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#連れ去り毒 は本当に恐ろしい

いろんなところで、言及している 「連れ去り毒」について、今一度解説したい。

連れ去り得と語られることがあった。

子を連れて出て、単独監護を開始しておけば、その後の離婚時において親権を確保できる、というジンクス である。

連れ去り得(連れ去り勝ち)はデマである、とも語られる。

連れ去れば勝つのではなく、元々主たる監護者が監護していたものにすぎないのだという。ただ、それ自体が、現在の家事司法実務の実態と異なることは、当事者は知っている。主たる監護者であっても、連れ去られれば不利なのだ。

どうもこのジンクスは、アタリがよいようだ。

だが。

「離婚時に単独親権を確保する」という文字だけからすればそうかもしれない。この文字の並びには、時間や労力が表現されていない。

連れ去り勝ちであれば、連れ去ったときのその時点で、「親権を確保」していなければ、「勝ち」といえるほどの余裕はないだろう。実際は、連れ去りを皮切りに、終わりのない裁判所通いが続きかねないとても危険なものなのだ。

それは、まさに、毒々しい日々となる。

もし、冷静に、選択肢を知り、選ぶことができたときに、果たして、その選択肢は合理的といえるのだろうか。

不和を感じつつも、あくまで夫婦としての話し合いを尽くし、お互いの納得の上で離婚を選ぶことがある。今後は父母としての関係を再構築していこうという対話が実現すれば、そういう二人の間の子どもの負担は限りなく小さくなりうる。

そんな二人は離婚はしないだろう、というものでもない。たとえ円満でも、男女の仲のことは、終わりを選択することもまた、幸福の最大化のためにありうることなのだ。

諸外国には、#共同親権 という選択肢があって、そのための支援制度もあり、仕組みが離婚という家族離散の危機に直面した家族をサポートしてくれる。夫婦の別れが親子の離別にならないように配慮できるようなプログラムで支え、広義の家族を再構成する。元夫婦という関係で、傷浅く人生を前進させることもありえるのだ。それが、好運ではなく、標準的に確保できるというのが、ライフアクシデントへの備えも考慮した安心できる社会というわけだ。

日本はそれがない。

知らないことが、制度の落とし穴に滑り落ちる罠を引き寄せ、子の福祉にとって最大の危機となる父母の対立・葛藤が高められていく。

運よく、学びと理解、そして、周りの支援にも恵まれると共同監護合意によって、早期離婚、新しい人生をスタートできたりする。

人生100年といわれても、子育て期間は意外に短い。

独身でキャリア形成期もあるから、30代半ばから突入したとして、まず、産める期間というのもまだまだ限定的だ。

30代で、早期解決し、早期再出発ができれば、それぞれ再婚するということもあるだろう。ステップファミリー支援は別途必要としても、それが、少子化対策に貢献しうることも想像する。

無知のまま、制度の罠にはまると、離婚係争だけで数年奪われていく。そこから回復して、再出発をするのも数年。ごまかすように再婚してしまうと、二度目の破綻もありがちだ。

子ども時代こそ短い。1年1年心身の成長が目覚ましい子どもたちを係争に巻き込んでしまうと、のびのびと健やかに鍛えられるはずの心身にダメージを残しかねない。不登校といった即効性のある影響にとどまらず、将来にわたって人生を蝕むダメージを残しかねない恐ろしさもある。

もし連れ去らねばならないというときは、この恐ろしさをよくよく知った上での比較検討が望ましい。

そして、別の選択肢(それは、離婚しないで我慢するというもの以外のもの)があることを知ること。その選択を支援すること。

連れ去り毒の毒々しさの具体例についは、次の機会に。

つづく

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