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【読書記録】怪談・怪異・妖怪の本

気候といい自分の蕁麻疹といい落ち着かないこともあり、ひたすら読書しています。嗚呼…

『怪談之怪之怪談』 怪談之怪 編

怪談之怪とは、作家の京極夏彦さん、怪談蒐集家の木原浩勝さん・中山市朗さん、『幻想文学』編集長の東雅夫さんによって、「怪談を聞き、語り、愉しむ」ことを活動目的に1999年1月に結成された、とのことで。
(京極先生、と書きたいのだけど、構成員の敬称は揃えたほうがいいのかなぁと今回は「さん」で揃えました;)
2003年発行の本であり、当然のようにそれ以前の会談が収録されているということに。
しかしながら、やはり内容は古くなっていないというか…世の中色々と変わっても変わらないものもあるんだなと、違う感慨を持つというか(困)。

メンバー4名で、さらに噺家・作家・俳優などのゲストを招いての、怪談会。

一之怪は、メンバー4名による会。

京極さん
「『幽霊だから怖い』じゃなくて、『怖いから幽霊』なんです。」
「怪談と妖怪は根っこは同じなんですね。つまりですね、得体の知れないもの、理解できない不安を『怖がろう』『怖いのをわかってほしい』というのが怪談。『怖くないよ』と思いたい場合妖怪になる。」
木原さん
「僕たちは『新耳袋』の中で、幽霊という言葉は入れないように心がけています。幽霊と書いてしまうと、それはもう表現どころか、一種の正体ですね。おそらく怖さが入り込む余地がなくなってしまいます。」

京極先生の「妖怪は怪談の墓場」という言葉は、このような…共通認識となり「怖い」を脱ぎ捨ててキャラ化して妖怪として定着する的なところを表現しているのだろうなと。
そう、確かに『新耳袋』では「幽霊」という表現は見た記憶が…薄い。幽霊とは書かれてないけど、生者だとしたら色々と不自然だったり不可解だったりなところがあって、「それじゃ…」(寒気)ってなる。第何夜だったかな、「部屋でテーブルの上に女性が立っていて、何かを指し示すように片腕を前方に伸ばしていた」といった描写があって…それが、後で「女性は首を括っていた、だからテーブルに立っているように見えた」となって、ゾゾゾーッとなったのを昨日のことのように覚えてますよ(爆)。
同じことを伝えるんでも、話者・書き手によっては面白くもなるし、つまらなくもなる。これは自分自身日々ヒシヒシ痛感するところです(地味に墓穴)。『新耳袋』は実話を収集したといえど、状況説明の表現や順序をおそらくは体験者自身によるナマの語りとは変えている部分もあるだろうとも思えて、やはり著者の木原さん・中山さんの怖さを増させる技巧的なものは存在していると。

東さん
「怪談の座というものは、それ自体が何か『加速力』を生むんですよね。」
京極さん
「怖いモードに入ると怖いことしか考えない。だから怖いことしか話さない。恐怖感が純化して先鋭化していくんです。百物語なんて最後の方はもうろうとしてくるから、ギャグ飛ばしても怖い。」
中山さん
「そういうとき、それまで『ンなことあるわけないじゃないか』とシラけていたおっさんが、『そういえばね、いっぺんだけこんなことがあったな』とか言い出して、とんでもない体験談を披露したりする。それがすごく怖い。」

「そんな(霊とか怪異的な)ものは信じない」と言っている人が「いや、信じないよ。信じてないけど。まあ以前ヘンなことはあったけどな…」的に語りだす話が真剣に不可思議だったり、すごく怖い・・・というのは、もうわかりみが深いとしか。蒐集家としては「そうそう、それ!それを待っていたんですよ!」になるのも。。

ところで、私が『山怪』に出会って以降「これの海版があってもいいはず」と思い続けていたことは過去記事にも書きましたが、なかなか海版が出なかった事情というかの考察をこの本で見付けたように思います。
こちらは、佐野史郎さんと山田誠二さんがゲストの四之怪の中での話で、

木原さん
「漁師の怖い体験が聞きたければ海辺の家に泊まりなさい、と言われますが、日常茶飯事だといいながらも、やっぱり語っていただけません。」
 
東さん
「山より海のほうが異界度が高い気がします。」
「純粋な山の民が、今や絶滅に瀕しているのに較べ、海の民はまだまだ健在ですからね。」
「海はそこに生きる人々に密着した生活の場であるから、タブーの侵犯にも寛容ではいられない。」

『海之怪』でも、漁師より断然、海釣り師の体験談が多かったです。つまりはそこで生計を営む者ではなくあくまで来訪者、山で言うなら猟師や山小屋の主人などではなく登山客・ハイキング客の位置づけになろうかと。だから「不思議なことがあった」と語ることが出来るのかもしれないと。
んで、『山怪』で「自分はそういうの信じてないよ。信じてないけど、前にこんな妙なことがあったといえばあったなぁ」って不可解体験を話すのは、所謂来訪者でなく山のごくごく近隣に住まう人や山仕事で生計を立てている人だったりする、というのが私個人の印象でもあります。逆に言えば、いちいち信じていたら生活できないほど或る意味身近であり「起こりうるもの」なのかもしれないと。

怪談や妖怪に関わる人たちは自分自身も何かしら不思議な体験をされている方が多いなと感じたりも。

五之怪のゲストは岩井志麻子さん。
何気なく立ったところが怪しい獣の通り道・ナメラスジで、「シマコ・オン・ナメラスジ」になってしまったというのは…狙ってもなかなか出来ないのではと。
岩井さんの日本ホラー小説大賞受賞作『ぼっけえ、きょうてえ』の表紙の絵、甲斐荘楠音が描いたものですね。以下リンクはだいぶ昔の企画展のページになりますが、その絵がチラシの表側に使われています。清楚な美とは対極にあるとでも言える妖しさと重たさ。この絵を表紙に選んだのは著者の岩井さんのリクエストなのか、装丁担当者や出版社の意向なのか…そこも私としては気になるところ。
甲斐庄楠音と大正期の画家たち | 企画展 | 千葉市美術館 (ccma-net.jp)

七之怪のゲストは高橋克彦さん。
高橋さんをホラー作家の道へ向かわせたのは弟の友人・F君の幽霊だという。
就職試験の帰りに電車から落ちて亡くなったF君は、友人である高橋さんの弟の部屋に来たといい、その時弟ではなく高橋さんがその部屋で寝ていたからか去っていってしまった。その後も弟のところ、高橋さんのところ、「幽霊が出るというのなら、俺にも呼んでもらおうじゃないか」と言った いとこの前にも現れたと。それで弟と共に帰省して墓参りをしたところ、以降は出なくなったと。
F君のお父さんに「F君の幽霊とは何度も逢いました」と話したら、お父さんは泣き出して「私のところには一度も出てくれません」と。

高橋さん
「私が怪奇小説を書こうと決めたのは、F君の幽霊としての存在感ゆえでした。幽霊も我々と変わらない存在だということを、もっと世間に知ってほしいと思っているんです。」

にしても、親御さんでなく友人、さらにその兄やいとこのところに現れるのは何故なのでしょうね…。東日本大震災後の被災地での幽霊話にも、家族以外の前には出るのに、幽霊になっても会いたがっている家族が居るのに、というものがありました。本当に何故なのでしょうか・・・(答えなど出ない問い)

そんな高橋さん、(『新耳袋』について)
「本当は何か解決がありそうなんだけど、わざとその前で書くのをやめている印象を受けるけど……。」

これに、
木原さん
「わざとじゃありません。すべてそうだというわけでもないのですが。」
中山さん
「我々は実体験を収集しているんです。実際に体験した人というのは、霊能者を呼ぶわけでもないし、お寺へ相談に行くことも滅多にないんですよね。だからそれをそのまま書いているから話が全然解決してない。そこが怖いと思うんです。」

『新耳袋』に因果やその後が語られない話がそれなりの数存在するのは、体験者が必ずしも理由や訳を追求するわけではなく、むしろ原因を探ろうとするのは少数派で、そのような中で実体験を収集するからこそだったんだな…と思ったりでした。

それにしても、この七之怪の中で、木原さんがあるお寺の娘さんから聞いたと語った動物霊の供養石の件が凄かったなと。

その娘さんが八歳のとき、夜中にトイレに行こうと廊下に出ると本堂に明かりが灯っていて、あんなに光ることもあるのかというくらい明るい。
ぼうっと見ていて、変だなと思っていたら、ぽんと後ろから肩を叩かれ、振り返ったら父親がいる。
「あれ、お父さんじゃないの?」と本堂を指して訊いたら、父親は真顔になって「トイレに起きたんなら、さっさと行って寝なさい」と言い、渡り廊下を渡って本堂へと向かう。
娘さんは尿意を忘れ、それをずっと見ていたら、本堂に入ろうと戸を開けた瞬間、父親が息を飲んだのが分かったという。しばらくすると木魚の音が聞こえてきて、どうなっているんだろうと思っていると、いきなり本堂が真っ暗になるが読経は続き、読経が終わって一、二分すると父親が戻ってきた。けれども何があったかは話してくれず。
その八年後、話者はあの晩に何があったのかを父親から聞くこととなり。
あの出来事の前日、このお寺では廃寺になった別の寺から誰も持って行かなかった動物の無縁仏を祭る大きな石を引き取っていた。そして、あの晩、本堂を開けた彼が見たのは、「犬や猫やネズミなんかが頭を垂れて並んでいる。その頭の上には蝋燭が立っていた。」、光っていたのはその蝋燭だったのだ、と。「後ろのほうには牛や馬もいて、あまりの量に本堂が眩しいほどに光っていた。とにかく犬と猫がたくさんいて、それが仏様の前まで道を開けて座っている。」
この光景に、話者の父は「これからは人だけじゃなく、あの動物たちも供養することになるんだなあ」と思った、とのこと。

いやはや、これは「思いついてみろ」って言われても、なかなかそんな画を思いつかないだろうと。それこそ「降りてきた」の域だろうと。
現代の話というよりも民話というか伝承というか…江戸以前の時代設定でも何ら疑問を感じないような話だと思えました。
いい話。。

『山の霊異記』シリーズ 安曇 潤平 著

前掲『怪談之怪之怪談』の中で、中山さんが「山は遭難者を救ったり救われたりといった話がいっぱいありますけど、海はねぇ……」と言っていらしたけれども。
実話怪談の著者や本は割と多い気がしてるんですが、著者本人が体験者であるにしろ著者は採話者であったにしろ、著者のカラーが出るんですよね……何人かの著作を読んでみた中で、「あ、この人はこんな話から入っちゃうのか…」と、まえがきと冒頭の一話で自分の嗜好に合わんから全部読まずに返却した本もあり、同じ著者の本はもう手に取ることは無かろうと(爆)。

そんな中で、私、見付けてしまいました。『山の霊異記』シリーズ。
『赤いヤッケの男』『ケルンは語らず』の二冊は読了。
怖いのだけども、ただ怖いだけでない話もある。愛があり、微笑ましさが漂う、「いい話」もある。そして、やはり山もまた今なお異界なのだと。正直、どんな低山でも一人で登るのが怖くなりました(爆爆)。

読んだ2冊の中では、『ケルンは語らず』の「かくれんぼ」が切ない話でとりわけ印象に残ったなと…
かくれんぼをしていて姿を消したまま見付からなかった幼馴染との、何十年の時を越えての再会。彼女は行方不明になったときと変わらない子供のままの姿。「僕」が泣きながら「みーつけた」と叫ぶと、彼女は笑顔になり小さく舌を出したまま、霧のように静かに消えた・・・
そして、長かった二人のかくれんぼが終わった。「かくれんぼの鬼だった僕が、早く見付けてあげられなかったから…」という「僕」の悔恨のような思いが、子供の姿のままの幼馴染のほっとしたような笑顔で、完全に消えたとは言えないまでも軽くなったことだろうと。
悪口とかではなく漫画のような光景です。オカルトとかホラーじゃなくて…メルヘンとかファンタジーともちょっと違う気はするけれど、悲しくも温かい話でした。でも冗談ぬきで「これ漫画で描きたい」と思ってしまった(爆)…いえ自身の力量と大人の事情を分かっているから、ホントに描くことは無いですが……(爆爆)

他にも図書館にシリーズが何冊かあるようなので、この夏での読破を目指します(爆)。

『妖怪は繁殖する』 一柳 廣孝・𠮷田司雄 編

前述の京極先生、中山さん、の他にも、化野燐さん、湯本豪一さん、伊藤龍平さんなどなどが執筆・寄稿していると知り、ともあれ読んでみました(爆)。

中山さんが「実録怪談のなかの妖怪たち」の中で、妖怪の知識のない人が知らず知らず妖怪に出くわしている的な事例を紹介されており。なかなかにマニアックな妖怪で、これはよほど詳しい人じゃないと知らんだろうなと思うような(割と詳しいと思っている自分も知らないものばかり出てきた;)…だから一般の人は知らないはず。でも、見た人が述べる特徴が古文書に残された妖怪のそれと不思議なまでに一致しているという話。
それはすなわち、現代人もまた過去の人々と同じ怪異に遭遇しているとも言えるのでは…と。

しかし、何より「これは金言だ!」と感じたのは、
小松和彦さんの
「妖怪だけを研究していたら妖怪が見えなくなる」
という言葉です。

結局は、妖怪研究は人間の研究じゃなきゃいけません。人間をトータルに理解しようとする過程で妖怪も出てくるということなのです。人間の研究のなかで、どう妖怪研究を位置づけるかが重要です。そうしないと、たこ壺の中の妖怪、細分化した妖怪しか知らないことになって、逆に妖怪は何かとか、日本文化のなかでの妖怪とは何かが見えなくなるんです。

『妖怪は繁殖する』第一章 妖怪と付き合う 小松和彦インタビュー  より

「妖怪と人間は表裏の関係にある。人間がいなければ妖怪は存在し得ない。山奥の過疎地域でほとんど妖怪が消滅してしまった理由の一つは、妖怪文化を支える肝心の人間がいなくなってしまったことにある。」
と『怪異の民俗学②妖怪』(小松 和彦 責任編集)で述べておられた小松さん。ある意味、妖怪とは人間が生み出すもの…という思いがあればこそ、「妖怪だけを研究していたら妖怪が見えなくなる」に至るのだろうと。

世に妖怪博士と言われる中には、ひたすらに「妖怪の名前と5W1H的特徴」を記憶し自分が事典化・データベース化してる人も居るんじゃないかと感じてます(酷評)。京極先生の「妖怪とはキャラ」という言葉の意味を改めて感じるというか…そうなると学者・研究者というよりもむしろファンやコレクターで、ポケモンや妖怪ウォッチの全モンスター・全妖怪を集めてコンプしたい的プレイヤーとあんま変わらないんじゃないかと、私には見えてしまうのですが(さらに酷評)。昔はこういうデータベース型博識人間が重宝されたり尊敬されたりしただろうけど、今となってはそれはコンピュータに任せることが出来るわけで、AIも台頭してきた現在では単なるデータベース型博識人間は必然的に干される傾向にあるのではと…ただただ自身の持てる知識量・情報量ばかりを誇る時代は終わったのではと(もっと酷評)。
つまり、これは妖怪学はもとより、様々な研究・蒐集にも言えるんじゃないかと、私は考える次第で。
〇〇博士というのがいろんなジャンルで存在するけど(もちろん農学博士・工学博士等の博士号とは別物の;)、前述のデータベース型博識人間というのも多分一定の割で存在していて、「それなら別に人間じゃなくてデータベースにさせときゃいいことでしょ」に、なっちゃうよなぁと(何気に辛辣)。真の知者とは、ただ情報・知識を蓄えているだけの「物知りな人」を言うのではなく、そこ(既存のもの)から砕いて叩いて打ち直して、自身の創意工夫も加えつつ数段上のものを生み出しうる者なのだ…というような話が、以前読んだ井上ひさしさんの著書にもあったよなあと。(踏み込んで辛辣)。

私自身の読書癖を俯瞰すると、
アラマタ先生や京極先生のように、相当量の知識を持つだけでなく、経験・体験からの知恵、自身の立ち位置・信条も しかと持っていて、それらから別の何かを生み出している(お二方とも、図鑑や事典的なものだけでなく小説・物語を書いていらっしゃる)方とか、
あるいは知識や経験としてはそこまで無いかもしれないし、時に表現技巧的なものが足りてないと感じるときもあるけれども(自分のこと棚上げでゴメンナサイだけど;)、とにかく誠実かつ真摯に向き合って描こうという姿勢が感じられるとか、あとは自分に近い笑いその他のツボで落としてくださるような著者の本は気に入って熱心に読むよな、と自己分析するわけです(爆)。
数段上、より高次のものを生み出すのは難しいから、そこまでの要求はしないけれども。かといって既存の知識・情報の上をだけローラーしていて「自分はこんなに知っているんだよ!えっへん」みたいなのは…返しに困る、真剣に困る(地)。こーまーるー・・・るるるるるるるる、るるるるるー・・・

話を戻すと・・・
マニアやオタクといわれる人は「広く根を張る」ではなく「深く根を張る」傾向にあるのだろうと。その長所と短所、とりわけ弱点について指摘されていると言えなくもないかと。
自分も色々と心せねばいかんと思います。。(墓穴)

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