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人生の優先順位を決めたあとは

僕は人の数倍頑張ってきたとはいえない。

近しい友人に高校の時から大人顔負けで働き、親の借金2000万を完済する人もいれば、会社を何社も設立する人もいれば、二人の子育てシンママで誰の援助もなく看護学校に通いながら看護師になり、家を建てた人もいる。

僕の苦労なんて大した事ないのだ。ギリギリに生きている人らはどんな事に対しても他責思考にはならない。ならないというより、なる暇がない、か。これは僕の周りだけの話だが100%そうであり、良い事悪い事丸ごと引き受けていく。

だから、この人たちと友達をやめられない。

友人らは「自分がどうすれば幸せか」をわかっている。自分の機嫌は自分でとる。物事を選択していく時、より自分の理想に近づくために決断する。世の中がどうだとかは関係ない。他人の物差しじゃなく、自分の物差しではかるのだ。

だから、僕は友人らが好きなのだ。

彼(揺れる思春期をー)を見送った後、僕は自分の家族の事を考えた。子育てや生活に一生懸命で毎日あっという間に過ぎていた日を改めて感じてみた。彼が生前友人に託した言葉を聞き、僕は改めて彼の懐の大きさを知る。彼の死から僕のこれからの生き方を考え始めた。

好き放題に生きてきた僕は今度は僕が周りの支えになる事で恩返しをしていきたいと思う様になった。僕がいる事で安心できるなら近くにいるし、役に立てることがあるなら喜んでしたい。大きな事はできないが、僕にできることはしていきたい。それが人生の最優先。

人の為ではなく、これは結局は僕の為。拭えない性違和より家族や周りに必要とされ、僕がいる事で良しとするならば、これは僕の為になるのだ。

その人生の最優先を土台に手術代優先で来た諦めた人生を回収していく。その一つが行政書士の仕事。マンガを見て憧れて、21歳の頃に「お前向いてそうやなー」と言われて目指していた人から教材もらった。でも勉強する暇もお金もなくて諦めた。

コロナ禍の休業中にふと思い出し、今なら目指せるかもしれないと受験勉強を始めた。今とれば20年くらいは仕事ができるかもしれないと。

僕にはとてもじゃないが難しく、毎年勉強方法を模索している。だが、勉強自体は楽しい。憲法や法律だけでなく社会を知る機会を得た。歴史や政治を知り、何言ってるかわからなかった新聞も読める様になった。そして民法を勉強した事で解決した事もあった。

勉強できる環境は妻が作ってくれた。受かるまで挑戦すべき!と言ってくれるのがどれだけ有り難い事か。


僕は人生の最優先の精度を高める為と、この人生のもう一つの章を作る気持ちでもうひと頑張りしたいと思ってチャレンジしている。

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