『ゴリオ爺さん』読書感想文
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タイトル:簡単なあらすじ
この小説は一八一九年十一月末《ヴォーケ館》を取り巻く世界の緻密な描写からはじまり、物語は語り手であるラスティニャックの目に映っていく。
子だくさんの彼の家族は、毎年千二百フランの仕送りをする為この上なく切りつめた生活を送っており、ラスティニャックは真っ先に社会から利益をしぼり取る人間となる為あらかじめ学業を社会の未来の動きに適応させ「すばらしい出世」を準備する青年のひとりだった。
三四郎のように南国から都会へやってきた二十一歳の青年は、後楯になる女性を獲得する為ジュリアンソレルラさながら社交界に飛び込み、出世の為ラスコーリニコフばりに実家に金をせびる。
学識ある博士となるとともに、社交界の流行児になることを決心する彼は二本の平行棒を掘り進める。
パリへ法律を勉強しに来た青年は《ヴォケー館》に集まる下宿人やパリを観察し、認識を獲得していく。ルイ一六世の災難からナポレオン没落までを知るヴォケー夫人、ジャン=ジャックの弟子を自負するヴォートランは社交界デビューの若者に世間の〈悪徳・美徳〉を忠告し、フランス革命の恐怖政治時代に買値の十倍で小麦を売り財産をつくったゴリオ爺さんの言動や行動にラスティニャックは疑惑をもつが、やがてパリの青年たちの無軌道な生活に慣れ、有金をすり、借金をこしらえる。
『神々は渇く』の理想主義政治後、ブルジョワ階級社会に現れたのは、完全なる俗物と化した人間だった。ひとつでも上の階級へ上がることを念願におく行動様式。パリに蠢く人間の集合意識を象徴するかのようなゴリオ爺さんの死。ラスティニャックはゴリオ爺さんの父性愛に崇高を覚える。
そのうちあんたにもわかるでしょうが、わしらは自分自身の幸福以上に、子供たちの幸福から幸せを感じるものですな。それをうまく説明することはできませんが。何かこう心のなかがくつろいできて、身体じゅういい気持ちになってくるとでも言いますか。要するに、わしは三人分生きておるのですな。(中略)いまこのとき、爺さんの声や身振りのなかには、偉大な俳優のしるしとなるあの伝達力があった。われわれの美しいと感情というのは、そもそも意志の詩ではないのか?
新潮文庫230-231頁
しかし、舞踊会へ行く為なら父親の死体でも踏みにじるデルフィーヌに利己的な恋をするラスティニャックは、自分の欺瞞に気づき、社会の欺瞞に気づき、最後パリにむかい挑戦の言葉を吐くのだ。
「さあ今度は、おれとお前の勝負だ!」
『ゴリオ爺さん』から二百年後。現代社会は幸福のために富を獲得・保持・相続し、生涯の資産を増やして、必要性の高い人々の間でだけ分配している。作者バルザックは、小説冒頭でこのように助言していた。ここに書かれていることは、
「すべて真実なのだ」
おわり
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