愛とかなんとか知らねぇけど
パートナーがいる日々が始まってもうすぐ2年だ。
お互いにたくさんの友達を紹介しあい、あちこちで意気投合し、こんな縁や広がりが起こるもんなんだと日々思わされ、「かぞく」というものが手におりてきたような気がしている。
「かぞくだから」とか「こいびとだから」とか、そういうのが頭の辞書のなかから私はすっぽり抜け落ちているから、時たまそういう話だしをする人と会うと、(そうかそうか)と思う。
「婚姻関係」という契約書を交わしてもなお、そのあたりが辞書に書き込まれることはないようだ。
ワタシハ、トクシュナノカモシレナイ。
もう少し若い頃はそんな風に思ってたかもしれないけれど、今やワタシは私。大切だとそのとき思った人がその対象だ。
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話は少し変わるが、パートナーの友人のひとりが私のこころをくすぐってくる。その人が先日「愛ってなんだい?」と聞いてきた。
そのまっすぐな目と質問を向けられたその場にいた人たちは、あぁだのこうだの応えた。
しっくりきたものがあったのかはわからない。けれど彼は、「愛とかなんとか知らねぇけど、たいせつだなって思うときはある。」と続けた。(そうかもしれない)(私もそうかもしれない)と思った。
たいせつな奴のたいせつな奴はたいせつ。誰だろうが関係ない。もしかしたらそれが人じゃないかもしれない。だとしてもなんだ?気にしない。
彼は「たいせつ」を大事にすることをよく知っている。そう感じた。
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私は「かぞく」ってものをこうやって作っていきたいのかもしれない。「たいせつにしたい」と思える人のコミュニティをこう呼びたいのかもしれない。
そこに誰かを組むこもうともしないし、基準を明言化することもしないだろう。確かめ合うこともない。自分の中だけで完結する「かぞく」をたいせつにすることがしたい。
彼が私をくすぐるのはそういうところだろう。
愛とかなんとか知らねぇけど、たいせつだなって思うときはあるんだよ。
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