noteは便利なの? 不便なの?
「不便益」という言葉があります。
京都大学デザイン学ユニット教授の川上浩司さんが提唱した言葉で、敢えて不便にすることから生まれるプラスの要素(=益)のこと。世の中が便利になりすぎて忘れかけている大切なことを思い出そう、という考え方です。
登山は大変で不便とも言えるけど、もし富士山の入口に頂上行きのエスカレーターがあっても登山者は乗りませんよね?
これは極端な話だけど、川上さんは、もう一つ身近な例として保育園の園庭をあげています。東京のとある保育園は3年間かけて平な園庭を敢えて凸凹にしたそうです。中央に象徴的な築山があって全体に起伏のある園庭。もちろん、転んだりケガするリスクは増えますが、子ども達の遊びがより活発になったそうです。
また、山口にあるデイサービスセンターには、意図的に階段や長い廊下などのバリアが施設内に配置されている。日常生活には不便だけどセンターでの生活自体が訓練になり、社会や家庭でのバリアを克服する力を得ることが目的です。
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「不便益」に関する話を読んで、僕が興味深く感じたのは100%の正解がないことです。
凸凹した園庭よりもフラットで安全な方がいいという反対意見もある。デイサービスの中では楽に歩きたい人もいっぱいいる。
だけど、多少の不平不満が出ても、敢えて不便さを残し、新しい価値を生むことは大切なことだと思います。
" noteって不便だな "
と思うことがある
noteを使っていて不便だな、と思うことありませんか?
僕はあります。
最初に思ったのが文字編集機能の少なさ。引用の文字サイズが選べればな、と不満に思ったこともありました。でも、今ではこの少なさがちょうど良くて好きなんです。
あと、Twitterにあるリスト(特定のアカウントやタグのみを表示する機能)がnoteにも欲しいなと思うことがありました。そのときの気分によってタイムライン(TL)に表示される記事を変えられたら便利ですよね。
僕でいえば、朝の通勤電車は、フォローしてる中でもデザイン関連の記事でTLを埋める。帰りの電車は笑えるTL、寝る前はエモいTL。マガジン記事を一瞬だけOFFにして、フォローしているnoterさんの記事だけでTLを埋め尽くすのも読み返すときに便利そうです。
僕がnoteを使っていて ”不便だな” と感じたとき、必ず考えることがあります。
「 これ、わざとかな?」
意図的に不便にしているのか?
特許の問題なのか?
他に何か理由があるのか?
仕事柄、ユーザー体験で疑問に感じたことは考えこむ癖があるんです。
で、リスト機能はあったら便利か?
つけるか否か?
なんて話になったら、note的には不要な機能なんでしょうね、多分。
リストは便利だけど、その機能があると"フォロー"が軽くなる気がする。フォローバック目当てでフォローしまくる人が増えちゃうかもしれない。どれだけフォローする人を増やしても、本当に見たいnoterさんをリスト化すれば記事を見落とさないですみますしね。
noteにリストやミュートがないのは、敢て不便さを残して、フォローに重みを付ける。ユーザー同士の繋がりを大事にしているのかな?、と思っています。
あと、最近話題のPC版のTLに出てくる「編集部のおすすめ」と「閲覧記事にもとづくおすすめ」。
これも便利なのか不便なのかよく分からない機能ですね。
一度、カバー画像にプリンの絵を使って投稿したんです。そのせいか、「プリンをネタにしたマンガ」が超高頻度でおすすめされるようになりました。
読みたい気持ちもあるけれど開いたら最後、僕のTLはプリンで埋め尽くされるんじゃないかと心配で開けられないんですね。プリン好きを公言しているあらしろひなこさんのTLはきっとプリン一食… じゃなくてプリン一色ではないでしょうか?
もし、note酒場でお会いできたら教えてください。
この機能、賛否両論ですね。
便利という人もいれば、見たくない!という人もいる。バランスのいい折衷案として「ON / OFF」機能を付けるという意見もありますよね。
う~ん、どうなったら僕は嬉しいのだろう?
個人的にはカスタマイズ機能は付けないで、継続するなら改善しつづける。
やめるならスパっとやめて欲しいです。
カスタマイズって便利だけど、noteさんには不器用でいて欲しい。器用にお客の好みに合わせる姿ってnoteさんぽくないなぁ、と。
(noteさんってなに?と思った人はコチラの記事を)
カスタマイズ性を上げると便利になる反面フィルターバブル化に繋がるので、それもnoteっぽくないのかなと感じます。
◆
実家のトイレのドアがとても開けづらいんです。ドアノブをひねり、そのままの状態で上に押し上げて開ける。
めちゃくちゃ不便です(笑)。
でも、実家に帰ったとき、開けづらいドアがそのままだとホっとします。
それって愛着ですよね。
不便が愛着に変わると最強なんです。
もう離れられない。
でも、公衆トイレのドアが、いつも開けづらかったら誰も使わないです。
不便が愛着に変わるには、ノスタルジーかデザインの力が必要だと思います。逆に便利もやり過ぎると不快になる。
noteは、隅々まで計算されて便利で快適!
そんなんじゃなくて…
不便なところも憎めない、愛着が溢れる場所
そちらの方が僕は嬉しいですね。
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