見出し画像

意見を言っているのか、ただのコミュニケーションなのかがわからなくなりました。

例えばこのポスト

日本版ポスター問題。
日本版を全否定する気はないんですよ、日本版ポスターの方が好きな作品もあるし。
ただ今回『FALL/フォール』の画像を検索したら、やっぱ「やたら文字などで空間を埋める」って良くないと思いました。
これ↓、ほとんど同じ画なのに“高さ感”が全然違う。

「イラスト(写真)作品」としては左の方がかっこいいとは思います。
芸術としては私も左の方が好きです。
ただ、広告としては左より右の方が良いと思います。テレビCMなどをどんどん打てる場合、そちらで作品の内容がわかるので、特に文字情報を入れなくても「あぁ、あの映画か」とわかります。

例えば「シン・ゴジラ」のポスターには「ニッポン対ゴジラ。」と上映開始日、赤バックに黒いシルエットのゴジラというシンプルなものでした。
これができるのは「ゴジラ」というコンテンツがそれだけで「どういったモノかわかる」と理解しているからでしょうし、「シン・」とついているだけで少し文脈を知っている人であれば庵野さんが担当しているという事もわかるでしょう。

そうでない作品の場合、あらすじを書いてあげないと多くの人は映画を見に行くことは難しいでしょう。
ポスターが芸術作品ではなく、「予告」の意味もあるわけですね。

また、製作元にそういったことを依頼されている場合もあります。
「ほかの国でポスターを作成する場合は文字を入れてくれ」と製作元に言われたら、デザイナーさんは当然「芸術作品」を作るのではなく、「どう文字を落とし込むか」ということがミッションになります。

加えて、「何があるかわからないポスター」で行くライト層って少ないと思うんです。
だから予告は丁寧にあらすじを説明しますし、何が起こるのかもある程度分かった状態まで伝えて、「続き(真相)は映画館で」という構成になります。
ポスターも同じです。「(有名な人が出ているのであれば)誰が出る(ファンは見に来てね)」という事をプッシュするでしょうし、そういったものもなければ「こういったことが起きます!こういったことが好きな人は観に来てください!」となるでしょう。
「このポスターの芸術性がすごい!」で観に行くライト層が少ないから今の形になっているのかなと思います。
マニア層はポスター関係なしに見に行きますし。

と、素人の私でもこういった事は想像できるので、きっとこの方もこういったことは知っていると思うんです。
それなのに、こういったことをSNSでつぶやくという事は、これは「問題提起」ではなく、「ただのコミュニケーション」なのかなと理解するようになってきました。

少し調べたらこういった記事も出てきます。

洋画のポスター、日本版はデザイン変えすぎ!? 映画配給会社の言い分は……

SNSで一見「意見」のようなものを言っている人も、「意見のようなもの」であって「意見」ではなく、「コミュニケーション」が多いのかなと思います(意見としては反論が浮かびすぎて意見として成立していない)。

いままでSNS上で見る「意見」や「問題提起」を咀嚼しようとしていましたが、その必要はないのかな、「ちょっと聞いてよ」というマックで会話しているような雑談なのかなと思うようになりました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?