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遠慮がちに開店した、野鳥レストラン(エッセイ・ペットロスガーデン⑪)

夏の間、庭では緑が生い茂り、蝶や蝉やバッタ、カマキリ、ヤモリ、トカゲ、ヘビ、おびただしい数の生きものが、その命を爆発的に燃やす。
鈴虫やコオロギが織りなす、秋の虫の音が少しずつ小さくなり、ついには聴こえなくなる頃、生きものたちが、ひっそりと命を終えて、冬が訪れたことを知るのだ。
冬は、庭がしぃん、とする。


そんな冬。
ついにやってしまった。
ずっと、自然界に手を出してはいけないと思ってきたのに。
野鳥はそっと見守るだけと、決めていたのに。
その時私は、寂しかったのだろう。

以前、自宅の庭の木に挿したみかんにめじろが来るのを、楽しみに見ていた90代のご婦人がいた。その時私は、自分のポリシーはさておき、野生に手を出すことになっても、一日中同じ場所で過ごす、このおばあちゃんの楽しみとなるのなら、それもいいことだな、と思った。
あの時そう思えたから、今回私は、自分にもそれを許せたのだろう。

野鳥は、餌となる地上の虫が減る冬でも、木の実を食べたりして、元気に過ごしている。それでも、土中に眠る好物の幼虫を、庭づくりをしている私が偶然掘り出す時、彼らはとても嬉しそうに近づいてくるし、鉢植えを動かした時に、底から足の多い虫が出てきて、ギャーとなった時にだって、すばやくどこからか飛んできて、一瞬で虫を連れ去ったりする。
冬の虫は貴重なようだが、どこかにはいるようだし、冬もなんとか、餌はあるのだろう。

 そんな野鳥に餌をやることは、きっと自分で捕る能力を弱らせるし、本当に余計なことだと、わかっているからこそ、今までやったことがなかったのだけれど・・・。
今年は、静かな庭が、なんだかとても寂しくて、元気が出なくて。
真冬の一番寒い時期、一年の中で、最も餌が少なくなるこの時期にだけと決めて、野鳥レストランを開店した。

めじろは甘い果物が好きだ。
みかんを挿したリースに毎日来て、ちゅるちゅると嬉しそうな声を上げながら食べている。一人で来たり、ペアで来たり。譲り合うペア、奪い合うペア。見ていると楽しくて、心にポッと灯りが点る。
みかんの味にもこだわりがあるようで、無人販売所で買った、無農薬っぽいおいしいみかんは、すぐに皮だけになったけれど、スーパーのみかんに変えた途端、客足が減ってしまった。野鳥レストランは、評判を落としてしまった。お客様の満足の為には、食材の仕入れが肝心だったのだ。
(ちなみに安いピーナッツは不評で、全く誰も食べてくれませんでした。)

ペットを飼えなくなった私にとって、こんなに動物を近くで愛でることができるのは、この上ない喜びだった。
野生の生きものは、見ているだけでいい。距離が近すぎないのがいい。
ふらっと来て、庭でおやつを食べたら、飛び立っていく。その後のことは何も知らない。心を通わせるほどの距離ではない。いなくなったら悲しくなるほどの、関係ではない。

一方で、そんな関係は、少し物足りないような気もしてくる。
いなくなって、悲しくもない関係なんて。涙の一つも出ない、関係なんて。
けれど、動物と深く向き合うことは、今の私にはまだ、できそうにない。

お店の人と、お客さん。今はそのくらいの距離感で、めじろを見つめていよう。庭に春の足音が聴こえたら、少しは元気が出てくるはずだから。

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