「悲しみの果て」という伴走曲
ギターとベースとドラムが重なる、短いイントロの直後にこの歌は始まる。
文字にすると突き放したような冷たい言葉に見えるけど、そんなことはない。この曲は、とてもあたたかい希望の歌だ。
この曲をはじめて聴いたのはいつだったのか。もう忘れてしまったけど、社会人になりたての頃だから20年以上前だと思う。
2024年元旦、震災のニュースを聞いてから、この曲を何度もなんども聴いた。
仕事に行き詰まったときや悲しいことがあったとき、気持ちがこれでもかと沈むと聴きたくなる。3分にも満たない短い曲をかけると、背中を押された気持ちになる不思議な歌だ。
サビから始まるこの曲は、そのほとんどが同じメロディーを繰り返すシンプルなもの。だからこそ、飾り気のない歌詞が心に響く。
そうかもしれない、と思う。悲しみに打ちのめされたとき、前向きになれるはずがなくて。なにもする気になれず、ただ誰かの顔を思い浮かべることしかできない、そんな気がする。
この歌は、やみくもに勇気づけないところがいい。冒頭に続く歌詞もそうだ。
“はずさ”、“本当なんだろう” という曖昧な表現。この曲の主人公は、自分が悲しみに直面してるのではなく、誰かを励ますために歌っているように聞こえる。
無責任なことは言いたくない、でも希望がある言葉を伝えたい。だから、誰かが言ってた言葉に “本当なんだろう” という自分の願望を重ねる。
大きな悲しみを目にすると、多くの人が言葉をなくし、黙ってしまう。ぼくも同じだ。でも、そんなときでもポロっと言葉がこぼれ出るときがある。「がんばって」とか「応援してます」とか。ありきたりの言葉だけど、伝えたい気持ちが勝つときがある。この歌の最後も、そんな気持ちがあるように聞こえる。
送れますように、と遠くから祈る言葉じゃない。近くで寄り添うように、「送っていこうぜ」と歌う宮本浩司の声に「うん」と頷きたくなる。
少し前に、「あなたの伴走曲はなんですか?」という音楽イベントがあったらしい。視聴者から、人生に寄り添ってくれた大切な曲を募集して行われたライブ。
この曲を選んだ人がいるかは分からないけれど、ぼくにとって「悲しみの果て」は、間違いなくとびっきりの伴走曲だ。
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