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腕を掴んで #26(そのゴミは誰のゴミ)

2023年10月 


1年が経ち、100回が過ぎた。

遠くに見ていた蜃気楼は蜃気楼で

救済者も夢想家もそこには居なかった。

自由があり
介入のない孤独があり
希望を持ち
絶望があった。

後悔は無く
探求する命が尽きることは無い。

この表現の前と後
それはどこまで続いても知る前と知った後。
その中心に芸術を知る男がいた。

芸術はしっかりと私の腕を掴んで、その存在を伝えた。この感触を忘れるなと。

よく分からなかったのは
触れたことが無かったから。
届くところまで進み
手を伸ばして触ろうとしなかったから。
でもそれは檻の外から手を入れるようなもので
好奇心と恐怖がこの手を糸で操っていた。

ひと塊がふた塊に
広がって丘になり
また積もって山になる。
気付けば私はゴミの森の中に立っていた。
檻の外ではなく、中にいた。
そして腕を掴まれた。

何処かへ連れて行かれるわけじゃない。
ずっと掴まれたままでもない。
すーっと見えなくなるのだけれど
強く温かな感触を身体の隅々まで行き渡らせて
さあ 大丈夫だと
暗くなった森の中で
眠りにつく。

夢を見る。

よく知る人と
いつもの会話
大量の消費と
隣の芝生

366日目の朝が始まる。










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