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憧れの非日常

子供の頃、住んでいた団地には2つ。隣の地区の公園には1つ。僕が作った秘密基地があった。

ひとつは木の中に作られていて、ロープで結ばれたカゴを使って物資を下から引き上げる仕組み。

基地の内側(木の中)に入り込むと、葉っぱで姿が隠せる。隙間から目だけ出してひたすら外を警戒をする。バザーで買ったエアガンも持ち込んで、3歳下の従兄弟と一緒に「これで敵が来てもダイジョーブだ!!」と息巻いていた。敵とは一体誰だったのか。

川の流れを変えることも僕の中で流行っていた。
主流から分岐させた細い水路を掘って、その先で大きな穴を掘って小さな池にした。水の出入口には石をたくさん積んで生き物が逃げずに水だけが浄化されるシステムを作る。
ヤゴ(トンボの幼虫)、アメンボ、小魚、水草を集めてきて放流し、生態系が築けたことにご満悦のちびっ子。

小学校では公園に埋まっている巨大タイヤを掘り起こそうと友達と盛り上がって、昼休みを全部使ってひたすらスコップで土を掘っていた。
埋まっているタイヤが、円の形をしているのか、それともあらかじめ半円に切られた状態で埋まっているのか気になって、それを確かめてやろうと掘って掘って掘りまくった。

山に水晶を取りに登ったり、草を食べて「意外においしい植物」を探して友達に教えたり、なにがそれほど面白かったのか当時の自分に聞いてみたい。

凡庸な日々を凡庸だと決めつけているのは自分だと思う。中途半端な知識を手に入れて、全てを見透かしたような目で世間を見つめ確かめることをしない。そんな歳の重ね方はなるべくしたくない。

探究心をもって今の自分にできる取捨選択で、エネルギーを注げる世界を探したい。

日常というのは世間を表してるようで、俯瞰すると一人称だと思う。

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