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【娯楽の塵】オレンジジュースの類

清涼飲料水用スチール缶(オレンジ果汁飲料)

推定投棄日 1974年ある日

1974年
小野田少尉帰国

 このゴミを捨てた人が娯楽を満喫(おそらく)していた日、ある一人の日本兵がフィリピンから帰国した。彼は1945年終戦の後、日本の戦いはまだ終わっていないと信じ、任務解除命令を受けるまでフィリピンのジャングルに潜伏していた。29年もの間。

 一体どうしてそんなことが起こり得たのか。書籍や映像、当時を語る記事があり、検索すれば何があったのか知ることはできる。戦争がまだ続いていると信じるに値する事象があったのだろうと。けれどメディアを通して知ることは、大小あれど其々のもって行きたい方向へと色づけされたものだから、適当なことを掻い摘んでこう思うああ思うとは言えない。ただ確かなのは「娯楽」に関して言えば彼にとっては無縁の29年間だったのではないか。それ以前の戦争時代も合わせればもっとになる。

 戦争は悪だ。戦争が無ければ多くの罪のない命が罪ではないという大義名分の元奪われることも無い。娯楽でブヨブヨになった頭ではそんなことも分からなくなる。

 想像する。その日の空港、多くの報道陣が詰めかけ一斉にカメラを向けられ歩く日本兵。遠くの方に見えるのは母と子の姿。手をつなぎ楽しそうに話している。子の手にはその手に収まりきらないくらい大きな缶ジュースがしっかりと握られている。彼にはそれが何なのか分からない。知る由もない。母と子は立ち止まる。母が子の缶ジュースの蓋を開けてやる。子は両手でしっかりと缶ジュースを持ち口元に近づけてごくごくと飲み始める。日本兵はごくりと唾を飲み込む。「ああ、何か飲んでいる、美味そうに」それがアメリカ発信の名を付けた缶ジュースであることなど彼には知る由もない。

 

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