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第28話 おしゃれ着洗い

大丈夫、私は変わったんだ。
もう、こないだまでの弱い私じゃない。
大丈夫、私は大人になったんだ。
あの子たちみたいに、幼くない。
大丈夫、もう怖くない。
この土日で、私は変わったんだ。

教室へ続く長い廊下を歩きながら、私は心の中で何度も繰り返した。大丈夫、大丈夫。
土曜、日曜の週末休みが明けた月曜日。今までの私は憂鬱でならなかった。クラスの女子からの陰湿な嫌がらせ。何か暗い雰囲気が気に入らないんだとか。私が強く言い返せない性格なのを知っててやってくる。クラスに友達はいない。先生にも、親にも怖くて言えない。「いじめ だなんて大袈裟すぎる」「遊んでるだけだろ」とか言われそうで。
でも。
私はこの土日で変わったんだ。大人になったんだ。真っ向から立ち向かってみせる。

…よし。

ガララッ
私は意を決して教室の戸を開けた。と、
ポス
壁と戸の間に挟まれていた、チョークの粉たっぷりの黒板消しが落ちてきた。着地点は私の上履きの前。
今までの私なら、黙って拾って黒板の…何かチョークとか置いてる出っぱりのところ…何て名前なんだろう…何か、桟みたいなところ、あそこに置くだけで済ませていた。なるべく目立たないように。
でも、今日の私は違う。何故なら私は、変わったから。

私は足元の黒板消しを拾い、そのままこちらをニヤニヤと窺っている女子たちの方へゆっくりと近づいていった。
「なぁに?黒板消し?…フン、幼稚なことを」
歩くスピードに合わせたゆっくりとした、それでいて大きくよく響く声。さながらデ○ィ夫人の如く。
「分かってるわ。こんなことするの、早川さんたちでしょ?」
他人の机の天板に堂々と座ってこっちを見ていた女子のリーダー、早川さんに、ずいっと黒板消しを押し付けた。
「…は、はぁ?」
「おあいにく様!私はこの土日で大人になったの。あなたたちとはまるで違うわ。せいぜいこの小さな教室の中で、お粗末なおままごとでもしていないさいな」
そう言い捨てて席に着いた。

…やった。初めて言い返せた。何てスッキリするんだろう。
早川さんと取り巻きの女子たちは、口を半開きにして頭の上に「?」マークを浮かべて私のことを見ている。THE ぽかーん って感じ。
別にこないだまでと見た目が変わったわけではない。そこは現状維持している。変わったのは内面なの。
だいぶテンポを遅らせて、早川さんたちが私の席に来た。まだ黒板消しを持ったまま。でも、その表情は怒りに満ち溢れている。
「何か言い返したいのね?でも残念。予鈴よ」
キーンコーンカーンコーン…
私は耳元で囁くように言った。
「Time over」
早川さんの舌打ちは、担任の「起立!」でかき消された。

初めて言い返せた。それに相手のターンを与えなかった。何て清々しいんだろう。
一時間目は数学。心なしか今までより背筋もピンと伸びている。

大丈夫。大丈夫。
私はもう大人になったんだ。何も怖くない。大丈夫。

チャイムが鳴って休み時間になった。朝のことでイライラしているらしい早川さんが取り巻きを引き連れて私の席に来た。私は大人になったから、大人の余裕をもって対応する。
「あら、早川さん。何かご用でもおありになって?」
「おい。英語の課題見せろや」
「嫌よ、しゃらくさい」
「は?」
「いいこと?私は大人になったの。今までの私はまだ子どもで、周りの判断に委ねていたわ。でも、おあいにく様!私はもう大人。きっぱりお断りするわ」
早川さんと取り巻きたちはコソコソと相談事をする。あらあら。余裕がない、子どもなのね。
「何それ。お前、変わったな」
「まぁ。すっかり私の大人の魅力に虜になってるじゃない。いいわ、教えたげる」
「いらねぇ…」
大人の余裕。私が変わった理由を知りたくてたまらないらしい。仕方ない。教えてあげよう。私がどうやって大人になったのか。
「私、この度、おしゃれ着洗いを覚えたの!」

「…はぁ?」
「一つ一つ丁寧な手洗い。洗剤の配分はミリ単位。柔軟剤との割合もミクロまで計算し尽くしているわ。そうそう!もちろん水にもこだわってるの。何を使ってるか、知りたい?」
私は、耳元で囁いた。
「volvic…」
一同、同時に瞬き。
「あなたたちもやってみなさいな。きっと私みたいに大人の余裕が生まれるわ。…あぁ、まだ分からない、か…。ごめんあそばせ」
私は後方の戸の方へと歩きだした。
「おい、待てや」
「何ですの?私、お花を摘みに行かないといけないのだけれど」
早川さんたちはニヤニヤしながらこっちを見ている。でも、どこか、こないだまでのニヤニヤよりも余裕が見られない。私に恐れをなしているような。
「お前、気づいてないだろ?」
「何が?」
「お前の椅子にペンキ塗ってんだよ!」
取り巻きたちが一斉に笑った。
「あれぇ?スカートまっピンクじゃん?」
「何事ぉ?」
粘っこい追い打ち。
今までの私なら走って逃げ出していたところ。でも、今の私は違う。
「オホホホホ!!そんなもの、私のおしゃれ着洗剤の前じゃ、何の効果もないわ!」
私はパンッとスカートをはたいて戸へ向かう。後ろから聞こえる悔しそうな舌打ちも、今では心地いいBGMだ。
「他にもな!」
「まだ何か?」
「お前の上履き、画鋲入ってるらしいじゃん!」
「上履きに画鋲?」
私は右足の上履きを脱いだ。
「こいつ、画鋲に気づかずに授業受けてたとか鈍感すぎで超ウケる!!」
取り巻きがまた一斉に笑った。
「私のおしゃれ着洗剤をナメないでくださる?」
「…は?」
「こんなもの、ちょうどいい足ツボ感覚よ。じゃ、ごめんあそばせ」
「……それは関係なくない…?」

言ってやったわ!超スッキリ。あとはお手洗いに行って心身ともにデトックスするのみよ。

ガララッ
律儀に戸を閉めて両方の上履きを脱いだ。
画鋲は、おしゃれ着洗剤ではどうにもならないらしい。…痛い。


<END>
2020年8月30日  UP TO YOU! より

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