初めての末廣亭で感じた「笑い」と「差別」の関係性
初めて末廣亭に行ってきた。
なぜか行ったことある気になってたが、中を見てびっくり。
江戸時代のままだった笑
今月の目当ては柳家さん喬さんと三遊亭円歌さん。
二人まとめて3000円で聴けたらありがたかったが、円歌さんはお休みだった(当日の出演者がTwitterで発表される。代役も常)
円歌さんが聴けないのは残念だが、春風亭ぴっかり☆改め蝶花楼桃花さんも聴きたかったので行ってみた。
所用があったので遅れて昼の部へ。
以下、簡単な感想を。
最後の方だけ聴けたが、絵に描いたような落語家だった。
誰かが先代の桂文治を「一番噺家らしい噺家」と言ってたが、扇遊さんも佇まいや所作に落語家の粋が滲んでいる。
クラシックで言ったらゲルハルト・ボッセみたいな職人肌か。今度は全部聴きたい。
86歳。寄席の長老格なんだろう。
調性の話をしていたが、「#(シャープ)がなくなって喜ぶのはナショナルだけ」という令和にアップデートされてないネタを披露していた(ナショナルっていつの時代よ😅)
琉球音階の話は面白かった。
重鎮だが、林家三平や柳家小さんの破天荒なエピソードだけ。落語はなし。
コロナに感染したらしく、病み上がりだからか?
以前テレビで見たときも笑えなかったが、私はあまり合わない。
さん喬さんを最初に見たのはEテレの「日本の話芸」だったか。
艶っぽい噺や女性の台詞回しがうまい。恵比寿顔で毒のあることを言うのもハマってしまう。この人の「天狗裁き」なんて最高だ。
今回は「転宅」。さん喬さん曰く「客入りが悪いときに盛況を願ってかける噺」なんだそう(下席初日なのに5割だったもんなぁ😅)。
前にもテレビで聴いた噺だったので、サゲは忘れていたが噺自体にそれほど面白みは感じなかった。
でも表情や所作の一つ一つが好きだなーとしみじみ感じた。
必ずまた聴きたい噺家だ。
休憩を挟んで。
テレビで見てもかわいいが、寄席だと後光が差していた😅
こんなに美人だと古臭いおじさん集団からセクハラにあってないか、いらぬ心配をしてしまう。
噺は「湯屋番」。これもテレビで本人で見た噺だった。
桃花さんは声が通るし、下品?な男の口舌は最高に面白いが、もっと緩急をつけてお客の反応を確かめながらやった方がよいのでは?
わりと自分のペース&テンポでサクサク進めちゃうので、リズムはいいけれど起伏に乏しい感じを受ける。
右の方が「教会で結婚式をあげた」というところから「教会?」「合同結婚式?」と左の方がいじる統一教会ネタが一番面白かった😂
この人は大昔に3回くらい聴いた。10代のときに春風亭小朝さんの追っかけだったので、都内の独演会にあちこち行っていた。
すると、前座で歌武蔵さんが出てくることが頻繁にあり、特に聴きたいわけでもないのに聴くはめに😅
今日も相変わらずの相撲ネタ。北の富士いじりなんて相撲ファンには既知のこと。どうせいじるなら舞の海にしてよ笑
この人の落語を聴いたことがない。毎回エピソードトークで終わる。
この人は中堅ながら噺家の佇まいがありますね。
前に「年取っても独演会じゃなくて、寄席でふらっと一席やってそのままお酒飲みにいくような噺家でいたい」と話していた。
実際そうなってる気がする。
噺は「初天神」。子供の演技がよかった。客席に小学生がいたのでいじったりも。
一之輔さんが終わると帰る人がちらほら。人気者だし、彼目当ての客が多かったのだろう。
私は結構好きでしたね。話し方がスマイリーキクチや浅越ゴエっぽい。高い声でねちっこいというか。杉下右京っぽさもある。
私はランジャタイや錦鯉が苦手。ああいうバカ騒ぎより、こういう飄々とした感じの方が押しつけがましくなくていい。
紐を使った手品で、話術だけでも面白いけど、手品自体も素晴らしかった。また見たい。
女性で初めて真打になったベテラン。
先駆者だから期待して行ったのだが、噺(「持参金」)が長く感じた。
滑稽噺なんだからところどころ笑いを挟んでほしい。生真面目すぎる。
3000円でいろんな噺家を楽しめて、最高にコスパがいい。
小説だとアンソロジーはあまり読まないけど、落語は独演会より寄席の方が面白いかもしれない。
ただ、いまの自分の感覚では「えっ」と思わされる「笑い」も多かった。
ロケット団は「こちら(相方)はパキスタン人です」とか言ってたが、こうした人種や国籍いじりはまったく笑えない。
以前はネプチューンの名倉さんが「タイ人」いじりされてるのを笑ったりしてたが、自分が外国にいて日本人の外見的特徴を笑いの的にされていたらいい気はしないだろう。
誰も傷つけない笑いがベストとは思ってないが、少なくとも「○○人」ネタは私は苦手。
歌る多さんはまくらで「神様が男と女が惹かれ合うように設定?したのに、うっかりしてできたのがあのあたり(2丁目)」というような話をしていた。
こういう感覚の人の噺はとても聴く気になれない。
落語は古いおじさんの世界なので、「笑点」なんて春風亭昇太さんが司会になってからセクハラモラハラだらけ。
恒例の「女子アナ大喜利」で、優勝した女子アナへの商品が昇太さんがプリントされた抱き枕だったときは「キモ!😨」って思ってしまった。
笑いの感覚があまりにも古いのだ。
高齢のぺぺ桜井さんや馬風さんもやはり古い感覚に思えたし、歌武蔵さんは冒頭で「同じ時間を過ごすなら無理にでも笑ったほうが楽しく帰れますよ」という話をやったが長すぎてくどかった。
令和の感覚だなと思えたのは桃花さんとダーク広和さんくらい(一之輔さんもかな? 扇遊さんは全部聴いてないので)。
さん喬さんもあえてだと思うが「つんぼ」や「キチガイ」の言葉を使ってて、意図があって使ってるのはわかったけれど、そういう言葉が出てくるとギョッとする。
変な言い換えは好まないが、そうした言葉で侮辱され排斥されてきた人たちに思いを馳せてしまうのである。だから噺への没入具合が減ってしまう。
昔の話芸だとしても、昔の差別意識まで令和で再現する必要があるだろうか。
笑いは誰かを傷つけても仕方がない。私が笑った統一教会いじりも、宗教2世の人たちからすれば不愉快だろう。
でも、例えば桃花さんがやったのはあまりにもスケベな間抜け男の話。差別的な視点は一箇所もなかった。
差別というのは高いところから弱いものを笑っている。その傲岸な無神経さを不快に思うのだ。
そういう思想を感じた瞬間に「この人はそういう人なのね」と醒めてしまう。
私も以前は物忘れが多くなったことを「認知症」と自嘲していたが、差別的・侮蔑的な感情だよなと思い出してからは使わなくなった。
庶民感情を描いた話芸のはずなのに、当時仲間はずれにされていた同性愛者や外国人をいまなお平気で仲間はずれにしてしまっていいのだろうか。
笑いというのはその人の人生観や世界観を如実に炙り出す。それは一般人も同じ。
あなたが冗談を言ったり何かを笑いに変えているとき、誰かを見下して得意になってはいないだろうか?
それでかまわないというなら私は何も言わないが、あなたはそのままのあなたで生きていくのですか?
と、私自身も自問するのである。
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