シャニマスと浅倉透にドハマリして一ヶ月が経った話と、このゲームがSEKIROより難しかった話

 突然ですがネットの友人に勧められて2月からアイドルマスターシャイニーカラーズ(以下シャニマス)を始めました。その話をします。

 アイマスは今までずっと手を出す機会に恵まれず、今回初めて本格的に遊んだのですがまあ笑っちゃうくらいこのコンテンツにハマったので、まずはこのコンテンツすげえよこのゲームすげえよこのアイドルすげえよという話を既プレイの方にも未プレイの方にも好き勝手放言します。
 そして、現在グレ4、W.I.N.G.のTrueエンドを周回してちまちま石集めをしながらアイドルへの理解を深めている段階にも関わらず、このゲームが僕にとってSEKIROよりも難しく、僕は未だにシャニマスのチュートリアルをクリアできていないという話をします。結論にたどり着くまでまあまあの文量になってしまいましたがよろしければお付き合い願います。全部で4章あります。

はじめに

・簡単な自己紹介
 コゴリオンと申します。Twitterアカウントは@kogolion
 普段はnoteで日常やゲームについて適当書き散らかしてる他、二次創作小説を時々書いてます。アイドルコンテンツはラブライブシリーズをそこそこ。ゲームはいっぱい遊ぶしゲームライターの記事読むの大好きだけど育成ゲームはほとんど経験無し。今回シャニマスを通して育成ゲー楽しいなって思ったので近々Steam版プリンセスメーカー2がやりたい。
 この記事はアイマス始めたての人間が受けた衝撃について書き連ねますので主にシャニマスのことを知っている人向けですが、そうでない畑の人にも向けて「こういう面白いアイドルコンテンツ、面白いゲームがありますぜ」と街宣するつもりです。
 対戦よろしくお願いします。

・今これくらいハマっています
 2月にプレイし始め、特に調べもせずにプロデュースを適当にこなしていたのですが、後述の『あるアイドル(タイトルでネタバレ)』に情緒をめちゃくちゃにされてからは漬物石抱えながら沼の中をラストダイブすることに相成りました。単にゲームをプレイしているだけでなく四コマ読んだり曲聞いたり1stライブBD見て最後のコメントで泣いたりおまけ映像のお絵かきヒーローショーで泣いたり二次創作小説に着手したり永山の公園で黄昏れたり配信やラジオ通して中の人の推しが増えたり(主に河野ひよりさん)……およそ一ヶ月でできることはほぼやったんじゃなかろうか。自分の場合Twitterで書き散らすと感性が外向きになる(タイムラインの同士にアピールするために無理やり感動をひねり出そうとしてしまう)ので毎日ローカルでシャニマス日記をつけていたのですが、現在35000文字くらいになってます。新しいコンテンツを推すにあたってここまでトップスピードが出たのは、ひとえに自分の性癖を貫通していった某アイドルの所為だ。全く許しがたい。それについては3章で。
 したがってこの記事は、例えるなら沼を漂流している間の自撮り写真を収めたアルバムのようなものです。綺麗なピースサイン見せてやっからよ……

1.ゲームとして見たシャニマスの感想

・育成ゲームの普遍的な面白さについて
 ストーリーモードで一人のキャラを育てて、育てきったキャラを対戦や交流に使うというのはパワプロやウマ娘とかと同じ感じかな? ルーツは分からないにせよ、最初にこのシステムを思いついた人地味にすごいと思う。
 時としてリスクのある育成を狙いに行ったり、ランダムイベントを受けて育て方の軌道修正をしたりと、育成ゲームの根本にある楽しさは「数値の管理とそれをもとにした判断」で、その辺は育成に限らずシミュレーションゲームに共通した楽しさだ。多少運が絡んでいるのも、まあご愛嬌。

・オーディションで体験するユニークな緊張感と達成感
 シャニマスのプレイヤーには数値計算と判断力が求められる一方で、アクションゲームみたいに手さばきや反射神経を求められるシーンは殆どない。唯一、知識や運や課金額を除いたプレイヤーの『操作技術』が求められるシーンがオーディション時のアピールだ。これはタイミングよくボタン押すシンプルなミニゲームなんだけど、そのシンプルさと、もたらす結果の深刻さがゲームとしての緊張感を高めている。三十分ストーリーモードをプレイした結果、苦楽をともにしたアイドルが最後に笑うか泣くかがたった一発のクリックで決まったりするので、ただの操作精度だけではなくてメンタルを試されるゲームになっているのだ。
 メンタルがプレッシャーに負けてめちゃくちゃ簡単なミニゲームをミスって泣きを見ることもあるし、逆に負けそうなシーンで難しいミニゲームを成功させて逆転した時のカタルシスは半端ない。僕も何度アイドルたちに謝り倒したか分からない。
 これがゲーム性として良いのかと言われると、ゲーム好きとしては少々物足りないんだけれど、じゃあ本格的なゲーム要素を盛り込めば良いのかと言われるとそれも違う気がしていて、むしろアイマス的にはこれくらいのゲームバランスが正解なのだと思う。
 というのもアイマスは「自分がプロデューサーとなって担当アイドルと二人三脚で高みを目指していく」という設定なので、シャニマスの「操作面でプレイヤーができることは少ないが、与える影響は時として大きいし、結果がうまく行かなかった責任はプレイヤーが負うべき」とでも言わんばかりのゲーム性はアイマスの世界観と綺麗に合致している。正直この割り切り方に一番感心したかもしれない。アイドルありきのゲームの場合、ゲームとして奥が深いかより、主人公とアイドルに感情移入できるかの方が圧倒的に大事だもんね。
 その辺の臨場感、没入感を高める演出は流石で、アイドルマスターが歴史あるコンテンツとして培ってきたものなのだろうと思う。既にストーリーモード自体は勝手が分かってルーチン化しつつあるが、準決勝、決勝前に音楽変わったりとかの演出も初見時にはかなりワクワクしたし、初めてのTrueエンドを見た時はちょっと放心状態になった。ああ00年代前半のノベルゲームで女の子を攻略しようとやり込んだ人たちはこういう心地だったのだろうかとちょっと思ったり。
 で、このような、プロデューサーとアイドルとの相互関係を重視する姿勢はストーリーにも現れている。

2.アイドルマスターというコンテンツに思うこと

・プロのアイドルとして「生きる」ことの意味
 一応W.I.N.G.は全員分回したものの、まだ曲とかを聴き込めておらず、一人ひとりのアイドルの背景や、立ち絵・作詞作曲の妙についてはまだまだ理解が不十分だけれど、少なくともコンセプトの話をするとアイマスは僕が知っているアイドルコンテンツとはちょっと視点が違う。
 彼女たちは全員プロアイドルで、いつでもアイドルを辞めることができるし実際辞めたくなるようなストレスフルなイベントが作中にたくさん出てくる、その「アイドルとしての進退」が強調されていることが、僕にとっては結構新しかった。
 プロのアイドルを辞める時というのは、人気が落ちた時でも夢を叶え終えた時でもなくて、「辞める」と自分が決めた時である。当然のことなんだけど、ステージ上のアイドルにばかり注目していた僕はこのメッセージになかなか気付かなかった。
 シャニマスのストーリーは基本的にライブに焦点を当てていなくて、彼女たちが体験する物語はむしろインターバルにあるレッスンや、仕事としてのアイドル活動の悩みが大半を占めている。それは実際のプロアイドルときっと同じだろう。そして彼女たちが困難に立ち向かってアイドルを続けるのがプレイヤーにとってのグッドエンドとなっていて、この流れも「あなた(プロデューサー)と乗り越える」という点を強調している。
 過去作については詳しくないけれど、少なくともシャニマスの物語に通底しているのはアイドルを「生きる」というテーマで、「苦難を乗り越え、どうやって自分はアイドルとして生き残るのか」がストーリーの肝となっている。逆に、いつか必ず来るアイドルの「死」は描かれない。
 アイマスのキャラクターは全員個性的だけど、「個性的で良いね」だけで許されることはない。シャニマスのストーリーを読んでいて一番新鮮に感じたのはここで、アイドルとして成長することに、大人になること、Pやファンや親といった周囲との折り合いをつけることがちゃんと含まれている。それって本来テレビやステージ上で表現する偶像には必要ないもの、見せちゃいけないものじゃないですか。けどアイマスはアイドルコンテンツでありながら、一人の人間がアイドルとして生きる、生き残ることを描写の重点としている。
 実際、彼女ら一人ひとりにはリアルな人間としての息遣いがある。

・人間を描いたアイドルたち
 登場人物をテンプレ的な記号として描写するのではなく人間として描写するという技術は昨今急速に発達していて、それはアイマスシリーズも例外ではない。
 これはもう、シャニマスやってる人たちが散々指摘しているから今更なんだけど、シャニマスのキャラクターたちの魅力は、一方面から描かれない性格の深さにある。明るくて賢い子が意外と臆病だったり、精神的に自立している子が精神的に自立しているゆえに助けを求めるのが下手だったり、あらゆる才能に溢れている子がモチベーションにムラがあって危なっかしかったり……どの子も個性的だけれど、性格を構成する要素一つ一つを取り出すと「実在してもおかしくない」という絶妙なラインを突いてくる。全部で20人強、よくまあここまで多彩なアイドルを生み出せているものと思う。プロデュースする立場から見たら欠点にも思える性格にも愛嬌があって、彼女たちのやり取りを見るのは心が暖かくなる。誰がプレイしても、お気に入りの子はきっと見つかるでしょう。

・細部に宿るアイドル達の実在性
 シャニマスがコンテンツとして面白い点は、こういった細かな性格を表すモチーフが作中にたくさん散りばめられている点、プロフィール欄の隅から隅まで、キャラクターの理解を助ける「気付き」が配置されている点だ。そして、『気付いて』しまったファンは(ちょうど今の僕のように)誰かに『気付き』を語りたくて仕方がなくなるという巧妙なギミックが完成している。
 「昨今のアイドルはファン一人一人が自分から語りたくなるようでなければならない。語らせた時点で勝ち」とはもう10年近く前に秋元康が指摘していたことですが、その時流はネットにおいて今が最高潮ではなかろうか(というかもはや「上手に語れる人」に高値がつく段階まで来ている)。
 しかし重要なのは、ファンに語らせるだけではなくて、「語らせ続ける」ことの方だ。キャラクターの性格や関係についてファンがいくら解釈したところで、少なくとも今の段階で明確な答えは提示されていない。供給されるのは立ち絵や楽曲、ストーリーなどによる無限の『気付き』だけ。けれど、少なくとも僕にとってはそれで良い。製作者側が言葉で答えを提示してしまうと、作り手と受け手ですれ違ってしまうことがあるからだ。
 ということでプレイヤーとしての僕は今くらいの空気感が一番楽しめる。特に、今一番気になっているアイドル、浅倉透に関しては。

3.自分の心臓を貫通していった浅倉透というアイドルについて

※ここからの文章は妄想が多分に含まれます。
※ノクチル絡みでちょっとネタバレあるかも。
・俺この娘好きになっちまう
 シャニマスに片足突っ込んだ後で抜けなくなった原因の8割は彼女、幼馴染四人組のアイドルユニット『ノクチル』のリーダー格である浅倉透にある。この子が気になってから積極的にコンテンツを貪るようになってしまった。

 マジ好き。どうしよう。この歳になってここまで性癖に刺さる、いや性癖の中心を貫通してそのまま抜けなくなったのに活動が維持されるほどの奇跡的なキャラが出てくるとは思いもよらなかった。どんなところが好きかって全部。プロフィールの端から端まで好き。名前から血液型まで好き。名前口ずさむ時ちょっと緊張するもん。この見た目と性格で「浅倉透」はやばすぎるだろ。バンダイナムコホールディングスは姓名判断能力に長けた伝説のシャーマンとか雇ってる?
 でも何より好きなのはやっぱりこの子の性格で、感性が独特で核心をついてくるのにアウトプットが伴っていないのがもう本当に愛おしい。多分この子は自分の感性に正直になる能力が世界一発達してるんだけど、そうして手に入れた情緒を大事にしすぎるあまり、感じた事柄を外に出すのに「正しい形」を求めてしまうから一切の敷衍が出来ず、結果として自然体と評されている(この辺はW.I.N.G.で感じたこと)。このナイーブさと貫禄が同居する佇まいが性癖なんですよ。色んな人が心に抱いている感動や違和感とかを表明できる稀有な存在なのに、アウトプットしようとすると彼女以外には分かりかねる物言いになってしまう。その底知れない振る舞いを愛してしまうんです。
 しかも僕は彼女を全くマークしておらず、交通事故みたいな出会い方をしてしまったからダメージがとてつもないことになった。感情は挫傷し、脳は異変を訴え、身体は浅倉透を求めている。
 あの子が何を考えているか知りたい。
 僕はよく分からない女が好き。
 よく分からない女が好き高校に入学したい。
 よく分からない女が好き高校に入学する男女は分かりやすい人間なのでよく分からない女が好き高校によく分からない女はいない。
 中退します。

・人は何故特定のアイドルを推すのか
 僕が浅倉透に心酔しているのは、彼女がアイドルとして僕に与えてくれる希望の光が、まさに僕が人生で一番欲していた希望だからだ。
 アイドルの楽しみ方は人それぞれだけど、数あるアイドルの中から誰かを選ぶ理由はきっと共通していて、「自分の方を向いて輝いていると感じるかどうか」だろう。アイドルは光で、その光に照らされることで自分の中に隠れていた好きなものや夢、希望なんかを刺激され熱狂するものだ。好みの顔やパフォーマンスをしているといった基本的な所から、アイドルの思想や過去に共感したりといった深いところまで、特定のアイドルが自分の求めているものと合致している時、人はそのアイドルを推すようになる。
 シャニマスにおける好例がW.I.N.G.の福丸小糸で、彼女が出した結論である「自分みたいに居場所を見つけられない子にとっての居場所になりたい」というのが、生真面目な彼女だからこそ出せて、そして美しい答えだと思えてぐっと来た。自分の表現したいことを言葉にできる賢さと優しさ……小糸、君は本当に素晴らしいアイドルだ……
 さて、翻って浅倉透のアイドルとしての光はどうか。

・浅倉透は「誰かの透明を肩代わりするアイドル」
 いやほんと新参者の癖して一端の語りしてしまい恐縮なのですが、浅倉透が持っているアイドルとして唯一無二の特性は、あの子が「生き辛さを味わっているはずなのに、同時に生きることは案外簡単なんだと教えてくれている」所にあると思っている。これは【10個、光】のTrueエンドまでプレイした結論です。
 【10個、光】のエピソードでは、「人生の目標は多いほど日々が豊かになるのに、いざ問われるとそれが出てこない」とか、「アイドルとして勤労する自分に価値を見出さないと、なんとなく稼ぐことや贅沢することに後ろめたさを感じる」などのエピソードが出てくる。そういう社会や世間における生き辛さ、自分の中にある違和感のようなものを表明することに関してあの子は躊躇がない。そして表明しても、彼女の身に特別悪いことが起こるわけでもなく、浅倉透はそれらと対局に位置する子供じみた、ピュアな動機や楽しみでもって日々を過ごしている。僕はそんな彼女に「世間で生きづらい人にとっての生きる希望」を見出した。
 世間で生きるためには自分の感性を歪めて敏感・鈍感にならざるを得ない価値観がある。「将来なりたいものを作ったほうが良い」とか「仕事にはやりがいを見出すべき」とかがそれだ。しかし【10個、光】に限らず浅倉透はプロデューサーとのやり取りの中で、その手の誰が決めたかもわからない価値観に対して常に距離を置いていて、けれど平気そうにしている。
 だから僕はそういう浅倉透を見て、「生きるにあたって社会が求める一般的な価値観とそりが合わなくても生きるのは楽しいし、実はその手の価値観を遠ざけて生きることは案外難しくない」という希望の光を受け取ったわけだ。浅倉透の純真さ、透明さは彼女に惹かれる人々がかつて失ってしまった透明さを補って余りある。
 浅倉透は人が生きる上で忘れたり失ったりした『透明さ』を肩代わりできることで輝くアイドルだと思っていて、僕はそんな浅倉透のことが好きだ。
 まあ普通に顔とか声とかも好きなんですけど。

・僕は浅倉透をアイドルとして『推し』たくはない
 僕は上記のような理由で浅倉透が好きであるため、浅倉透には徹底して、ありきたりの富に対して無欲であって欲しいし、社会から切り離されることの美しさと気楽さを体現するようなアイドルであって欲しい。それでこそ浅倉透の良さがあると信じて疑わない。
 つまり僕は浅倉透に対して「透明であって欲しい」と願っている。財布ないわ? 結構。資本主義ごときが浅倉透をどうこうできると思うな。
 一方で、「透明であって欲しい」という願いはトップアイドルという大衆人気とは真逆に位置する。2章で語ったがアイマスの世界観において「売れる」ということはいろいろなことを我慢して周囲と折り合いをつけるということでもあるからだ。『天塵』のストーリーがまさにそのようなテーマを含んでいたし、何より彼女たちのユニット、ノクチルのキャッチフレーズは「さよなら、透明だった僕たち」だ。
 ストーリー上の彼女がそこで板挟みとなるのか、それともアーティストのように大衆が勝手についてくるほどの大人物となるのか。それはまだ分からないし、答えは出ないかもしれない。僕は浅倉透にはずっと今のまま変わってほしくないけれど、一方で、「僕が好きになった都合の良い姿のままであって欲しい」という願望もまた、アイドル活動の弊害としてよくある話だと理解している。マイナーバンドが売れはじめて分かりやすい歌詞の曲を作ったりするとやきもきする人とか一杯いるよね。
 僕は浅倉透を推すことで彼女に雑念を与える存在になるのが怖い。たとえ実際の浅倉透がそんなもの全部無視してくれたとしてもだ。だから僕は自分が『浅倉透推し』とは今の所言えない。かと言って浅倉透の担当Pでもない(これについては4章で詳しく)。

・僕は浅倉透のなんなんだ
 シャニマスを勧めてくれた友人たちから、アイマスには『推し』と『担当』の概念があるという話を聞いた。アイドルとして応援することと、プロデューサーとして一緒に高みを目指すことは違うと。
 まだ定義は自分の中で確立していないんだけど、今の自分が浅倉透に対して抱いている感情はどっちでも無い気がしている。アイドルとしての浅倉透への興味よりもむしろプライベートの人となりが気になっているし、かと言って担当プロデューサーとして浅倉透の日常に干渉したいわけでもない。
 僕はただ、浅倉透が何を考えているか知りたい。あの会話の癖みたいなのを近くで聞いて把握して、対等な立場でやり取りをしたい。
 学校で知り合った浅倉透となんとなく仲良くなって、日常で会話して一人でウケてたい。その様を見られてきょとんとされたい。自分が理解者の面をしたい。シリアスな場面で浅倉透がなんて喋るのか予想を当てて楽しみたい(それこそ『天塵』第6話の樋口みたいに)。そんでもって別の友だちに向かって私の友達にこんな変わった子がいるんだって自慢したい。で、その雰囲気を崩さないままアイドルとしてパフォーマンスする姿に腰抜かしたい。
 この立ち位置を表す言葉をあなたはご存知ですか。
 『ガチ恋』です。
 一番やっちゃいけないハマり方じゃん。
 もしくは『夢女』
 ダメだ。
 僕はもうダメだ。
 いや、実際にはこれらの単語が指す以上にタチが悪い。どうやら僕は『ガチ恋』あるいは『夢女』の立場では飽き足らず、同じノクチルで浅倉透の一番近くにいる樋口円香に若干嫉妬してるまである。アイドルとしての浅倉透だけではなくて、素の彼女をもっと知って彼女の思考に近づきたいと思っている以上、樋口円香の存在は避けては通れない。そして立場上、樋口円香には誰も敵わない。
 つまり僕には『ガチ恋』もしくは『夢女』の素養とともに、『樋口願望』がある。
 感情捻じ曲がりすぎていかついことになってるけど大丈夫か。
 重ねて言いますが浅倉透に関する僕の解釈には妄想が多分に含まれます。

4.僕はまだ本当の意味で「アイドルマスター」を始められていない

・浅倉透のこれからを考えるのが怖い
 ここでストーリーの予測をしていても仕方がないが、少なくとも今の自分が解釈している浅倉透像でストーリーを考えれば、彼女とノクチルが自然体のままアイドルとして大成するルートも、透明さに別れを告げて高みに登るルートも、はたまた『天塵』のような路線を貫き通すルートも、展開としてはあり得る。というかノクチルだけは前述のアイドルとしての『生』だけではなく『死』に向かう展開も仄めかしているように見える。
 その行く末を見ることは純粋に楽しみである反面、怖い。彼女らがアイドルになろうとすればするほど求めていたアイドル像から遠ざかっていく可能性があるからだ。
 彼女たちを見つけてしまった以上、いつか彼女たちが答えを見つける日を見届けないわけにはいかない。
 だけど、その決断に手を貸す人間には今の所なりたくない。そのような理由から僕は浅倉透の『担当』という立場を忌避しているのである。

・『担当』になることの重たさについて
 浅倉透の担当になるということは浅倉透がアイドルとして生きられるようにするということで、そうしてプロデュースされた浅倉透はかつて惹かれた浅倉透とは別物になるんじゃないかという恐怖がある。『天塵』や『海へ出るつもりじゃなかったし』ではそのあたり結論を出さずに描かれているが、(シャニマスがどうサービス運営するかに関係なく)いつか決断の時はやってくるし、決断に担当プロデューサーは必ず関わってくる。
 だから僕は担当として浅倉透の人生に軽率に関与することが怖いし、その立場に別の人間が就いているのだとしたらその人に対して「浅倉透のことをちゃんと理解しているのか、彼女の透明さに干渉することの罪深さを意識しているのか」と問い詰めたくなるだろう。これは僕の中ではごく自然な感情の流れで、きっとそれは作中で樋口円香がPに向けた感情と似ている。
 だからこそ僕は、担当という立場を忌避しながらも担当Pを正当に非難する権利を持つ樋口円香が羨ましい。
 逆説的に、僕は樋口円香があんなにも浅倉透のプロデューサーに敵意をむき出しにする理由がなんとなく分かる。分かるゆえに、樋口円香のこともまた愛おしい。
 繰り返しになるが、今の所僕は『樋口願望』がある浅倉透の『ガチ恋』であり『夢女』でしかないのだから。

・僕が本当の意味でプロデューサーになれる日は来るのか。
 上で述べたような苦悩は、なにも浅倉透に限った話ではない。
 2章で述べたようにアイマスはアイドルを生かすコンテンツであるため、頑張って生きているアイドルの担当Pになるということには責任が伴う。僕は長いこといろいろなゲームをしていたけれど、「一つのゲームのプレイヤーであることに責任が生じる」って感覚は初めてで、こればっかりは一ヶ月経っても全く慣れない。故に僕はいまだにきちんとプロデューサーを名乗れないままでいる。逆にみんなよく平気だな?
 この感覚というか、アイドルに干渉することに関する心理的なブレーキは二次創作をしていても感じる。彼女たちのIFを考えて、それを形にすることが、作り手としての責任の範疇を越えているんだよね。
 なにはともあれ、浅倉透の担当になり、プロデューサーを名乗るためには自分が彼女の傍に立つ責任を背負い込んで覚悟を決めなきゃいけない。それができていない以上、僕はまだこのゲームのチュートリアルすらクリアできていないことになる。というかクリアの見通しすら立っていない。
 アイドルマスターシャイニーカラーズというゲームがこんなに硬派で高難易度なゲームだとは全く予想していなかった。SEKIROより遥かに難しくないですか?
 僕が胸を張ってプロデューサーを名乗れる日は来るのか? あるいは、僕はPではない何かとして、ゲームの主人公と自分を切り離してシャニマスを飽きるまでプレイすることになるのか? それはどうやら僕のプロデューサーとしての自立心にかかっているらしい。
 そんな訳で僕が283プロダクションのPに足る人間であるという自信と誇りを持てるようになるまでの自己啓発研修モードを実装願いたい。
 はづきさん、よろしくお願いします。

終わりに

 以上、最後までお読みいただきありがとうございました。自分の感情を一度総括して吐き出せてすっきりしました。
 色々めんどくさいことも語りましたが、プレイするのもコミュを読んで考察するのもとても楽しいので今のところ続ける予定であります。2ndと3rdライブ楽しみですね。
 未プレイの方もよかったらプレイしてみてください。そして浅倉透について僕の言ってることの意味が理解してもらえれば嬉しいし、理解してもらえなければそれはそれで嬉しい。
 あとやり残した大きなイベントと言えば二次創作。今書いてる小説が6000文字くらいで止まっています。浅倉透も樋口円香も書くの難しすぎるよー(嬉しい悲鳴)

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