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【仮説】noteの中毒性は"アハ体験"にあり

「何を考えたのか」を言語化する訓練として、昨年末からnoteを再開した。考えることも然ることながら、それを言語化するのがこんなにも難しいことだったとは……

それでも、いくつか記事を書く中で起きた"アハ体験"が癖になりつつある。

<アハ体験とは>
アハ体験(ドイツ語: Aha-Erlebnis)とは、ドイツの心理学者カール・ビューラー(英語版)が提唱した心理学上の概念で、未知の物事に関する知覚関係を瞬間的に認識する事を指している。
一般的に、アハ体験はドイツ語で “Der Groschen ist gefallen”(硬貨が落ちる = 腑に落ちる)と言われる事がある。

ウィキペディアより

脳内にモヤモヤと浮かんでいる言葉をまとめては削り、削っては付け足し、文の前後を入れ替えてこねくり回していると、不要なものが削がれていき、考えていることのコア(核)が見えてきたりする。

そうか、この情報が自分のココに刺さって、それでこう感じたのか!

みたいな。
自分の思考なのに「なるほどね!」と。これが私のアハ体験だ。

例えば、先日のこの記事。

この記事で紹介している本には「なるほど!」と思うところがたくさんあった。
それらを引っ張り出してきて、感じたことや考えたことをまとめては削り、削っては付け足し、文の前後を入れ替えてこねくり回した結果、コアとして見えたのが「なぜ自分が"ナニモノ"にもなれないのかの答え」だった。

答えのない問題に対しても、「正しい答え」を探してしまう癖のある自分にとって、自分の考えに「なるほどね!」と感じられたのは、書籍代1,650円の元を取って有り余る経験だった

言葉をまとめては削り、削っては付け足し、文の前後を入れ替えてこねくり回している時間は、決して楽しいだけではないが、その先のアハ体験はナカナカ癖になる。
noteはやっぱりオススメだ。(って言えるほど投稿してないけど)


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