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3. 全体論

今回のポイント
・アドラー心理学の基本前提の2つ目は「全体論」
・全体論とは私たちは分割できない「個人」として全体であるということ
・対照的にフロイト は人間の心を、超自我、自我、イドの部品に分けた
・アドラーは感情、認知、行動を統合するものとして「個人」を設定した

今回は5つの基本前提の2つ目として、全体論について取り上げます。

2.1 全体論:フロイトの無意識対アドラーの個人という概念

最初に、あなた自身は何からなりたっているかを考えてみましょう。まず物理的な身体があります。そして、心あるいは精神があります。身体がなくなっても、心あるいは魂は残るという考え方はあるけれども、科学の範囲を超えますので、ここでは身体があって、その上で心があると考えましょう。

さて、身体と心だけで私ができているかというと、それだけではなく、私のまわりにいる人々、家族や友人や同僚がいます。そうした人々がいなければ私もまた成立しないでしょう。さらには私が住んでいる社会やその文化も私の一部を構成しています。違う国に長く住んでいると、自分の一部分は確実に変わる感じがします。私の一部として社会や文化が入り込んでいることの証拠です。

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このように「私」は、大きく分けても、身体、心、社会文化から構成されています。そして、これはお互いに切り離すことのできないものです。私から身体だけを切り離すと、それは物質としての骨や筋肉や神経となります。

対比のためにフロイトの心のモデルを紹介しましょう。フロイトは人間の心を、超自我(super-ego)、自我(ego)、イド(es)の部品に分けました。イドは意識できない「無意識」であるとされました。フロイトの最大の功績は「無意識」というアイデアを提示し、それがさまざまな心のエネルギーを供給しているというモデルを提案したことです。

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もちろんフロイトの心のモデルは仮説に過ぎません。仮想論でいうところの「かのように理解」です。心を超自我、自我、イドからなっている「かのように」理解してみようという提案です。もしその仮説を採用して、いろいろな現象の説明がつき、さらに予測ができれば、理論としての価値があるということになります。

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フロイトの無意識を中心とした心のモデルに対して、アドラーは「個人(individual)」という概念を提案します。私たちは、様々な試練と機会を得る世界の中で生きていて、感情を持ち、認知したり思考したりし、そして行動していきます。感情、認知、行動を統合するものとして「個人」というものを設定したのです。感情、認知、行動はお互いに矛盾したり、葛藤したりするかもしれないけれども、最終的には個人というものが統制しているはずです。その意味でアドラー心理学では全体論という立場を採用するのです。

3.2 無意識が決めるのか、個人が決めるのか

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