東邦大学付属東邦中学校

年寄りが昔話を書きます。なので若い人はすぐに逃げ去った方が良いです。しかし寄るんじゃねえ、爺婆!というと真っ先に自分が追い出される歳になってしまいました。哀しいことです。

私は千葉県習志野市にある私立東邦中学校に行きました。今でこそたいした進学校だそうですが、当時は田舎の二流私立でした。私は母親の見栄で開成を受けて落ちたので、泣く泣く東邦に行ったんです。開成落ちて地元の公立に行ったらイジメに遭うのは分かりきっていましたから。

東邦中学校は何から何までいやでした。

まず丸刈りがいやだった。12歳の男子って、昔も今もお洒落盛りです。かっこよくなりたい。時々当クリニックの漢方内科にニキビを気にする中学生が来ます。皮膚科の治療で良くならないと言って漢方内科に来るのですが、もちろん来年還暦の私からみれば中学生のニキビなんか問題ではありません。でも中学生に「そんなもの気にするんじゃ無い」というのは通じません。そう言う年頃に坊主だなんて・・・。来年還暦になる私でさえ年々ハゲが進行するのがいやなのに。

ま、あの学校とは色々とぶつかりました。副担任はまだ教師に成り立ての理科の教師でしたが、あの頃の教師ってそうだったのですが、よく生徒をビンタしました。私はその若い副担任が徹底的に嫌いだったので、しょっちゅうぶつかりました。ある時彼が私をビンタしました。その時私は眼鏡を外し、彼を睨み付けて反対の頬を向けました。

ほう、こっちも殴れって言うのか?と彼はあざ笑ったように言いましたが、私は黙って彼に反対の頬を向けたままでした。そうしたらやがて教室中から拍手が起こり、その若造はそれ以上何も出来なかったのです。その結果、毎回理科の授業では私は一人飛ばされることになりましたが。

音楽の教師とはこんな喧嘩をしました。ある時私が音楽の教科書を忘れたのです。隣の席の生徒に「教科書見せて」と言いましたが、その音楽教師はそれを見とがめ、「教科書を持ってこないような奴は廊下に出ろ」と私を追い出しました。私はしばらく音楽教室の前の廊下に立っていましたが、考えた結果、教室の扉をがらりと開け、教師に言いました。

先生、中学校は義務教育です。私は教科書を忘れましたが教育を受ける権利があります。

そう言って席に座りました。教師は怒り狂いましたが、結局私はその場を動かず、その授業はお流れになりました。

剣道の教師との諍いは前も書きました。剣道場で「神前に一礼」を私は拒んだのです。日本国憲法は信仰の自由を認めている。私は神道を信仰していないから、神前に礼などしないと言いました。

まあその、担任は困り果てたわけです。中学一年の時の担任は手塚先生と言って(下のお名前は失念しました)、どこかの公立学校の校長を定年で辞め、再就職した人でした。社会科が担当でした。

ある時世界地理で手塚先生がイランのパーレビ国王を激賞したことがありました。旧弊を打破し、イランを現代国家にしたと讃えたのです。遺憾ながらその授業があった僅か一ヶ月後、イラン革命が起きパーレビ王朝は崩壊しました。今のイランを人はとやかく言いますが、パーレビ王朝はアメリカの傀儡でした。アメリカはドルを湯水のようにイランにつぎ込み,高層ビルや高速道路を作りました。しかしイランの人々はその手先であるパーレビ王を讃えませんでした。日本人が戦後ドルを湯水のようにつぎ込まれ、保護国扱いされているのにアメリカ一辺倒になったようには行かなかったわけです。その学期末試験で、私は問題にほぼ全て答えた後、余白に「ところで先生、パーレビはどうなりました?」と書きました。

さて年末、賢(さか)しい私は教室担任に年賀状を出すのは一般的に悪いことではあるまいと考えました。それで手塚先生に年賀状を出しました。その文言は覚えていません。普通に年賀状に誰もが書くようなことを書いたはずです。

年が明けて、手塚先生から返信の葉書が届きました。そこには

「君は自分に克つことが大切だ」

とだけありました。

それを見た時、私はかすかに口を歪め、その手紙をどこかに放り投げました。ゴミ箱では無かったように思いますが、何処に放り投げたかもう今となっては分かりません。その頃のことですから、先生の返事は毛筆でした。その・・・お世辞にも上手な字では無かったです。私は小さい頃書道教室に通ったので、下手な字だなあ、と思いました。

手塚先生は公立学校の校長を定年で辞めて私立に再就職したと言いますが、50年近く前の話ですから、今より定年はずっと早かったでしょう。とすると、あの頃の手塚先生は今59の私とそれほど歳は違わなかったかも知れません。もちろん、今では鬼籍に入られたはずです。

しかしこの歳になって、私は時折あの年賀状の返信を思い出します。自分に克つ。結局、今に到るまで私はそれが出来ていません。手塚先生は実によく私を見抜いていたわけです。しかし今の私には、別の言葉もあります。中学一年で私は自分に克とうとは思わなかった。それが私の一生の苦労を招いたのは事実ですが、私がこれまでもし何かを成したとしたら、それは私が若い頃自分に克たなかったらではないか、とも思うのです。

さて、どうなんでしょうねえ。

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