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未来のことまで謝っちゃう話。

「もし○○だったらすみません」
て、どうやら私よく言ってるみたい。

何かを提出するときに
「もし何か違ったらごめんなさい」

不明点あって質問するときに
「もし私の見逃しだったらすみません」

思うことがあって意見言うときに
「もし見当違いな話だったら申し訳ございません」

…もし、もし、もし。

全部全部、まだそうとは限らない時点で、謝る。起きてもないことでひとまず先に謝る。


今在宅勤務で働いていて、仕事がほぼ文字(チャット)のみのコミュニケーションになったもんだから、
冒頭のように自分がやたらめったら謝ってる文が目につくようになりまして…

これはこれでめんどくさい人間というか、そういう人(やたら謝る人)ってイメージを持たれたらなんかやだなと思い始めた。


だってね、この世の中には
なんかすごく謝らない人もいるじゃない?

明らかにミスして注意されたときに
「ももも申し訳ございません!!!」じゃなくて
なんてことない顔で「承知しました」とだけ
スンと言って終わらせちゃうような人。

いや、承知しましたじゃねーわ!
謝罪の言葉はないんかい!!
と、こっちは思うけど。

でもそもそもそれも
「私だったら絶対ここでまず謝る」っていう感覚があるからこそ、謝らない状態が気になるわけで。
これも私が気にしすぎなだけの可能性もある。

そう思ったらなんか

無駄に謝罪の言葉入れず
シンプルなチャット文で仕事できる人が
羨ましくなってきましてね。。

私の文はとにかく
前置きだとかクッション言葉だとか入れて
まあ、文が無駄に長くなるのなんの。
チャットだと、絵文字とかリアクションで押すスタンプも妙に考えちゃう。私のこの気持ちを的確に伝えたい!って。(もはや簡略化スタンプの意味…)


先に「もし」と未来のこと謝っちゃうのも、
やたら前置き入れたり説明しすぎたりするのも、

結局は私の「未来への防衛」なんですね。

言葉足らずで誤解招きたくないとか。
自分の失礼な言い方で相手を不快にさせたくないとか。

「もし」そうなったらいやだから、
「もし」そうだったらごめんと
先に謝る、、、


……結果、大体が謝り「すぎ」なんだけど。


息子が生まれて退院してきた日、

私がまずやったのはご近所さんの挨拶まわり。
夫と2人で菓子折り持って、
息子の泣き声が届きそうなお宅を何軒か。

「子どもが生まれたので、今後騒音などでご迷惑をおかけしてしまったらごめんなさい」と。

これまた未来の謝罪。

正直、これをやるのは入院中からめちゃくちゃ憂鬱だった。
普段そこまで会わない方々(むしろこの時がお初レベル)に、あちらの時間的事情も読めないまま急に1軒ずつインターホン押して説明していく気の重さったら…。

でも、子どもが生まれて発生するご近所の騒音については
これまで自分が受ける側だったから、
「こうしてくれたら不快な気持ちは生まれにくい」ってのが
経験上、何となくあったんです。

わざわざ直接会って丁寧に挨拶してくれたお家ほど、いい印象が残るから、たとえうるさかろうが広い心でいられるなと。

実際、玄関まで出てきてくれた皆さんは
誰ひとり嫌な顔することなく、
すごくあたたかく対応してくださって。
憂鬱だった気持ちが100%報われたくらい、今でもやっておいてよかったと思うことです。


そう思うと…

未来の謝罪も、無駄なわけじゃないんだよなぁって。

そりゃ過剰だとやかましいけど。

何か言いにくいことを伝えるときに、
それを少しマイルドにする役割を果たしてくれるような気がする。

だから、結局はメリハリ、なのかもしれませんね。

「いつも謝ってくる人」になったら、その謝罪も薄まる(むしろ煩わしい)から、いつもいつもする必要はない。

「いつも謝る人」でも
「いつも謝らない人」でも
どっちでもなくあるためには。

未来の謝罪含め、自分が謝っておくべきと思った時だけ謝るようにする、かな。

なんかすごく当たり前のことをわざわざ結論に持ってきたけど…
つまりは私はそれが出来てないってことです(苦笑)

何でもかんでも謝りゃいいってもんじゃないよね。

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