変わったけれど、リリーはいつも通り通常運転。時にはわたしや主人の膝に乗ってくることもあるけれど、用事があると私を見つめて下僕としての役割を与えてくれる。今日もリリーと一緒にいられることが幸せなのだ。

少しでもリリーが幸せにいられるように。

彼とのこれからの日々を少しでも一緒に生きられますように。

彼のまあるい背中を見ながら今日も願わずにはいられない。

※2021年11月3日にリリーは虹の橋を渡りました。この記事は10月23日に執筆したものです。


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