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本に囲まれて、埋まりたい。

私は、実はそんなに当初「本」というものが嫌いだった。

今では、活字病と呼ばれるくらいに本だけでは飽き足らずに、ツイッターやら看板の文字が見るのに飽きないのだがそれは、私が高校性になってからのお話しで高校生になる前は、とにかく文字を書くことではなく音読が嫌いで特に、小学生の時にはほぼ毎日あった音読の宿題を嫌っていた。

何故、本を声に出して読まなくてはいけないのかと。常々疑問に感じていた。この回答は、斎藤考さん著の新書の「読書力」や小説家の森美登美彦さんのエッセイ「太陽と乙女」で声に出して読むことは言葉を正しく理解しているかどうかを自分で認識させるためと書いてあり、この説明を小学生の頃に知りたかった。                         「とにかく、読め。」と当時、小学生の私は人と会話するのが苦手どころか大きな声を出すのが声質が低いために出づらく聴き返されることも多かったために苦手意識があり先生の言葉は、ただの脅しにしか聞こえなかった。

それが原因で、私は顔立ちから本が好きそうという理由で、自己紹介も嫌いだったために早く済ませようと思い趣味は、読書と答えて何度も、乗り越えて来た。

そんな私が本好きになったのは、通っていた高校の図書室を逃げ場にしたのが始まりだった。私の通っていた高校は普通科3クラスと特進科2クラスとふたつに分かれており、その普通科と特進科の壁は学力だけでないものが 高かった。体育祭、文化祭は、基本特進科が優勝また準優勝を飾っていたりすることが多かったので、まず普通科は、特進科と仲良くしようなどとは思わない。

当時の私は、特進科に通っておりもちろん、2クラスしかないそのクラスは 3年間では、2クラスしかない特進科の担任で二人だけしか担任が3年間担当しているため必然的にほぼ担任が変わらずに、クラスの人はほぼ顔なじみしかおらずにそれが3年間も続くものだから当然、リセットすることなど出来ない。気持ちの切り替えが出来なくなり、私は中学に増して教室に居づらくなり、昼には図書室に逃げ込んだ。

そんな時に、読んだのがニアミスと呼ばれている作家の湊かなえさんの 「告白」であった。高2病を患っていた私は、どっぷりと嫌な後味のある この小説にハマり映画も3回くらい観た。それから、隣に並んでいた  「少女」読み終え、当時、携帯小説が流行り人気になっていた「王様ゲームシリーズ」を読み漁ったころには、放課後にすら図書室に通い詰め、本屋が偶然高校の最寄り駅近くにあったため、決して多くはなかった小遣いを貢ぐ  くらいに本の虫になった。


自分で文字を起こして文にするには滅茶苦茶に時間がかかる。   ときに、ラクガキにすら一時間でひとつ、ふたつ描けたらいい方な時期すら存在する。想像をちゃんと形にするにはとても表現の勉強が必要だとここ最近になってようやく気付けた。一ケ゚月にひとつの雑誌が市場に出てくること、新聞に至っては朝、夕の一日二回で感服してしまうし、憧る。          それが千円未満で買えてしまうのだから有難い文明だ。

電子書籍は、難しい

だが、最近ユーネクストに登録して無料でいくつかの雑誌が読めるようになったが全然内容を覚えていない。覚えられないのだと実感した。私は、幼少期絵本がとても好きで、電子書籍なんてものはもちろんなかったからなのかもしれない。

だから、私の中では本=紙ではないと本として認識されなくなっていた。別にパソコンがまったく使えないアナログな人間ではないし、この仕組みは何なのだろうか。とりあえず、いろんな雑誌を立ち読みできない私はありがたいので色々ペラペラ読んでいる。

本=紙。

最近、ラノベの「本好き下剋上」を見ていると、本当に自分がいる世界がどれだけ進歩した時代なのか。今、紙の本の時代がどんどん肩身が狭くなっているのかと思うと、紙の本の有難さと印刷技術の高さが伺える。

撮影なんかで人を使う雑誌はそれをもろに今受けている状況で私が好きな雑誌なんかも合併号になっていた。「紙の本を読みなよ」という名言を残したアニメ サイコパスだが、紙の本の物語が貴重な時代。

本どころか、紙すら高価な時代の主人公の第二の人生の舞台の中世。常識というものが、文明が滅茶苦茶に発展途上の中で主人公のマインの逞しさには体は弱くとも熱意溢れる精神力は「好きなもの」のために全力を出せるという強さがすごい。というか、話が全然ラノベ作品にありがちなチートものではなかったから気付かなかった。異世界転生ものだったけど



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