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生成AIで創作が楽になるどころか大変になっているのでは?と思った事。

界隈を取り巻く治安の悪さに関しての話ではありません。

創作をする人は「好きなもの」を追求して「私はこれが好き!」という世界を表現する人だと思っています。

生成AIも一つの道具としてみなすことが出来ます。
道具が増える=創作の選択肢が増えることにほかなりません。

例えば小説。
紙とえんぴつしかなかった時代は、みんなできることが決まっていました。
1時間あたりに書ける文章の量の上限もありました。
それがPCなどの電子機器でより多くの文章を書くことが出来るようになりました。
スマホの登場で移動中すら執筆時間に充てることが出来るようになりました。
プロットを練る際に、Miroのようなツールを使って自由に、無限に張替えができる付箋も使えます。
他にも小説を書く時の補助ツールはたくさん存在します。
それに、文章の校正も人が行うしかなかったのが、電子ツールで校正できるようになりました。

MicrosoftのWordなどでは標準で使えますし、次のようなものもあります。
https://developer.yahoo.co.jp/webapi/jlp/kousei/v2/kousei.html

紙とえんぴつの時代よりもできることが増えてしまったわけです。
できることが増えたのは基本的には喜ばしいことです。

でも、「やらないといけないこと」も増えました。

例えば、小説を書いた際にこういった校正ツールを使わず、誤字脱字がひどいものを公開した場合、「え?なんで校正ツールかけてないの?」といわれかねません。

これが生成AIの登場により、さらに選択肢が増えてしまいました。

「好きなもの」を追求するためには、より正確に言語化する目的でChatGPTとプロットを練り上げるかもしれません。
世界観を広げるためにも使えますし、先に上げた校正といった目的でも利用することが出来ます。
便利な道具が増えても「え?なんで使わないの?」となります。

また、今後も生成AIの登場のおかげで「やらなきゃいけないけど面倒な部分」の外注先として利用できるようになるかもしれません。
個人が外注先を手に入れた場合、余剰時間が生まれます。

その余剰時間で、創作する人はSNSでの誹謗中傷ではなく、また創作に時間を投下するでしょう。
そうなると単に今までできていた人はよりできるようになっていきます。
より「好きなもの」の追求に時間を使うことが出来るようになります。
シンプルにできる人はよりできるようになるという状況が生まれていくのでは?と思います。

こういった形を想像している人もいるかと思いますが、おそらく違います。

私の印象としてはこういったイメージです。
今はまだできる人のサポートととしては力不足かもしれないですが、まだ登場してからの年月を考えると、5年後とかはこうなっていてもおかしくないと思っています。

例として、「元気のいい女の子」のイラストをAIに描いてもらうとしましょう。
ではどんな絵を書いてもらいますか?
髪の色は?髪の長さは?髪型は?目の色は?目の形は?ハイライトの大きさは?肌の色は?表情は?ポーズは?服装は?小物は?靴は?構図は?服の色は?背景は?どういった色の傾向?
何をもって「元気のいい女の子」なのかがわからないと指示ができません。
ざっくり「元気」というpromptを入力して絵のガチャをしている間に、適切な指示ができる人はもっと効率よくイラストを創っていきます。いままでできなかった人もできるようにはなりますが、それでも今までできた人、真剣に絵に取り組んできた人にはかなわないと思う一例です。

また、書けない人はひたすらガチャを繰り返し納得がいく絵が出るまで繰り返します。手が6本あるからもう一度絵を出力しなおしたり、そうしたらまた崩れて……。そういったことを繰り返している間に、絵を描ける人はそこだで手で修正してしまいます。
目の位置がもう少し上に欲しい、もう少し笑わせたい、そういったことも効率よくこなしていきます。

生成AIというパワードスーツは、現時点の能力 * 1.5のように、少なくとも現時点では能力を補助するツールと言った位置づけだと思っています。
そして、道具の選択肢が増え、その道具は日進月歩で成長し、現時点では人間が楽になったどころか大変になっただけではないかと思っています。

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