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物語の種⑩眠れるバイオリン

⑩眠れるバイオリン

 オーストリアの城下町に楽器屋があった。楽器屋の倉庫に一挺(ちょう)のバイオリンが保管されていた。バイオリンは損壊しているが、かつては宮廷音楽の演奏に使われていたという由緒ある代物であった。だが、このバイオリンの価値を知る者は楽器屋の老父(店主)よりほか誰一人いなかった。
 店主が亡くなった。すると、楽器屋の経営が傾いてきた。お金に苦心した楽器屋の息子は、倉庫のバイオリンを城下町の商人に売り払った。
 商人はバイオリンを王家に持参すると、王家は高価な代金でひきとった。宮廷で演奏すると不思議なことが起きた。壊れていたはずのバイオリンが、美しい音色を奏ではじめたのである。王家の人たちはみなバイオリンの音色に酔いしれ、宮廷には日夜問わずその音色が響いていた。
 バイオリンの噂を聞きつけ、隣町から楽器の修繕工がやってきた。修繕工は年齢こそ若いが、修繕の腕は確かであった。楽器の音色を耳にした若者は「バイオリンは壊れていないが、壊れている」と不思議な科白を述べた。そして「このバイオリンを使用するのは危険だ」と忠告した。
 修繕工の忠告は守られなかった。バイオリンの音色を聞いた人たちはその夜から眠れなくなっていた。このバイオリンは音色は美しいが・・・・・・いや、美しすぎるゆえに人民に不眠をもたらす不幸な楽器であった。それゆえに、楽器の悲劇を知る者が倉庫でこれまで眠らせていたのであった。

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