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妄想散歩

────エッセイ

土曜日の昼下がり、犬の散歩をしていたら近所の小学校でドッジボール大会をやっていた。小さい子から大人まで入り混じる20対20くらいの大人数での試合。多分、町内のイベントなのだろう。

歓声があがる中、ボールに当たった人が外野に出ていく。当てた人も当てられた人も、お互いに笑顔でなんとも微笑ましい。

穏やかな休日の日差しに包まれて、その光景を見ながらふと考えた。両チーム最後に一人ずつが残った場合。Aチームは小さい子、Bチームは大人だったなら、どんなドラマが生まれるのだろう。

ボールは、ゆるい放物線を描いて飛んできた。だれでも取れるチャンスボール。一樹くんは、勝利を確信し「よっしゃー!」と気を吐き、捕球体制に入る。

つるん

マンガでしか見たことない擬音語が聞こえたかのように、一樹くんの手からボールが滑り落ち、僕の目の前に転がった。

「ぐわぁ~、しくったぁ! 雄馬のお父さん、頼んだよ! 手加減しちゃダメだかんね」

自陣の中には僕ひとり。相手コートには年長さんになったばかりの雄馬ひとり。外野は当てても戻れないルールだから、圧倒的にこちらが有利だ。というか、負けるわけがない。ギャラリーのテンションは最高潮。親子対決がどう決着するのかを見守っている。

この勝負、勝つべきか負けるべきか……。

勝負に徹して、お父さんが勝ってはドラマが生まれない気がする。わざと負けた方が展開が広がりそうだ。これがきっかけで子どもとの関係がギクシャクしちゃうみたいなホームドラマ風の話しとか(もちろん最後はハッピーエンドで)。じつは子どもが未知なる力を持っていて、お父さんを吹き飛ばしちゃうSFっぽいのもいい。

書きものをするようになって、こんな妄想をすることが増えた。なにげない日常の中にも物語は隠れてるもの。目の前で歓声をあげる人たちを眺めながら、あれもいい、これもいいと頭の中にあらすじを思い浮かべる。

もちろん、その物語は稚拙すぎて書き起こすほどのものではなくて。でも、主人公の仕事とか、子どもは何歳で男の子か女の子かどちらの方が物語が膨らむのかなどと、登場人物の設定を妄想するのは楽しい。

一時期、ショートショート的な物語を書いていたときもあるが、2年以上書いてない。とにかくアレは時間がかかるし根気もいる。書き上げたときの達成感はすごいけど、そこに至るまで気力も労力もいる。

でも、最初のとき。真っ白なノートに、一文を書き始める瞬間はなんともいえない高揚感がある。

映画館で作品が始まる瞬間
お気に入りの新作漫画を開く瞬間
読みたかった小説を本屋で買う瞬間

どれもワクワクするけど、物語の書きはじめに心が踊る感覚には別の嬉しさがある。久しく忘れていたその気持ちを、散歩の途中に思い出して嬉しくなった。



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