見出し画像

『やがて君になる』雑感 演出的なお話

本当は一から十まで文章にしようと思っていたけれど無理そうだから、せめて演出的な面で好きなところを2つまとめてみる。
今更私が書かなくてもみんな分かっていると思うし、先達と被ることも多いと思うけれど書きたいから書くことにした。
ここで書くことは唯一絶対の解釈ではないことはここに明記しておく。

境界

物語の舞台装置にはいろいろあるけれど、川とか橋は古来から今に至るまで使われ続けているものの一つだと思う。
主に物理的な距離だったり、時間や感情の隔たりを表現するときに使われる。
もしくは中途半端で不安定なことを表現したりする。橋のこちら側でも向こう側でもないという、どっちつかずな状況とか。

作中でもこの川や橋は何度も出てくる。たとえば二巻最後の河原の場面。

燈子にとって川の向こう岸とこちら岸は、演じている自分と本当の自分。
最初から飛び石に立っていて、どちらでもない狭間にいる。
対して侑は、説得しようと試みる間は岸にいる。
燈子の手綱を取れると思っているから劇を、演技をやめさせるべく、岸に引き寄せようとするのだ。
けれども拒絶されて、向こう岸に行く燈子を引き止めるため手綱を捨てる。
「好き」と「嫌い」を両岸に閉じ込めて、川中に燈子の「好き」という束縛を受けることでそこに繋ぎ止めることに成功したのであった。

次に二人で訪れるのは、6巻の最後。
燈子はもう役者じゃないけれど、最終的な答えを得ていないから飛び石の上にいる。
侑もまだ束縛の中に居るからさも当然のように飛び石の上にいる所から始まって。
けれども解放された侑は燈子を残して岸に上がるという構図になっている。

あとは、7巻の船に乗って川の上にいる場面とか。
燈子は船の上で答えを得るけれど、その場で回答しない。既に二人きりの状況であるにもかかわらず。
なぜなら、わざわざ人払いをしてでも、その答えはあくまで岸に上がった状態で提示されなければならないからだ。

他にも川とか橋はいっぱい出てくるけれど、キリがないからこの辺にしておく。

交差点

5巻水族館の帰りの場面。ここは一つ前に布石がある。

ホームで電車を待つ燈子。電光掲示板には終点の文字。
平行線のレールは、燈子と沙弥香。二人は先のない、理想という終着駅へ向かう。
けれども「どこか遊びに行きませんか」と、どこか別の場所に誘う侑によって終点へ向かうことは回避されるのだ。

翻って帰りの電車。
微睡む燈子は未だ演技の中に。
起こさなければ終点まで行ってこのままの関係でいられるけれど、侑は燈子の手をとって乗り換えを促す選択をする。少なくともどん詰まりの終着点ではない所へと。

乗り換えてもいつか終点に着くと言われればそうだけど、ここで乗り換えたからこそ劇の撤収時の台詞「終わっても云々」に繋がる。

余滴

一瞬出てくるタバコの銘柄が、マイセンなのが良い。ちょっと昔っぽくなる。本当は何を吸ってたんだろうか。今はメビウスだったら熱い。

侑がドクターグリップ。こよみがグラフ1000っぽい。

春風

『佐伯沙弥香について』2巻のクッキーでやる言葉遊びが好き。
沙弥香はどうやっても燈子を燈子にすることは叶わないし、そこに欠けていた「k」が加わることでアナグラムになっていて……

二人にとっての救いはいつでも、春によって。

この記事が参加している募集

#マンガ感想文

20,546件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?