私の「大家さんと僕」

 Twitterを見ていると、新型コロナの影響で収入が無くなり、家賃が払えなくなったという声がある一方、大家さんが半額にしてくれた、助かった、といったツイートも見かける。

 私も賃貸マンションに住んでいるのだが、先日大家さんから家賃を半額にする旨の手紙がきた。ひと月に限った対応ではあるものの、「みんな大変な時期だから」ということで自主的に減額を申し出てくれた。いい大家さんに恵まれたなと思う。

 この良心的な大家さんとは過去にも多少交流があるのだが、今回はあるひとつのエピソードについて書こうと思う。

 数年前の話になるが、マンションのひさしに蜂の巣ができたことがあった。夏のある日、階段を下りていたら腕に激痛が走り、なにかと思って周囲を見渡したらアシナガバチが飛んでいて、巣も見つかった。蜂に刺されたのは小学生のとき以来だったが、こんなに痛かったっけ? と思うほど痛い。

 外に出るときには必ず通る場所なので、退治しないわけにいかず、すぐにドラッグストアで「マグナムジェット」という駆除スプレーを買ってきた。ハエや蚊を殺す「アースジェット」のように容器を縦に持って噴霧するタイプではなく、サイドに付いた取っ手を起こして容器を横に構え、バズーカみたいに噴射する強力なやつである。

 夏の暑いなか、ダウンジャケットにニットキャップ、手袋とマスクと目の保護ゴーグルを付けた完全防備の姿で、憎っくき蜂の巣に向かった。2mほど離れた位置からマグナムジェットを勢いよく噴射すると、驚いて巣から出てきた蜂が無抵抗のままポトポト落ちて死んでいく。こうかはばつぐんだ!

 巣にも十二分にスプレーをかけて、棒ではたいて叩き落した。これで安心と思ったのだが、よくよく周囲を見渡すと、実は巣は一つではなく、小さなものも含めると五つもあったのだった。天井のひさしだけでなく、廊下の手すりにもできている。

 こんな危険な道をいままで気づかず無防備で通っていたのかと思うと、ゾワッと鳥肌が立った。蜂にとって安全な場所だと思われたのか、次から次へと巣ができていったようだ。山や公園の近くに住んでいるとか、そういうわけでは全くなく、都市部の住宅街に建つマンションである。

 とにかく全部ぶっ潰すしかない、と思って次々にスプレーを噴射していったのだが、途中で噴射の勢いがなくなってしまった。中身が尽きたのか? あまりにも早い。巣から出てきた蜂が武器の無くなった私に襲いかかってくる。ヤバイと思って慌てて部屋に戻り、初めてスプレー缶の説明をよく読んでみると、「本品は強力噴射のため、約45秒で全て噴射されます」と書いてあった。ちゃんと読んでから使えよ、という話である。

 1000円ちょっとする商品で45秒しかもたないのか……高いなーと思いつつ、途中でやめるわけにもいかないので、もう一本買ってきた。蜂に気を付けつつ。

 そしてどうにか五つ全部駆除し終わったのだが、絶望的なことに、さらにもう一つデカいのが少し離れた場所にあることに気づいた。二本目のスプレーもすでに使い切ってしまった。さすがにもうウンザリだと思って大家に電話し、蜂に刺されたことと、巣を駆除したけど一つ残ってることを伝えた。駆除し終わったものと比べると位置的に危険性は低いので、ただちに退治しなくてもいいか、と思ったのだった。また1000円ちょっと払ってスプレー買うのはもったいなかったし。

 大家さんは駆除について感謝し、蜂に刺されたことを心配してくれた。次の日、仕事から帰ってくると、もう巣は無くなっていた。すぐに対処してくれて良かった。これで安心して通ることができる。

 蜂に刺されたうえに2000円少々の出費は貧乏くじだったな、と思ったが、自分も住んでる家のことだし、まぁ仕方ない。これからは巣ができ始めたら素早く退治して、「蜂の巣銀座」にならないように気を付けようと思った。

* * *

 蜂の駆除から数日後、大家さんから封書が届いた。開けてみると、入居者が蜂に刺されたことを大家として詫びるとともに、巣を退治してくれたことへの感謝の手紙と、5000円分の商品券が入っていた。

 ああ、個人的な奮闘は無駄じゃなかったな、と思った。こういう事をちゃんとしてくれる大家さんでよかったと思いながら、お礼状を書いた。

 蜂の巣を一掃して以来、もう安心だと思っていたのだが、三日もすると蜂が戻ってきて再び巣を作り始めた。一度作った場所には何度も作る習性があるのだろうか。「させるか!」と思い、三本目のマグナムジェットを買ってきてすぐに退治した。もう駆除も慣れたもので、無駄なく最小限の噴射で蜂を殺せる。この威力はちょっとクセになるほどだ。

 そうしたことを三回ほど繰り返して、ようやく蜂が戻ってくることはなくなった。結局またマグナムジェットを買ってしまったわけだが、大家さんが労ってくれたおかげで惜しくはない。

* * *

 今年も蜂が巣を作る季節が近づいてきた。あれ以来巣はできていないが、できたとしても三本目のマグナムジェットの残量は十分にあるので、すみやかに駆除してやろうと目を光らせている。私がこのマンションをひそかに蜂から守っていることは、ほかの住民はいっさい知らない。そして、それは間接的にだが、いい大家さんのおかげなのである。

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