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こはくらと巨樹巨木④~そして伐られずに残った

各地の巨樹巨木を訪ね歩いていると、時折「この木は本来伐られるはずだった」という木に出会います。伐られるはずだったのに、今もそこに在る。それこそ『何か』が起きたからで、伝承として残されているケースもあるようです。

有名なものの一つが、来宮神社の大楠(国指定天然記念物/静岡県熱海市)ではないでしょうか。

嘉永年間(1848~1854年。日米和親条約締結が1854年である)に、当地では漁業権の訴訟で大金が必要になり、境内の楠の木が伐られることとなった。七本のうち五本が伐られ、大楠の幹に木こりが大鋸を当てようとしたところ、突如白髪の老人が現れて遮るように両手を広げた。すると大鋸は手元から真っ二つに折れ、同時に老人の姿も消えてしまった。これは神のお告げだと、村人たちは大楠を伐るのを取り止めた。

これは来宮神社公式ホームページやパンフレットにも書かれている話です。白髪の老人は何者だったのか。大楠の精、化身だったのか。あるいは、木こりや村人たちが心のどこかに抱いていた、「この大楠を本当に伐ってしまっていいのだろうか」という思いが姿をとって現れたものだったのか。今となっては真相を突き止めようもありませんが、伐られずに残ったという結果が、現在も境内の大楠と第二大楠とが参詣者たちの畏敬の念と願いとを受け止めている事実へと繋がっているのは確かです。

他、たぶん全国区で知られているかもと思うのは、血脈桜(北海道松前郡松前町)や、森の神(青森県十和田市)ではなかろうかと。私自身はまだ会えていない木ですが…;

光善寺の境内にある血脈桜に伝わる、不思議な話。
昔、上方見物に出かけた娘が吉野山の尼さんから桜の苗をもらってきて、光善寺の庭に植えた。やがて美しい花を咲かせるようになったが、本堂を建て直すことになったとき、この桜を切ることになった。明日は伐採という日の夜、住職のところに美しい娘が「私は明日死ぬ身です。どうか血脈(けちみゃく/ここでは、極楽にいく証文)をお授けください」と頼みにきた。住職は何やら訳がありそうなその娘に血脈を授けたが、翌朝、庭の桜の枝で血脈が舞っているのを見て、娘は桜の精だったのかと、桜を切ることを止め、盛大な供養をした。それ以来「血脈桜」と呼ばれるようになったという。
(渡辺 典博 著『巨樹・巨木』より)

森の神は日本一のブナともいわれ、当地では「幹が三本に分かれた木には神が宿る」とされたことから伐採から逃れることが出来たと。

ここまでの知名度は無くても、こういった「伐られずに残った木」は各地に結構あるんじゃないかと感じます。
茨城県にもいくつか事例があります(他の記事も読まれた方はお気づきかもしれませんが、自分は「北関東の海あり県」在住者です)。

水戸市六反田町の六地蔵寺には、水戸藩二代藩主・徳川光圀公がその美しさに感銘を受けたというシダレザクラ(※水戸市ホームページ内の文化財の項によると、現在あるのは光圀公がご覧になった木の孫生えという話)など市指定保存樹が複数あり、「六地蔵寺のスギ」もその一つですが。

「昔、お寺を立派なものにしようと信者たちが多くの杉を伐採し、最後にこの大杉を切ろうとしたところ、『火事だ、火事だ』という声がどこからともなくし、木こりは切るのを止め、不安になって家に走って帰ると、木こりの家はすっかり焼けてしまっていた。これは大杉に仏の魂が宿っているのだ、ということになり、この大杉は切られずに残った」
(『茨城の名木・巨樹』茨城県緑化推進委員会 編集・発行 より引用)

と言われる杉の木です。

六地蔵寺のスギ(2018年8月。当時、県重文の中門が工事中だったよう)

茨城県南、稲敷郡阿見町の住宅地に、グミとしては『別格』のナツグミの木・「曙のグミ」があります(県指定天然記念物)。
クリエイターページのヘッダー画像には、この「曙のグミ」の実が熟した頃に訪ねて撮影した写真を使っています。
現地案内板には幹周と樹高の記載はあれど樹齢は書いておらず、『茨城の史跡と天然記念物』(山﨑 睦男・高根 信和 著)によると推定樹齢は約500年。
考えてもみてください。時々庭にグミを植えているお宅は見かけることがあります。けれども樹高10m(※現地案内板記載値)のグミなんて、ちょっと想像しがたいですよね…実際あるんですけど、住宅地にドーンと。
人間は、邪魔になれば木の一本や二本、簡単に伐ってしまいます。私は数年前に、幹周3mになり「巨木」の仲間入りをしようかという、道路脇に立っていた太いケヤキが道路の拡張工事により消えたのを目撃してますから、実感がこもります。ましてや住宅地です。間違いなく宅地造成時に業者は伐ろうとしたはずなのです。でも果たされず、グミの木は残った。
茨城県教育委員会ホームページ内「いばらきの文化財」の項に、

宅地造成時、この樹を伐採しようとして怪我人がでました。
それを仏の祟りと受け止めて作業を中止したといわれています。

至って簡潔に、結構コワイことが書かれています。
そもそも、ここは数百メートルほど離れたところに今もある室崎神社の馬場先であり、木の根元には石碑がいくつか見え、道祖神が祀られているといい。現地案内板には「グミは焼くと人の焦げるような悪臭があることから、村内に邪霊・悪鬼の進入を防ぐ意図で植えられたものと考えられる。」と、これまたなかなか字面に破壊力のある説明がサラリと載っています(汗)。

曙のグミ

同じく茨城県南地域、「曙のグミ」から公共交通を乗継ぎ、うまく繋がれば多分1時間程度あれば行ける場所に、もう一本グミの巨木があります。
つくば市高野台の、高野台緑地公園に立つ「下横場しもよこばの大グミ」。こちらも県指定天然記念物で、推定樹齢は約500年。
前掲『茨城の史跡と天然記念物』に「地元のお年寄りによると、子どもの頃、このグミの実をよく食べていたが、昔と比べるとあまり実らなくなったということである。」とあり、さすがに老いの影響だろうかと思わなくもないです。私自身、時期をずらし数回訪ねていますが、花も実も、その痕跡すら確認できていません……私がたまたま運が悪かっただけで、無事なら・元気なら良いのですが。
かつてこの木の傍に、禅僧の墓などに多く用いられた型の石塔があったことから、菩提樹として植えられたと思われる、と。
僧侶の死を悼み、その生前の行いを偲び、冥福を祈って植えられた木なのでしょうか。
幹に空洞も見え、老いを隠さず陽光を一身に浴びるこの木から受けた印象は、輝きや優しさ・穏やかさ。「曙のグミ」に棘の柱のような何ともいえない迫力を感じたのとは対照的だったことを鮮明に覚えています。
植えられた理由・期待された役割、その違いによるものなのでしょうか。

下横場の大グミ

そして、その立地に驚き二度見してしまうのが、常磐道日立中央ICで降りて近年パワスポとしてすっかり知名度が増した御岩神社へと向かう道の途中、道路のド真ん中、上り車線と下り車線を分かつように立つ「本山もとやまの一本杉」(日立市指定天然記念物)。
一体何がどうしてこの状況なのか。これも「危険だから伐ろう」という話になるのが必然だと思うけど、、と。
ネット上には「伐ろうとした者は不幸に見舞われる。だから今もこうしてそこに在る」「交通事故が絶えなかったが、御神木とし祀って以降は減った」的な噂もあり、本山という場所も少なからず影響しているのだろうかと(その筋では心霊スポットとして有名らしい本山)。
ただ、日立市在住の同好者が運営しているホームページ『きらら』内の「日立の巨樹」の項には、
「脇には宮田川が流れていて、川を埋めて道路を拡張したことで、元々川岸にあったスギは道路の真ん中に立つこととなってしまった。古くから弁財天のご神木として大事にされてきた」(内容要約)
とあり、何だかホッとしましたが。

本山の一本杉

繰り返しになりますけれども、人間はひとたび邪魔になれば木の一本や二本、簡単に伐ってしまいます。
そう、何事も起こらなければ…の話ですが。

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