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またひとつ、生きづらさを手放した。

半年働いていた激務職場で気づいたことがある。

私は、自分がちょっと頑張ればできること を断るのが苦手だ。

完全に『いや、私には無理でしょ・・・』と思う不得意なことは、ちゃんと断れるんです。

でも、『まぁこれくらいなら・・・本当はやりたくないけど頑張ればできるか』ってくらいのものは引き受けてしまう。

頼んできた相手がどうしようもなかったりする状況で、自分の方がまだできるってことだと 更に断れない。

どこからともなく『助けるのは当たり前、助けなければいけない』という感情がわく。


なぜ、こんな感情を抱くのだろうか。

こんな思考を作り上げたのは誰だろうか。

と考えた時、浮かび上がるのは母親だった。


最近、父と離婚して一人暮らしを始めた母親。

頼まれるのは 照明をつけて欲しい。テレビ線をつないで欲しい・・・他にもいろいろ。

私もやり方はわからない。でも調べたらわかりそうだったのでスマホ片手に手を貸した。

でも、母の妹にあたる叔母に注意されたんです。

一人で生きていくと本人が決めたんだから、自分でやらせたらいい。手を貸さなくていい』と。


私は無意識のうちに『子が母親に手を貸すのは当たり前。それが義務だ』と刷り込まれていた。

だって昔から、母親のお願いを断ると『そっか・・・ごめんね。変なこと言ったお母さんが悪かったね・・・』と罪悪感を植え付けるような悲しい顔をする。

それを見ると、お願いを断る自分は『悪い子』であると思ってしまう。

『いい子』でいることに こだわりを持っていた私は、それが耐えられなかったんだろう。


激務な職場で働いていた時も、『ちょっと頑張ればできる』を引き受け過ぎてパンクしてしまっていた私。

やりたくないことは、もうやらない。引き受けない。頑張らない。

そう決めたじゃないか。

それは母親に対しても同じ。

誰に対しても『嫌なことは断る』ができるようにならないと、私は一生変わらない。


そう思って、昨日断りました。母親のお願いを。ダイニングテーブル組み立てて欲しいっていうお願いを。

相変わらず、罪悪感を与えてくる『ごめんね』を聞かされた。心臓が抉られるようだった。

でも、言えた。ちゃんと言えた。


私はついに、ラスボス(母親)に立ち向かうことに成功した。ダメージめっっちゃくらって瀕死の状態だけども。

ただ間違いなく、経験値がたくさん入った。レベルアップした。成長した。
・・・RPG例えばっかりですみません(笑)


自分の心と向き合って、トラウマを乗り越えていくしんどさは尋常じゃない。

だから無意識に自分を守るため、本当はわかっていながら見て見ぬふりをしてしまう人も多いんだろう。

私も、何十年も放置し続けていた。

でもそのせいで、社会に出てからもずっと苦しかった。


一生向き合わないままじわじわ苦しむのか、一度向き合って死ぬほど大きく苦しむのか。


生きづらさを抱える人は、選択をする必要があるんだろう。

どっちが正しい、とは言えない。私は後者を選択したけけれど、こんなにしんどい選択をみんなに『選べ!』とは簡単に言えない。


なのでこの文章は『こうすればいいよ!』っていう促進文とは違います。

あくまで私の『記録』です。


自分の『今の』心のレベルに合わせた選択をしてもらいたいなって思います。


・・・・・・それにしても。
一度断っただけで受けるダメージがデカ過ぎるんだが?私の防御力低っっ!

もう今日は美味しいもので幸せになろう〜!立ち向かった自分に!ごほうびっ!✨




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