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未来が決まっていたらどうする?〜テッド・チャン「予期される未来」

しばらく間が空いてしまいましたが…

哲学的なテーマがあっていいよ!と勧められてテッド・チャンのSF短編小説集「息吹」「あなたの人生の物語」を読んでいます。

「息吹」の中に「予期される未来」という4ページしかない話があって、これがなかなか深いのです。

スイッチを押す前に未来を反映して光る装置ができた。それにより、未来は決まっていて過去で何をしても変えられないことが証明されてしまう。生きる意味を失い何もできなくなる人が続出。

主人公は未来から過去へメッセージを送る。

たとえ未来が決まっていても、自由意思があり未来を選べると自分を騙してそうふるまえ。それでも無気力になるかどうかは決まっている事なんだから考えるな。

…こんなメッセージを送っても起こることは変えられないし、無気力になる人を減らすことはできない。それでも他に選択肢はなかったんだ。

「予期される未来」要約

どうですか?

救いのない話に思えるかもしれませんが、私は現代にも通じる提言と感じました。

「私はこの生き方しかできない。努力や思考は無意味」
「理想はあるけど、どうせ叶わないんだから考えたって無駄」

と無気力気味に生きるか、

「無駄かもしれないが挑戦することに意味がある」
「どうせなるようになるんだから好きにさせて」

と結果よりも心や意思を尊重して生きるかの違い。

行動に制限があっても、心は自由。

運命が決まっていようがなかろうが、無意味と思えば無意味な人生になるし、意味があると思えば意味がある人生になる。

「予期される未来」の最後の「他に選択肢はなかった」は2通りの解釈ができます。

  1. 無駄だと思ったが、運命で決まっていたので仕方なくメッセージを送った

  2. 無駄だと思ったが、人類のためにこれだけは伝えたいという気持ちが昂り、メッセージを送らずにはいられなかった

メッセージを送ることはあらかじめ決まっていたとしても、1と2ではかなり体感が違いますよね。

そもそも2は自由意志と何が違うのか?

「そうしたい」と思って行動を起こすのは自由意思で、それがたまたまシナリオに合致したのなら、自分の意思で選んだことと変わりないのでは?

「やらされている」「決められている」と思うから無気力になる。

「自分の意思で選んだ」と思えれば、人生を創造していると感じられる。

思考の転換だけでこんなにも人生観が変わるんだ〜と唸らされた作品でした。


私は趣味で占いをするので、「運命は定められているのか?」と考えることもありますが、運命は過去から未来への1本道ではなく同時並行的に無数にあると思っているので、あまり気にしていません。

ハードな出来事が起こるのと、それがハードに感じられるかは全然別の話ですしね。

テッド・チャンの本は他にも考えさせられる話が多いので、興味ある方は読んでみてください。

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