窓口で怒鳴るジジイの一言にシーンとなった話

 先日、郵便局へ行ったら、妙に高圧的なジジイが局員に絡んでいた。なにかの支払いで来てるようだったけど、対応してる局員に「わかりにくいな!」「遅い!」など、好き放題に文句を言っている。いちいち声がでかいので、不快感もすごい。

 「キレる老人」という言葉が出てきてずいぶん久しいけど、窓口やレジで怒鳴ってるジジイは今どきめずらしくもない。

 こないだも家電量販店で、レジに並ぶ入り口とは逆の、出口から入って会計してもらおうとしたジジイが、入り口から並んでくださいと言われ、店員にキレてるのを見た。「順番抜かしやがって!」などと喚いてたけど、抜かそうとしたのはお前だよ、とその場の誰もが思っただろう。

 こういう老害のいちゃもんは、自分の理解力不足が露呈したことを屈辱ととらえ、怒りに変換してるような場合も多々あるので、今回もどうせそのパターンだろうなと思っていた。

 しかし、窓口にいたジジイはちょっと酷すぎた。ねちねち文句を言い続け、ようやく終わって帰ると思ったら、「はっ! こんな面倒なこと客にさせて、郵便局はチョロい商売しとるな!」と職業否定ともとれるような一言を放ったのだった。

 (おい、さすがに一線越えたぞ)と思った次の瞬間、ジジイはこう言ったのだった。

 「裏では悪いことしとるのになぁ!」

 何を指した言葉なのか一瞬でわかった。クローズアップ現代+の報道で暴かれた、認知の弱った老人を狙った高額な保険販売の件だろう。その場にいた全員がおそらく同様に察して、しばらく静まり返った。

 きっと最初から、この件への文句を言うつもりで来たんだと思う。異常に喧嘩腰だった理由もわかった。もちろん、窓口のいち局員にぶつけるのが妥当とは思わないけど。

 郵政グループのような生活に身近な巨大組織が、弱った老人を食い物にしている。その怒りは当事者からすると、想像よりも遥かに強いのだと感じた。

 郵便局に限らず、いたるところで怒鳴っている老人についても、自分たちを邪険に扱う世の中の空気を察知した結果なのかな、と思ったりもする。高齢者の運転による事故報道なんかがワッと出ると、世の中から責められてる気分にもなるだろうし。

 “子供叱るな来た道だ老人笑うな行く道だ”

 という言葉がある。

 自分がお世話になった過去と、やがてお世話になる未来を想像して、子供と老人には優しくしなさいというような意味のことわざだ。

 老人に片足突っ込んだ世代が好んで使う印象があり、確かに一理あるんだけど、重要な点から目をそらしているのがいつも気になる。

 それは、同じ水準の社会が持続する前提に立っているということだ。

 今の老人と同等の福祉を受けられる未来を想像できない現役世代が、「老人笑うな行く道だ」と言われても、自分たちの「行く道」が、今より遥かに過酷なのは明らか。同じ「道」を用意できてから言えよ、と反発したくもなる。

 現代社会における敬老意識の薄さは、明確にある世代間格差を、現役世代ほど老人が認識できていないことに起因しているように思う。

 老人は自分たちの事を「弱者」だと認識しているけど、現役世代からすると、恵まれた勝ち逃げ世代にも見える。そして自分たちの将来には、今とは比べ物にならない「弱者」が多数発生するのを確信している。

 肉体的には老人はまちがいなく「弱者」だけど、70代、80代どころか、100歳まで生きられる寿命の長さを思えば、「弱者」概念も揺らいでくる。

 ロスジェネ世代が老人になる頃(あるいはもっと早く)、おそらく実現されるであろう安楽死。現役世代が抱える将来のリアリティを、今の老人はどの程度共有しているのだろうか。

 世代間格差は現実認識の格差でもある。異なる世代のリアリティを理解しようとする柔軟さと学習意欲が必須なわけだけど、窓口で怒鳴るような頭の固いジジイにそれを求めるのは難しい。

 ただでさえ「弱者」を自認している人が、「強者」に見える存在のリアリティを学ぼうとするだけでも難しいのに、可塑性を失った老人にそんなことできるわけがない。

 そうして現役世代との認識のズレはますます広がり、社会が厄介者扱いする空気はより濃厚になり、ジジイは被害者意識を高め、窓口で怒鳴る。

 現役世代としては、いくらムカついたといっても、死にかけの老人を殴って捕まるんじゃ割に合わないから、下手に出て、取り入って、うまく騙して、金を奪う。

 さすがに自分の手を汚す者こそ少数派でも、心情的に共感する現役世代は少なくない気がしている。

 格差由来の相互不信は、老人への教育と、その効果による自己負担増、選挙権の自主放棄など、老人側の歩み寄りがない限り解消されないと思う。

 しかし、選挙では老人が多数派を占める日本で、そんな教育ができるわけもなく、できたとしても、今さら認識を変える老人が多数派なわけもない。むしろ、日本の発展を支え、社会貢献してきた自分を邪険にするような落ちぶれた日本を嘆き、古きよき日本の幻影にハマり、ネトウヨになったりするのが関の山だろう。

 ただひたすら行き詰まりを感じるだけのお話をお届けしました。楽しんでいただけたら幸いです。

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