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いいねボタンを卒業して自分の意見を表明する~45歳からの自我の確立~

「自分は何者なのか?」

何かに秀でているわけでも、何かに詳しいわけでも、特別何かに思いを持っているわけでもない私は、ずっとこの問にコンプレックスを持ってきた。

10数年もこの問に悶々とし続け「来世で頑張ろぅ……」と半ば諦めていたとき、この本に出会った。

そしてこの一文に、なぜ自分が"ナニモノ"にもなれないのかの答えを見た。

一定量以上の「意見」を表明すると、ある時点から、その「意見の集合体」がその人の自我や人格を形成し始めます。(P63)

自分の意見で生きていこう

自信を持って表に出せる「意見」を持ててないから自分で自分のことを理解できず、アイデンティティを確立しきれていないということか。なるほどナットク。

いいねボタンを押すことで「意見」を表明しているつもりになっていたが、それは意見ではなく「反応」だと著者は言う。

発言によって「その人がどこに立って発言しているか」が明確になっていれば、それは「意見」だと言えるのです。
一方、それらしく聞こえても「そのひとのポジション(立ち位置)がどこなのか、わからない言葉」は、意見ではなく反応に過ぎません。(P40)

自分の意見で生きていこう

物事を深く考えることが苦手で、自分なりの意見に辿り着く前に「まぁいいか」と諦めるのが癖になっていたので、いいねボタンは便利この上なかった。
だが、10数年悶々とさせられてきたコンプレックスと対峙するには、いいねボタンからの卒業が必須なようだ。
今日からは「何がいいと感じたのか」を言語化していこう。

Photo by Jackson So on Unsplash

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