阿部晋三は何故あのように倒されたのか

「安倍晋三は何故あのように倒されたか」

山上徹也氏が安倍晋三を倒した一件について(実行者は別人だという意見もありますがそれはさておき)、私は以下のように考えます。

民主主義では抵抗権が認められています。安倍晋三は生前国会答弁で、「私は立法府の長であります」と言いました。本人は「行政府の長」を言い間違えたと弁明しましたが、むしろ本心では「三権の長」だと思っていたでしょう。

民主主義においては独裁者の出現を防ぐために権力を分散します。日本で立法、司法、行政。しかし安倍晋三はまさにこの三権を全て一人で掌握してしまっていました。行政府の長であることはもちろん、国会でも圧倒的多数を占める与党の事実上の最高権力者、そして最高裁裁判官もほとんど自分の息の掛かった連中で纏め、司法も完全に牛耳った。モリカケの顛末を見れば分かる通り、司法は安倍晋三に指一本触れることが出来ませんでした。

せっかく独裁を防ぐために三権分立の制度を作りましたが、一人の人間がその三権を事実上掌握してしまった。

独裁者であります。

独裁者は、三権を全て掌握しているのですから、民主主義の「通常の」やり方では倒せません。通常のやり方が通用しないときは、非常手段を執ります。なぜならどういう手段を用いてでも、独裁者は倒さなければならないからです。

無論安倍晋三を三権が規定に従って排除出来ればそれがよかったでしょうが、我々は彼の治世をつぶさに見てきたのですから、彼を正当なやり方で排除することは不可能であったことは分かります。そういう時のために、民主主義では「抵抗権」が認められているのです。

ドイツ基本法における「抵抗権」

1. ドイツ連邦共和国は、民主的かつ社会的連邦国家である。

2. すべての国家権力は、国民より発する。国家権力は、国民により、選挙および投票によって、ならびに立法、執行権および司法の特別の機関を通じて行使される。

3. 立法は、憲法的秩序に拘束され、執行権および司法は、法律および法に拘束される。

4. すべてのドイツ人は、この秩序を除去しようと企てる何人に対しても、他の救済手段が存在しないときは、抵抗権を有する。

なお「テロを容認するのか?」と主張する人々は、テロ、テロルの意味を間違えています。テロ、テロルの語源はフランス革命の時ロベスピエール政権が恐怖政治をやり、反対派を次々処刑したことをそう呼んだのが始まりです。つまり本来は「権力者が反対派を粛清する」ことがテロだったのです。それがいつしか権力者に都合がいいように、意味がすり替えられたのです。



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