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ピカソ作品のもつ〇〇と、シンボルスカ

DIC川村記念美術館 [芸術家たちの南仏] 来た、見た、出会った。


はじめて行った美術館、素晴らしかった。なんといっても、敷地がやたらに広い。屋外展示も何点かあるなかで、森林の続く小道を行くと、鳥の鳴き声、蓮の浮かぶ池、風も気持ちいいし、池の噴水も心地いいんだなこれが。

公園のような芝の広場で寝っ転がって、サンドイッチ食べながら、シンボルスカの詩を読む。ん〜、ベストマッチ。

下草、林、草原、湿原ー
あなたたちに何を言おうとも、モノローグにしかならない
耳を傾けるのはあなたたちではない。

あなたたちと話すのはどうしても必要だけれど不可能なこと
この急ぎの人生で緊急の用事なのに
絶対来ない時まで先送りされている。

(最近、沼野先生が訳したヴィスワヴァ・シンボルスカ『瞬間』の「植物たちの沈黙」から)

美術館の正面入り口の右手には、Frank StellaのLunevilleという鉄クズのようなスクラップの大きな作品が、ユラユラと風にゆれる木々の真下に、どんと構えて展示されているのです。

なんと不思議な、自然と反目してるのか、調和しようとしてるのか?どうも「緊急な用事」を「先送りされている」、その姿がそこには映し出されているんじゃないのかと勝手に思うのでした。


特別展は、20世紀の南仏に集まった画家たちの展示。それらの絵画には南仏の光が与えた影響が色彩に現れてる。それと案外知られてないこと、当然自分も知らなかったが、第二次世界大戦時に収容所があったという事実。

光に魅せられて来た画家もいれば、来ざるをえなかった画家もいたようで、何だかんだと南仏に集まって、新しい絵画の手法などが生まれていったよう。フォヴィズム(野獣主義)、キュビズム(立体主義)、シュールレアリズムなど。とうぜん画家たちが集まれば、それぞれの出会いもあるわけで、新しい事がはじまる状況もそろってたわけだ。

常設展示にはピカソの1910年代を中心とした版画が充実してました。版画って小さいのよ、なんで老眼が必要なわたしは、じっと近づいて見つめてしまう、ジーっと見つめてしまう。それでもってキュビズムの作品だからクイズみたいもんで、こりゃあ女性がいるんじゃないか、とか、ギターがあるんじゃね、とか探しながら見るわけです。

しかし全くわけわからんのもあるわけですが、なぜか惹きつけられるんです。なんなんだろうこれは。ピカソだから何でも凄いってわけではないの。なんていうのか作品のもつ〇〇なんだと思う。〇〇はなんだか言葉にできないんです、悲しいことに語彙力がないわたしには。誰か教えてください、この〇〇を。

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