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1日は平等に24時間じゃないですよね、と思う話

シンプルに身も蓋もない話です。

時計の針は確かに一定の速さで進みます。
でも、私たちがその時間をどのように感じ、どのように使うかは、人それぞれで異なります。
また私たちは時間を時間として扱うことは殆どなく、経験やアウトプットに交換していきます。

この観点からするとやっぱり「お金」という観点がとても大切になってくると思います。

お金で時間を「買う」という現象

今更いうまでもないですが、時間はお金で購入できます。
わかりやすい例でいうと「交通手段」でしょう。
例えば東京駅から新宿駅に移動する際、徒歩よりもお金を払い、レンタサイクル、電車、タクシーなどを利用したほうが早く移動できます。

また、例えば、掃除や洗濯などの家事代行サービスを利用することで、自由に使える時間を増やすことができるでしょう。

お金がもたらす時間の質の向上

さらに、お金を使って時間の質を向上させることも可能です。

電車とタクシーが同じ時間がかかったとして、タクシーのほうが快適に移動できる場合が多いです。その間にビジネスマンであればPCを開いて仕事もできるかもしれません。
電車の窮屈なスペースでPCを開くよりもよっぽどアウトプット量は増えるでしょう。
また、単に移動するという時間の間に静かな空間で仮眠をとったり、場合によってはタクシーの運転手さんと雑談をして気分転換もできるかもしれません。

人の時間を買う

先にも少し触れましたが、家事代行サービスというのはお金で人の時間を購入しています。
時給3000円払うことで他人の時間を1時間購入すると言い換えてもよいかもしれません。
もう少し規模が大きくなると会社のようになります。
実現したいことがあり、自分一人では時間が足りないので、社員にお金を払うことで社員の時間をもらい、アウトプット量を増やしているわけですね。

従業員10人の社員を雇っている社長は毎日10人*8時間+自分の時間、自分のアウトプットに使うことができているでしょう。

経済的余裕と時間感覚の関係

このように、お金を使って時間を購入することは、経済的余裕のある人にとっては一つの選択肢となります。
ただ、この選択肢はすべての人に平等に開かれているわけではありません。経済的に余裕のない人々にとって、時間を「買う」ことは難しく、その結果、時間の使い方に制限が生じる場合がある。

一度ついた差の逆転の難しさ

ということは、経済的な余裕がある人々は、時間を購入してさらに自己投資に回すことができることになります。
例えば、スキルアップのため、自学自習をするよりも有能な先生の時間を購入して学んだほうが効率はいいですよね。
対照的に、経済的に余裕のない人々は、時間を「買う」ことができず、自己投資に必要な時間を確保することが難しいでしょう。
これにより、スキルの向上や新たな機会の探求が制限され、長期的な経済的成長の機会を逃すことになります。
このように、経済的な余裕が時間の使い方に大きな影響を与え、一度ついた社会的、経済的な差がさらに拡大してしまうでしょう。

どこでガチるかというのは思った以上に大切なことだと思います。

自分の時間が他人のためになっている現象

また、そもそも 自分のために使うことができていないということもあるでしょう。
会社で働いている時間は会社の社長や株主のための時間と言い換えることができます。そこで、自己成長とまでは言わなくとも、何か自分がしたいことや会社組織を使って行いたいことができていない場合、自分の時間ではないことになります。
社会性の生き物として、これ自体は喜ばしいことや社会的な責任の一部だと思いますが、時には自分の時間が過剰に他人のために使われ、自分自身のための時間が圧迫されることがあります。

結論: お金と時間の賢明な使い方

1日24時間というのは、科学的には平等なものですが、私たちの生活の質や時間感覚には必ずしも等しくはありません。
そんな身もふたもないわかりきったことを書いてみました。

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