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適応障害で辛いときは、〇〇を意識せよ

〇〇の部分には、『諸行無常』が入る。

適応障害で辛いときは、『諸行無常』を意識せよ。

これを意識するだけで、心がグッと楽になるはずだ。

「諸行無常ってどういう意味だっけ。なんか古典で出てきたな」

そんな言葉が聞こえてきそうだが(実際に僕も思っていたが)、
・なぜ辛いときに諸行無常なのか
・諸行無常の意味
を僕の実体験を踏まえながら書いていくので、もう少しだけ読んでほしい。

なお、この話は適応障害に限らず、人生で辛い出来事があったときに助けになるはずだ。

無職になった瞬間、人生の終わりを意識した

僕は適応障害を発症した際に、休職の末に「退職」の道を選んだ。

もちろん復職の道も提示されたのだが、「いっそフリーランスのほうが良いのでは?」と当時は思ったのだ。

が、結果的にこれが僕を苦しめることになる。

会社を辞めたらスッキリしたかといえば、全然そんなことはなかった。

むしろ『会社員』という肩書きを失った不安で心がいっぱいになったのだ。

「もし転職するにしても、”適応障害”というラベルがついて回る。そんな自分を採用してくれる会社なんてあるはずがない」

どんどんネガティブ思考に陥ってしまい、一時は「もういっそ人生を投げ出したほうが楽なのでは?」とさえ思ってしまっていた。

『人生の終わり』と本気で思っていたのである。

そこで僕を救ってくれたのが、『仏教思考』という本であり、諸行無常だった。

諸行無常とは、人生の不変を説く教え

『仏教思考』は、僧侶である松波龍源さんが書いており、一度は聞いたことがあるような仏教の教えをわかりやすく教えてくれる本だ。

そして本書のなかで説明されていた仏教用語の1つに『諸行無常』があった。

諸行無常

と聞けば、「諸行無常の響きあり」が思い浮かぶ人も多いだろう。
このフレーズは平家物語に書かれているものだ。

平家物語の文脈でいうならば、『諸行無常』とは季節の移り変わりの儚さ、エモさを伝える用語になっている。

しかし本書によると、『諸行無常』は本来そういう意味ではないらしい。

以下、本書の引用だ。

もし世界が「諸行無常ではない」としたらどうなるか考えてみましょう。ものごとが移り変わらないので、あらゆる苦しみは絶対性を持つことになります。「苦」が発生すると同時に固定されてしまう。つまり、たまたま恵まれない境遇に生まれたら、そこから逃れることができないということです。これでは、あまりに救いがなさすぎます。

それを「そうではないよ」と説くのが諸行無常です。

(中略)

どんな一点、どんな一瞬さえも、それを固定し絶対化することは不可能である。
これが諸行無常の本来の意味です。どんなに苦しいことが起こっても、そこに絶対性はないのだから、抜け出す道はあると諭してくれる救済の教えなのです。

『仏教思考』

つまり、良いことも悪いことも一生は続かないことを示す言葉が諸行無常なのだ。

人生は、そう簡単に終わらない

『諸行無常』の教えを知ってから、「そういえば」と思ったことがある。

それが、これまでも『人生の終わり』を何度も感じていたことだ。

たとえばセンター試験で、大問1つ全てマークし忘れたとき。

数学の試験だったのだが、全て解けたのにマークをなぜか忘れて、20点を落とした。

あの瞬間は、人生の終わりを感じた。
もう大学に入れないと思ったし、浪人を覚悟した。

でも、結果的になんとか国立大学に受かることができて、楽しい大学生活を送ることができた。

それ以外にも、
・新卒就活で内定をなかなか貰えなかったとき
・大好きだった恋人に振られて毎日死ぬほど涙が出たとき
など、人生の終わりを感じる瞬間が色々あったのだが、人生は終わらなかった。

知らぬ間に僕は、『諸行無常』を体験していたのである。

それに気づけた瞬間、なんとなく適応障害で無職になったときも、「この状態もずっとは続かない」と思えたのだ。

これを読んでいるあなたが、かつての僕のように『人生の終わり』を感じていたら、ぜひ自分の胸に手を当てて考えてみて欲しい。

「これまで辛い経験や人生の終わりを感じる瞬間はなかったか」
「その瞬間は今も続いているか」

きっとあなたも『諸行無常』を感じられるはずだ。


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