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そして僕らは世界と手を繋ぐ(「君たちはどう生きるか」感想)※ネタバレだらけ

夏休みを取って「君たちはどう生きるか」を観てきました。平日朝一番の8時半上映なのに結構人がいる。話題作ってすごい。
いやあ、とてもよかったです。なんなら最後ちょっと泣いた。いわゆる「泣ける話」ではないけれど、それでも。


私が特に好きなのは序盤、物語がファンタジーに入っていく前のシークエンスです。主人公の少年・眞人が戦争の煽りを受けて、来たくもなかった田舎にやってくる。
この「来たくもなかったところに渋々やってくる」からスタートするのって児童文学の王道ですよね。「秘密の花園」とか「トムは真夜中の庭で」とか。「ナルニア国物語」も1作目は疎開先のお屋敷からスタートしています。
そういう「来たくもなかった系」物語主人公である眞人は序盤どことなく不機嫌で、とはいえそれを表立って出さない程度の分別は身に付いている。でも「なんとなく厭だな」という気持ちは募っていく。新しい母も父も屋敷の使用人たちも眞人に優しいけれど、それは眞人にとって居心地のいい優しさではなくて、だから内心のモヤモヤはなくならない。

メアリは女中から無遠慮に睨みつけられて猛烈に腹が立つ一方で、わが身がいかにも無力に感じられ、自分が理解できるものからも自分を理解してくれるものからも遠く引き離されてしまったような気がしてひどく心細くなり、机に突っ伏して激しく泣き出した。

バーネット「秘密の花園」

世界は自分のためには存在しない。他人は自分の理解者ではない。
至極当たり前で、それでもちょっとむかつくし、なかなか寂しい事実。

この話は、眞人少年がそういう「世界」と手を繋ぐまでのお話でした。

その「完全なる理解者にはなってくれない他者」として象徴的に存在しているのが、ポスターやメインビジュアルにもなっているアオサギです。上映後、私はあのポスターに向かって「お前あんなキャラなのにそこにいるのかよ!」と内心ツッコんだよね。モロ枠だと思っていたらジコ坊枠だった。とんだサギ野郎じゃないか。
アオサギ、「少年を冒険に誘うナビゲーターであり油断ならないトリックスター」なわけですが、思い返してみてもあまりかっこいいシーンが思い浮かばない。むしろ狡いし簡単に裏切ろうとするし、そのくせ間抜けだし見た目も冴えない、ざっくり言うと厭なやつです。ただ、そんな「冴えない厭なやつ」と眞人はどうにかこうにか協力しあって冒険を切り抜けていく。

そんなアオサギと冒険を繰り広げたうえで眞人は「友達をつくる」ことを選ぶ。
私はここが、物語の根幹なのだと思いました。

世界は自分に都合よくはできていない。友達だって友達なりの考えはあるし、その「考え」が常によいものとは限らない。どこにでも一緒についてきてくれるわけでもない(もうひとりの「友達」であるヒミは眞人と一緒に夏子の産屋に入ってはくれなかった)。大人にだって自分の都合はあるし、メンタルごりっごりに弱っていたらこどもに向かって「大嫌い」と言ってしまうこともある。
それでも、そんなものはお互い様なので、だからこそ手を繋ぐのだ。自分のいる場所を選んでいくのだ。
眞人がそう思うに至るまでの話だから「君たちはどう生きるか」というタイトルをオマージュそのままに使ったのかな、と思いました。

まあ、眞人が託されそうになった「下の世界」もわりとヤバい場所というか、食糧が少ないので奪い合いと殺し合いが常態化しているんですけどね。というか「下の世界」の構築者たる大叔父さんも自分の世界の矛盾をわかっているからインコ大王を怒らなかったんだろうな…みたいなところはあって、世界はどういう形にせよ理不尽でしょうもないもの、なのかもしれません。

あと、言及しておきたいのはお父さんの描写ですね。お父さん、おそらく成金が旧家の娘(久子→夏子)を娶った形だと思うんですけど、気前がよくて使用人にも缶詰を持ち込んだりするから好かれているし、家の都合で再婚したのだろう夏子ともラブラブで。帰宅を出迎えた夏子とキスするけど、息子の前では不用意にいちゃつかないのとか、そこそこ配慮のある人だと思う(とはいえ思春期の息子としては親のキスシーン見ちゃうのは気まずい。文句を言う筋合いはないからなおさら気まずい)。
ああいう男はモテるよね…という説得力があったし、一方でナイーブなお年頃の息子的には複雑な存在だという。忙しいだろうに転校初日に車で息子を送っていくのとか、全方位にマメだけど子供の領分に配慮まではなくて、車で学校に乗りつけたりいきなり300円寄付したり、基本的な思考はマッチョ。とはいえちゃんと話せばわかってくれそうな感じもあるし「怪我して帰ってくるなんて何事だ」とかも言わないし、基本的には「いいお父さん」なんだと思う。

こういう「悪い人じゃないし悪気もないし自分には優しいし愛も感じるけど、そういうことじゃない言動多すぎだし何だかうざい」みたいなキャラクターが序盤にいっぱい出てくるの、思春期入りたての子供の内面っぽい描写だなーと思って見ていました。周りの大人のマイナス点がとにかく目に付きはじめる時期で、とはいえ大人にはちゃんとしてほしいみたいな甘え込みの願望もあって。

なので、個人的には「自分の中の12~14歳」を起動して見るといい話じゃないかなあと思いました。象徴的だったのは眞人が「君たちはどう生きるか」を見つけるくだりで、あれくらいの年齢の生意気な子供って親に「この本面白かったから読みなさい」とか言われても、素直に読まなくなるんじゃないかな…と思うけど(そのタイトルが「君たちはどう生きるか」ならば余計に)、眞人は亡くなった母からのメッセージが付いていたから手に取ったんだよね。でもあれ、お父さんとか夏子さんからの本だと思ったらなかなか開かなかったと思う。

この話はあれのオマージュとか、このキャラはあの人のメタファーとか、そういうのは別に大事じゃないよなと思いました。そういうのがなくても普通に児童文学ものとして楽しい話だと思ったし。それはそれとして、オマージュやメタファーを色んな人が読み解いているのは「冴えない奴もむかつく奴も間抜けな奴も裏切る奴もいるし腹が立つこともあるけど、それでも友達と手を取り合って生き抜いていこう」という話をするうえで、作り手が思い浮かべたであろうたくさんの「友達」の顔を透視してしまったからじゃないかなあ。朝ドラの最終週でヒロインが若者を前に人生を振り返るシーンみたいな。

とはいえ、成功者でありつつ偏屈なおじいちゃんが「君たちはどう生きるか」とぶちあげたうえで言いたいことが、自分の生きざまとかよりも「時々腹も立つけど友達はいいもんだよ」なのは素敵なことだと思いました。

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