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Portrait In Portrait #2

 白い紙が幾枚も壁に揺れている。ミスタ・タカハシの髪も一緒に揺れている。その隙間にある影まで揺れている。部屋の中は風に満たされていた。
「すべては滞りなく進んでいる」ミスタ・タカハシは小型飛行機の模型のプロペラ部分を回しながら言った「君の尽力のたまものだね。うんうん」
 それが回ることと私の仕事とがなんの関係があるのかさっぱりわからなかったが、ただ彼の満足そうな笑みを見ていると、夏の昼下がり民家の窓から流れていたシューマンの音を思い出した。思えばミスタ・タカハシはなんとなくシューマンに似ているな。
「それはそうと、お昼はどうされますか」
 そう尋ねると彼は自らのもみあげに触れながら3秒ほど停止した。
「今日は久しぶりに外で食べようかな。外を歩くにはちょうどいい日和だ」そういえばこの間行きたいと言っていた蕎麦屋さんはどうかねなどと、やはりもみあげを触りながら言った。
 シューマンは蕎麦が好きだった。私もちょうど蕎麦が食べたかったので急げとばかり足早に蕎麦屋へ向かった。

 「こう、飛行機を設計しているとね、自分がそれに乗ってどこか遠くへ飛んでいるような気持になるんだ」穏やかな笑みを浮かべながら話す「まるで夢を見ているようなんだ。大きな空を自分の設計した船で飛んでいる。すると各地でいろいろな人が私のほうを見上げる。ある人はとても眩しそうに、ある人は心底迷惑そうに、それでもじーっと通り過ぎるまで私を見上げる。その人たちの生活の間隙に偶然入り込んでしまうんだ。そこでふと気が付くんだよ。その顔たちはどこかで見かけたことのある顔だなって。確かに僕はその顔たちを見たことがあったんだ。その顔たちが何だったか、君にはわかるかな?」
「いえ……まったく見当もつきません。」
 本当にまったく見当もつかなかった。他人の白昼夢に登場する人間の顔が何と関係するかなんて知るはずもない。
 少し気になったので素直に教えてほしいと私は言った。するとミスタ・タカハシは秘密を打ち明けるような声で囁いた。
「覚えてるかい?君の撮ったポートレイトだよ」
 覚えていると私は言った。
 遥か昔にミスタ・タカハシへ――彼は父の学生時代からの友人であり私が小さい頃からよくしてくれた――私のポートレイト集をプレゼントしたことがあるのだ。そのポートレイトは写真を生業とする以前に撮影したものだった。旅をするのが好きだった私は、世界各地をこの足で回り、そこで出会った人々の顔をキャノンの一眼(20歳の誕生日に叔父からもらった)に収めていったのである。残念ながら赤道直下の暑さにも北欧の寒さにも耐え抜いた丈夫なそのカメラは、今はもう手元にない。数年前、交通事故に合った時に粉々になってしまったのだ。奇跡的に私は三針程度の傷を太股に貰っただけだったが、その代わりというようにカメラはこの世を去った。太股の傷よりも、長年連れ添ったそのカメラを失った心の傷のほうが痛かった。そのため、一時期写真を撮ることを避けてすらいた。その時を思うと今でも胸が苦しくなる。しかし性というべきか、時が経つにつれ写真を撮りたいという欲が際限なく溢れ出し、やがて写真家として活動するまでに至った。今は来冬に出版されるミスタ・タカハシの自伝に添える写真を撮影するため、頻繁に彼の仕事場へ足を運んでいた。
 そのポートレイトのことを彼は言っているのだ。
「いまでもたまに抽斗から取り出して眺めるよ。僕も多くの写真をみてきたが、あそこまでポートレイトとして生きた写真を他には知らない。お世辞じゃないよ」
「恐縮です。でもあれはそんな大したものじゃありませんよ。旅の片手間に思い出として撮ったものです。私なんて今の今まであれのことを忘れていたくらいですよ」
 大したものじゃないと言ったか?とミスタはとんでもないというように肩をすぼめた。
「君はあのポートレイト集の表紙を覚えているかい?」
「ええ、覚えていますとも」
 ポートレイト集の表紙にはその頃聴いていたビル・エヴァンズの名盤『Portrait In Jazz』をもじって『Portrait In Portrait』等というふざけた名前が飾ってあった。
「私はあの表紙を見たとたんに君のユーモアとその創造性に感服したよ。そして私が想像した通り君はその道で大きくなった」
 評価が過大すぎることにおかしくなって私は思わず吹き出してしまった。
「貴方は表現を大げさしすぎる癖がありますよミスタ。あれはそんなに大したものじゃありません」
 詳しい中身はもう忘れてしまった――ずいぶん昔に引っ越しの時だかに無くしてしまっていた――が、そんな昔の自分の創作物が優れているだなんて到底思えなかった。
「それこそ錯誤というほかないよお嬢さん。正直に言うけどね、私の創造性の源はあのポートレイトだ。あの写真たちに写った人々の顔を思い浮かべることで私はどこまでも飛んでいける飛行機をこれまで創りだすことができたんだ。それにあの作品集がなければ今の仕事も君に依頼することはなかったかもしれない」
 私は耳を疑った。冗談にしては笑えない。私はそう言った。
 すると「ああそうかい、まあなんとでも好きなように言ってくれるがいいよ」とミスタはそれっきりしばらく口をきいてくれなくなった。そして帰り際にこう言った。
「説教臭いことを言うようだけど、自分の創作物は大切にしたほうがいい。きっと君の助けになる」

 数日後ミスタ・タカハシの名義で『Portrait In Portrait』が私のマンションに届けられた。
 赤色の飛行機の切手が貼られた封筒の中には「偉大なる写真家にこれを贈る p.sさらなる高みへ」とだけ書かれた小さなメッセージ・カードが同封されていた。
 封筒から取り出すと、黒地にPortrait In Portraitと白インクで丁寧に書かれた文字と、そして自分の顔が姿を現した。例のアルバムを意識したのだ(私の記憶が正しければ、自分を被写体として撮ったのはこれが最初で最後だった)。もう随分と表紙は日に焼けているが、それがより『Portrait In Jazz』の表紙を彷彿とさせる。ページを捲るとほとんど中身は装丁した当時のままを見ることが出来た。大切に扱われてきたのだ。
 驚くことに、このポートレイト集はとてもずっしりとしていた。身近な人間に配るために数冊しか作っていない代物だったはずだが、それにしては大した力の入れ具合だった(数えたのだがちょうど11ヶ国だった。大したこだわりである)。また衝撃だったのだが、この頃にはもう私のスタイルと言うべきものが出来上がっていたのだ。ポートレイトは回った順に並べられているようだったが、後ろに行けば行くほどその色は濃くなり、一番最後の写真はどこからどう見ても私の撮った写真だった。
 そして、後ろのページには小さくメッセージが書かれていた。
 私は何とも言えない気持ちになってそれを仕事机の一番下の抽斗にしまった。

 数年後、私はまた多くの国を回ることとなり、ポートレイト集を作成した。もうあの頃程若くないのでバックパッカー紛いのことはしなかったが車をレンタルし、当時訪れた場所や行きたくても行けなかった場所など様々な地域を回った。
 私は結局、あのポートレイト集の中にある過去の私の思いを遂げることとなったのである。やがてそれは写真家人生において最高傑作と呼ばれる作品集となる(後に聞いたのだがこれは全部ミスタ・タカハシの思惑通りだったらしく、初版を後生抽斗の中で大事にしたらしい)。
 そして、この作品集の最後のページに飾る言葉は完成する前から決まっていた。


「また逢う日まで。」