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7.コーヒーの詩学

 わたしに一遍の詩が書けるのか?

 純粋なコーヒーの〈概念〉は歴史の内に生成されるが、資本主義社会の内で〈概念〉は構造に組み込まれ、記号となって通過し、消費される。

 1. スペシャルティコーヒーはイデオロギーであると仮定する
 2. あるイデオロギーは、他のイデオロギーとの差異によってひとつのイデオロギーとなるのだから、あるイデオロギーには必ず対立する概念がある。
 3. スペシャルティコーヒーの対立概念をインスタント・コーヒーに指定する。
 4. すると〈不味いコーヒー〉があるから〈美味しいコーヒー〉もあるという二項対立が必然的に生じてくる。
 5. 次に以下の文章を読んでもらいたい。

 ときに人生は、ただコーヒー、それがどれほどのものであれ、一杯のコーヒーがもたらす親しさの問題だということもある。
 リチャード・ブローティガン

 完璧な文章などといったものは存在しない…という文章を、かつてどこかで読んだ記憶がある。しかしこの一文はコーヒーという物の本質をとらえた完璧な文章ではないだろうか。

 もちろんこの文章は、生活の言葉でなく、詩の言葉である。

 上記に引用した文章を書いた後、「どういうことか、話そう…」とブローティガンは続ける。そのエピソードには、コーヒーという〈物〉の〈在り方〉を現わすセンスがあるように思うのだ。

 省略し、説明しよう。

 昨日の朝、わたしはひとりの女性に会いにでかけた。わたしたちふたりの間にかつてなにかあったにしろ、もうそれはすんだことだ。
 玄関のベルを押して、わたしは階段の上で待った。彼女が近づいてくるのを、わたしは胃袋のなかで感じていた。
 わたしの姿を見たが、彼女は悦びはしなかった。「気分が悪いのよ」と彼女はいった。「話はしたくない」
 「コーヒーが飲みたいんだ」とわたしはいったが、コーヒーなどこの世で一番ほしくないものだったから、そういったのだ。「いいわよ」と彼女はいった。
 彼女は台所へ行った。棚からインスタント・コーヒーの瓶をとると、それをテーブルにおいた。わたしはカップとコーヒーを見ていた。彼女は水をいっぱい入れた鍋をレンジにかけて、鍋の下にガスの火を点けた。
 彼女は台所を出て行った。彼女はべつの部屋に行ってしまった。扉を閉めた。
 わたしはガスにかかった、水をなみなみとたたえた鍋を眺めた。湯が沸くまでには一年はかかるだろう。十月だったから、鍋の水は多すぎた。それが問題だったのだ。
 わたしは水を半分流しに捨てた。これで、湯も早く沸くだろう。六か月あれば沸くだろう。
 家はしんとしていた。三月になった。湯が沸きだした。このことに、わたしは悦んだ。
 テーブルを見る。インスタント・コーヒーの瓶と空のカップが葬式みたいに並べてある。墓のような一杯のコーヒーを無事からだのなかにおさめて、一〇分後にわたしはその家から去ったが、そのときわたしは、「コーヒーをありがとう」といった。
 「どういたしまして」と彼女はいった。閉ざされた扉の向うで、彼女の声はした。その声は一通の電報がとどいたかのように聞こえた。もう、間違いなく立去るべきときがきていた。
 「一緒にコーヒー飲まないかい?」とわたしはいった。「話をしたいんだ。ずいぶん長いこと話をしてないからね」
 「もう晩すぎるわ」と彼女はいった。「あたし、朝になったら起きなくちゃならないの」。「あたしは寝なければならない」
 春になると青年の心は恋を思う、という。もし、その上に時間が余ったら、コーヒーを一杯飲みたいと思う余裕ももてるだろうか。

 ときに人生は、ただコーヒー、それがどれほどのものであれ、一杯のコーヒーがもたらす親しさの問題だということもある。

 詩人が一遍の詩を表象する背後に、このような生活世界の時間が生成されている。


薄くなる人間


 社会的人格をもった人間が大量に生産され大量の美味しいコーヒーを飲む

 食べ物も衣服も映画も書物も無意識はたくみに操作されている

 マーケティングという言葉の語源はフロイトの甥っ子だった

 人間精神はより多くの〈物〉を作るという国家資本的理念に堕落した

 全体の構造に支配されない〈物〉をつくってみたいとおもわないか

 階級闘争を得てグローバルに確立された政治体制は人間を物質的に豊かにしたが科学技術の発展と共に人間は最先端コンドームのように薄くなった

 たっぷり栄養のいきとどいた薄い健康志向人間

 魂をなくした物質主義者たち

 サガミオリジナルの0.02mmこそ〈素晴らしい新世界〉だ

 美味しいコーヒーの〈記号〉はソーマである
 
 国内総生産や自己資本比率や総資本回転率というイデオロギーはなんら人間に関係するものではない

 かつて経済学者たちは人間を理解することを目的に資本の研究に着手した

 彼らの目的は人間が価値となる社会を目指すことであり〈物〉が人間を使用する社会をつくることではなかった

 カール・マルクスだって言っている

 人間が自分の足で立つのは、自分のみに頼って存在する時、世界に対する関係、すなわち見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、感じること、考えること、意志すること、愛すること、そのそれぞれにおいて、全人格としての自分の個性を主張する時。ようするに、個人としての全ての器官を主張し、表現する時。

 経済学の命題は人間と人間の関係性を研究することにある
 
 本当の経済学者とはヒューマニストのことだ

 ノーベル経済学者たちの示す数値をスクラップしろ

 デマゴーグと無関心という同意をもって統治される薄っす~い人間たち

 平穏な秩序をたもつために抑圧された無意識はスマートフォンに転移され膨大な情報処理にリビドーを射精する

 5GにAIにブロックチェーンにインターネットオブシングスに薄っす~い人間

 システムにのまれる無感覚人間

 どんどんどんどん便利になり

 どんどんどんどん薄くなる

 サガミオリジナルからも0.01mmが発売された

 薄いコンドームをはめ精到する薄い人間たち

 頭を吹っ飛ばされるほどに烈しいコーヒーを飲みたいとおもわないかい

 わたしには生涯一遍の詩を書くこともままならないようだ!

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