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令和の離婚

5月1日といえば令和の始まりである

2年前、幼馴染に会いにいって、子どもたちと共に改元を迎えたのが懐かしい

あれから2年経って、令和の離婚スタイル(特に子育て世代)も変化してきていると感じて記す

平成後半、悪しき風習に傾いていたところもあって、多くの親子が犠牲になった

子どもを思う

その気持ちを利用して、また、前提となる、男女の経済格差がゆえに、多くは、議論が尽くされることなくなんとなく解決してしまったのだろう

令和ともなれば、男女ともに稼ぎ、育児も担い、親子関係を双方が自立しているから、従来の方法が通用しないことが起こり出している

選択肢がある分、自律が試されるところは悩ましい

しかし、少なくとも、子どものことに配慮せず、自己の都合を優先するようなことがあっては、裁判所でも忌避され始めている

裁判所は、それを連れ去りの違法という評価の仕方で導くわけではないけども、子の引き渡し請求を認容し、また、強制執行が成功する例が確認できている(当方が担当した事件に限定しない)

婚費地獄が手続保障を奪っていた

男女の経済格差が決定的だった時代、婚費と養育費では大きな差が生じていた

これが重いと、いろいろな面で正しさを追求することができなくなる

経済合理性の観点からは、養育費に落とし込む方が望ましかったり、そうしなければいけないほど追い詰められることだってあった

しかし、今は、収入面も自律してコントロールできると、婚費地獄を恐れなくても済むことがありうる

正しさを突き詰める行動ができるようになったとき、司法も変わらざるを得ない

なんとなく合意して済ましてきた解決方法が通用しなくなるのである

気の長い話だし、子どもが犠牲になることを避けるには、やはり、法改正を含む制度的な整備が不可欠だろう

それでも、立法のための運動しかできないのか、というとそうでもない、ということである

婚姻中共同親権の欠陥に関する問題提起も行われている

当事者になると、ようやく、親権を失う危機に直面して、単独親権制の問題を知ることになるが、それでも、離婚自体を争っている間は、一応、共同親権であるため、共同親権が解決策ということも理解しがたく、つい、目先の問題に気持ちが傾くことがある(連れ去り問題に注視するのも典型だろうか)

共同親権制によって救済されるのは、不当に親子関係が制限されている被害者(同時にDV被害者ということもあるだろう)であり、何も、DV加害者を味方するものでもない

家父長制に親和するのは、婚姻の特権(法律婚の尊重)を維持したまま、婚姻中の共同親権(依存・支配関係の中で、協力というマジックワードの中で、家族を拘束するもの)を延長させるものだから、もっとも忌み嫌うべきものでもある(婚姻中は単独親権で共同養育する方が父母の対等性を前提に、子の利益の最大化に貢献するのではないか?)

民法には手厚い規定を欠くからこそ、立法の不備は顕著であるが、現に子育てをする当事者としては、すでにある婚姻中共同親権を合理的に活かし(もちろん適法に)、自律していくことが望ましく、そのためには、離婚回避というテクニックが望まれる

離婚を争う意味

従来、離婚を争うとなれば、有責配偶者による権利濫用的請求であることを主張するために、お互いの有責性が飛び交い、人格否定の連続、とてもとても醜いものであった

これをしたところで、最後は、夫婦関係の破綻が認められて離婚判決にたどり着いてしまうが、その頃には、とても父母としての協力関係で再出発しようという状況にはならない

傷深く、回復にも時間がかかってしまうと、結局親子断絶を招いていた

そうではなく、離婚事由がないならないで否定しつつ、無理な有責性の主張はしない

離婚が想定されることを受け止めつつ、親権者指定の議論を徹底的に尽くす

ここで、注意したいのが、有責性の主張合戦に引きずられて、親としての適格性のディスり合いとは違うということである

フレンドリーペアレントルールが裁判所に定着するには、主張を続けることに尽きるという意味でも、親権者の適格性を、ディスリ合いではなく、寛容親としての競い合いにもっていくのである

この手法の狙いは、婚費地獄に耐えられる状況で、離婚訴訟が解決しないと離婚できない(=離婚するには数年かかる)中で、親子交流を先取りして実現していくことである

親子交流なくしては、離婚できない運用に移行する


ある意味、単独親権制を前提とした現行の法制下で最大限の成果を出す手法であるが、そうこうしているうちに、共同親権制への法改正が叶い、結局、共同親権を継続できるかもしれない

この長期戦を回避していくには、共同親権制に匹敵するほどの共同養育を先取りして実践していくことが必要である

これも自律的解決によって為せる

結局、共同親権制というのは、家族の自律を促し支えるというものでもある

家族のカタチ、夫婦のカタチ、親子のカタチを付与されるものとして受け入れていく(我慢する場合を含む)のではなく、その一員として自律して、自分たちにとって心地よいものを模索していくことである

大変を伴うのは当然だろう

その反面、自由と尊厳のあるコミュニティの中で、自分も他人も大切に尊重することを学び、育つことが叶うだろう

まさに、それこそが、

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