見出し画像

第37話 怪盗

繁華街から少し離れたところにある一軒の喫茶店。外に看板はなく、見落としそうなほど町並みに溶け込んだ店。中に入ると、少し照明をおとし、レトロな調度品が上品に並んでいて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

カランコロンカラン
お手本のようなドアのベルがなって、黒いサングラスをかけた女が店に入ってきた。店内には客が3組。皆静かに午後のひとときを過ごしている。暇そうに掃除をしていた、アルバイトとおぼしき青年が女に声をかけた。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
女はサングラスをずらして青年を見ると、
「マスター、呼んでもらえる?」
「えー…えっと、店長に御用ですか?」
「ううん、店長じゃなくてマスターに、「鍵の抜けないオルゴールが2つ」と伝えてちょうだい」
青年は小首をかしげて、
「うち、雑貨屋さんじゃなくて喫茶店なんですけど…」
「ええ、知ってるわ。だからマスターに「鍵の抜けないオルゴールが2つ」と伝えて来てくれる?」
「…抜きましょうか?」
「いや、違…」
女はため息をつくと、ハキハキとしかし他の客には聞こえないように抑えた声で言った。
「店長に、「マスター、お客様です。鍵の抜けないオルゴールが2つ」って言やぁいいの!」
「呼んだかい?」
女の後ろから、白髪の老紳士が声をかけた。
「あら、マスター!いたのね」
「いらっしゃい」
マスター、と呼ばれたその老紳士は、80歳位だろうか、豊かな白髪を後ろに流し、白いシャツに茶色のベスト、赤紫の蝶ネクタイを締めている。マスターはニコリと微笑むと、
「奥へどうぞ」
「ええ、ありがとう」
奥の別室へと続く扉の中へ女をエスコートした。そしてその様子を呆然と見つめるアルバイトの青年に、
「嗚呼。しばらく奥にいますからお店のことは君に任せます。何かあったらベルを鳴らしてくださいね」
「あ…はい」
青年は閉まっていく扉を不思議そうに眺めながら呟いた。
「…鍵、マスター抜けるのかな…?」

「マスター、新しいアルバイトの子雇ったの?」
勧められたソファーに座り、サングラスを外しながら女は尋ねた。
「ええ。私も歳ですから、そろそろ後継者を、と思いまして」
「ふーん。その'後継者'って、喫茶店の方?それとも、こっちの方?」
「ほほっ。どちらでしょうな」
マスターは上品に笑いながら、白い手袋をはめ、ベストの内ポケットから出した眼鏡をかけた。
「よろしく」
女は、目の前の机に品物を並べた。細かい細工の施されたトロフィーと、白地に鮮やかな紋様が浮かぶ大きな皿。
「さすがは国立美術館ね。セキュリティーがより厳しくなってたわ」
「左様でございますか。では、失礼を」
マスターは2つの品物を丁寧に見始めた。

そう。ここはただの喫茶店ではない。高級な美術品を専門に扱うバイヤー。マスターはかつて、世界一の目を持つと言われていた美術商であり、引退した今、こうしてひっそりと'秘密の合言葉'を知っている客だけに仕事をしているのである。なぜ、'秘密の合言葉'があるのか。それは、客が持ってくる品物は全て、盗品だからだ。つまり、この女もそしてそれ以外の客も皆、いわゆる怪盗と呼ばれる人たちなのである。
美術館やどこかの邸宅から美術品や宝石を盗む怪盗、そしてその盗まれた品物を高値で買いたいお金持ちの個人や団体。その両者を繋げるのが、この店の'マスター'である。

「いけない!1つ忘れていたわ。これは大分値がつくと思うの。何せ、世界に2つとない伝説のブルーダイヤ"人魚の涙"なんですもの」
そう言って、女はポケットから蒼く輝く宝石を出して机に載せた。
「聞いた話じゃ、時価30億ドルは下らないそうよ」
「ほぅ…私も初めて拝見しますな」
「マスターほどの人でも見たことなかったのね」
女は再び、ソファーに深く腰かけた。手持ちぶさたになり、爪を眺める。我々、怪盗とは縁のない一般人でもよくやる暇潰しのポーズである。
「うーわ、最悪!ネイル欠けちゃった…。こないだ新しくしたばっかりなのに…。またサロン予約しないとなー」
ふぅ、と息を吐く。
「てか、聞いてよマスター。私、今回もいつも通りここの美術館に予告状送ったのね。「いつもお世話になっております」って、郵送でね。そしたら2円足りないとかいって返ってきたの!めっちゃ調べて重さも量ったのに定形外。辛いわぁ…。
そもそも私、差出人の名前しか書いてなかったのにちゃんと家のポストに入ってたの!郵便事情すごすぎない?」
「それはそれは」
マスターはほほっと笑って、品物を机に戻した。

「あ、終わった?」
「はい。まず、こちらのトロフィーは、古代ギリシャ文明の頃のものですな。細工の形からして、名工アレキサンドリア・フィスアの晩年…もしかしたら最期の作品でしょう。今の相場では2000万ドルといったところでしょうな」
「ふむ。まあまあね」
「こちらのお皿は中国漢王朝時代のものですな。いわゆる王宮御用達の匠にのみ許された工法からして、小袁紲(しょうえんせつ)の作品でしょう。形はさることながら、絵付けの細かさ…この金の龍の躍動感は、現代でも広く愛されております。傷もなく非常に状態がよい。小袁紲の作品は、漢王朝期のマニアの間で高値でやりとりされているとも聞きますので、4000万…いや、4500万ドルといったところでしょうな」
「あら、意外と高くつくものなのね。また狙ってみようかしら」
「今日本で展示、所有されているのはこの一点だけと聞いております」
「そうなの。んー、ま、気が向いたらやってみようかしら。そんなことより、この"人魚の涙"!これはいくら?私、美術品はあんまり興味ないんだけど、宝石は大好きなの!もう、この子最高すぎて盗むのちょっと緊張しちゃったわ。でも、時価30億ドルなんていうから、狙わない訳にはいかないわよね!
トロフィーが2000万ドル、お皿が4500万ドルときて、"人魚の涙"!さあ、いくら?」
「こちらは…」
マスターは"人魚の涙"に手をかざして、目を伏せた。

「こちらの"人魚の涙"は…値をつけるならば300万です」
「さ、300万!?何で?何でよ!?時価30億ドルなのよ?何で300万ドルぽっちなのよ!?」
「いえ、300万ドルではなくて、300万円でございます」
「円!?…ってことはドルだと…えっと…3万ドル!?」
「今の相場では2万ドルですな」
「こんだけ桁数が違ったら2万も3万も一緒のようなものよ。何でそんなに…えっと、30億が3万って、そんなの…」
「2万でございます」とは、訂正しなかった。必死で計算する女の姿に、邪魔してはいけないと悟ったのだ。
「えっと…100分の1?いや、違う。んっと…」
指折り数えること約2分。
「10万分の1じゃない!」
マスターは黙って頭を下げた。ちなみに30億から2万、で計算すると15万分の1である。
「何でそんなに値崩れしたの?インフレ?偽物?」
「いえ、確かに本物でございますが…」
マスターは、"人魚の涙"を手に取ると一点を指した。
「こちらに傷がございまして」
「傷?」
"人魚の涙"を覗き込む女。じっと見つめて、
「あー、確かに。言われてみればそうかもしれないけど、こんなの分かる?」
頷くマスター。
「私どこにもぶつけてないわよ?だって盗った時も普通に、ガラスケースパカッと開けてさっと盗って、」
タッパーの蓋を開けて中の野菜を取り出すような動きで再現して見せる女。
「んでポケットに入れただけ…。痛っ!」
ポケットに手を入れようとして、その手を止めた。
「あ、ごめんなさい。今ちょっと爪欠けてて……あ。」
瞬き2回。
「これか…。うわ、これかー!爪でガリッとやっちゃったのかー!」
悔しがる女。
「ねぇ、マスター。これ、どうにかなんない?私、このブルーダイヤのために世界最新鋭のAIとバトッてきたんだよ?警備員7~80人ブッ潰したし、暗殺者みたいなのともあいまみえたりしたんだよ?それに、何よりも、このために2円切手足して予告状送ったんだから!…ダメ?」
「…残念ながら、当店は補修は致しておりませんゆえ」
「マジか…」
女は天を仰いだ。
「いいわ。分かった」
女は"人魚の涙"を手に取ると、
「じゃあ、これだけレターパックで送り返しえくる」
「左様でございますか。ただ…」
「何?」
「恐れ入りますがその"人魚の涙"は、厚さが3cmを越えておりますので、レターパックで郵送することはできかねます」
女は少し考えると、
「んじゃあ直接返しに行ってくる!」
そう言って、部屋から出ていった。

マスターは考えた。果たして、最新鋭のAIが守る宝石が、タッパーの蓋を開けて中の野菜を取り出すがごとく盗み出せるのだろうか、と。この世には、まだ多くの謎が隠されている。


<END>
2021年6月19日  UP TO YOU! より

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?