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御礼~トークライブ振り返り 同居母枠で語るRK

初めての試みながらも,楽しく,ドキドキ,そしてリスペクトあふれる夜となりました!!

Facebookページより配信(引き続きご覧いただけます)されたトークライブ

うなづいたり拍手したり,登壇者というより一視聴者のごとく,すっかり楽しんでしまった!!

手控えのメモもどっかにいって,アドリブトーク炸裂しつつも,学びと敬いあふれる時間は,心穏やかに過ぎていく・・・気づけば50人以上の方に一斉に視聴いただき,コメントも盛況で~アドリブで質問に答えながら,降臨する,険しき共同養育への道すがら身に着けた戦術ともいえるあれこれ・・・

親愛なる母たちよ

母は強い

母は泣かされている

母は泣かない

母は涙を拭いて立ち向かう

悲痛な声だって届けたい

声をかき消され,いないように見えなくされていた,母の実像

別居母・同居母,なんて呼び合うことも乗り越えて,なんだ,母同志じゃん,にたどりつく

悲喜こもごもあふれる中で,険しき道のりをくぐりぬけた先に見えてくる,わが子への想い

わが子を想うからこそできることもある

無理を乗り越えて,現状を受け入れて,そして未来を描いていく

ワクワクとドキドキと,やっぱり少しモヤモヤもあるかもしれないけども,冒険に発つごとく,凛としたものがあふれていく

安易な表現がかえって誤解を招くのではないかという恐れもあるのだけど,やっぱり,どういうカタチであっても母であり,しなやかに美しく生きる母たちへのリスペクトを伝えたかった

企画の言い出しっぺの本音としては,そこ

まるで神のように?皮肉られる???単独親権者たる同居親とて,モヤモヤがいっぱいあったりする・・・そんなのしょせん,子どもと一緒にいるんだから何言っているんだ,というツッコミさえあるだろう

仕事上,耐えがたきを耐えの連続たる別居親さん方のくじけない親心だったり,お子さんへの愛情があふれる中で,行動力には頭が上がらず,微力にもなれないことに恐縮する連続なのだけど,子どもと一緒にいるからいいだろう,で済むわけないだろう,というモヤモヤも実際あって,でも,あえて詳しくは表現しないけども,不意に,自分が別居親の方が,王道の闘い方をしながら,両親に愛される環境を造れるんじゃないかとよぎったこともあり・・・

そこから,いろいろな角度でいろいろ考えて,空回りして,単純に・・・でも,そうは簡単にはいかないものよと辛らつに怒られつつも,やっぱり,たどりつくのは,別居も同居も,そんなのの壁はなく,母なのだ,ということ

置かれた立場の違いがありすぎて,同じと言い切るにはリスクがあるという指摘も理解しつつ,ひとつだけは確認しておきたい

別居母もシングルマザーである

シングルマザー支援団体は数多くあれど,一番悲しいのは,子どもと暮らしていない場合には支援の対象外とされることがあるという話である

どうして別居母となったのかという経緯にも寄り添わず門前払いにするなんて,とんだセカンドハラスメントそのもの,だろう

シングルマザー支援として,別居母も対象に含めるべきだ,という声をいただいたこともある・・・そのとおりだと思う

養育費支払義務が強化される社会の空気の中で,今後も増えていくだろう別居母だって,養育費を支払うことが要請されていくだろう

払えないからといって,許される雰囲気はなく,子どもと会っていくには当然養育費も負担していくことが期待されていくかもしれない不寛容社会へと変容してしまった

そうすると,大切なのは,就労支援になる

子どもと暮らしていなければ,働き方の制限はなく,収入向上のためにできることがある,なんていうのは無責任な展望だろう

どうしても,社会の構造上,安価な労働者の枠しか提供されていないという仕組みになっていて,子どもと一緒に生活していないから,というだけで,高収入の労務に就ける機会があるとも限らない

長く足踏みした浪人生活中「ママ」の肩書?しかなかったが,ずいぶんそれによって自己肯定感をキープできたところもあったと振り返る

もちろん,工夫や努力次第と言ってしまえば,そのとおりだけど,「ママ」の冠に守られて制限的に働くことが許されているような誤解の中で生きてしまうことがある(それはとっても,リスクのあることだから,世帯主の覚悟で自立すべきであるということは,いわゆるシングルマザーにも提言されている)

もしかしたら,子育てに苦手を感じることが許される世界に進化していくかもしれない

母であれば,誰もが子育てが得意というのも幻想である

もちろん,苦手だからといって,親であることを全否定することもなく,苦手なりに,得意な分野で生き生きと親らしく子育てをすればいい

それが多様性そのものであり,いわゆる一連の子育てを全力でコンプリートしなければならないもの,とも違う

ありのまま,無理をしないで親をすればいい

それが,ありのままのわが子を愛することに直結する

あるべき親の姿を追いかけて,大切なわが子のことも理想の子ども像に当てはめるようなことがあれば,もう,それは悲劇だろう

選択的別居母も尊重する社会へ

別居親・同居親という言葉自体を葬って,親同士の間に生まれてしまう垣根を除去することが,共同親権の理念だと気づく,が・・・苦手なのに,子育てを抱え込もうとして,余裕がなくなって,子どものための面会交流も負担にしか思わないとしたら,なんて不合理な負のスパイラル,だろう

貧乏な浪人生だったとき,あんまり遊園地に連れていくことや,高価なオモチャを用意するといった親らしいことが,実際難しかった(・・・というほど極貧とも違って,そこそこ遊んだりおでかけはしていたよ(;'∀'))とき,たとえ月1でも,愛情いっぱいの親子の時間で父子の絆を育んできた,息子とパパのことはとても素晴らしいと思うし,ずいぶん助けられた,と思う

明日の見えない綱渡りな暮らし(今も実はあまり変わらない?)の中でも,そこそこ豊かな文化的経験を重ねられたのは,息子にとってよい養育環境だったはず(そんなディズニーランド的存在に陥ることへの批判的眼差しも承知している)

会話もない,挨拶もない,会うこともない・・・エア共同養育まっしぐらでも,たしかに,父と母に育てられて息子は成長していった!!

どこかでは,息子の幸せな成長を想ってというところが合致して,見ている方向性が実は重なっているところがあるのかもしれない,という気もしているが,まあ具体的な「協力」が一切なく,いわゆる養育費の送金と面会交流(極小ともいわれる月1未満)ではあるけども,遠慮なく同居母の前で,別居父の話ができて,パパに会いたいと素直に言えるのって,それだけでも,意義のある共同養育そのものかも,という思考にたどりつく

私にとっても,大切な息子だから,息子をパパなりに愛してくれれば,それだけで喜んでしまう単純な自分がいる

愛し方も,私の思うとおりでなくていい,という境地にまでなったのは,それだけ息子が一応まっすぐに成長してくれたから,かも?とも思ったり(中間テスト対策は,心配です)

まだまだ子育ての道半ばにいて,強烈な母のマイペースに振りまわれっぱなしできたことの反動なんかが待っているんじゃないかと思うと,恐ろしくもあるのかもしれないが,どんとこい

けっこう私は,仕事と調整して,学校行事なども参加してきたし,子どもの成長を節目ごとに見届けることができて,それを実家の両親や弟ともわかちあったりすることができて,その分の余裕も感じられるからこそ,運動会に見に来てくれたら嬉しく思うし,ふたりでお弁当を食べればいいねと送り出せたり,卒業式に参加してくれたのも嬉しく思えた反面,,,やっぱり,仕事との両立が窮屈で大変だと,余裕が感じられなくなって,節目ごとの成長に立ち会える喜びも自覚できなくて,結局寛容になれないという現象も起こりうるのではないか,とも想像するのである

離婚を決意して行動するまでの経緯の違いもあって,安易には語るべきものでもないのかもしれないのだけど,まぁともかくだ

離婚後10年生はじめ,いろいろな段階にあって,それこそいろいろな経緯をくぐりぬけ(どのタイミングが一番修羅場だったか,も幅広いものかも),ジェットコースターのごとく昇降激しい人生のあれこれはひとそれぞれながらも,奇跡のご縁でそろった4人が語る穏やかさだったり前向きさから,きっと今ど真ん中で立ちすくんでしまっているという人にも,何かの活路を届けられたんじゃないかな,とうぬぼれてしまうトークライブであった。

自分が一番楽しんだ

具体的戦略(高まった感情に寄り添いすぎず,冷静に戦略を練ってくれるサポーターに伴走してもらいながら,ゴールを見誤らずに取り組むことの重要性?かな)論も語られて,お役立ち度満載

今度はどんなゲストスピーカーと何を語ろう~

楽しく大成功だったので,いつか,またやろう,という話にもうなっている♡

ご視聴いただき,質問やコメントで盛り上げていただいたみなさま方も本当にありがとうございました!!


次も期待しつつ,その前に,一か月後はこちらだった!

すでにリアル会は満席となっておりありがたいこと!

何かしらの配信系にトライしていくか,という計画もしつつ,何よりゆるく続けることを優先したい

楽しく生きよう

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