余韻の中で響く 司法崩壊
昨日は,裁判期日に合わせた関連集会に予告どおり,参加して,期日は取り消されたし,入場制限もある中でさみしげ,という声もあったようだけど,とてもとてもよかった!!
仲良くしているりむすびメンバーとの再会もうれしく♡
サンドラ・ヘフェリンさんの講演から,心ドイツ人化が進む手応えをかんじる
じっくり本を読んで振り返り味わいたいところ
期日取消に代表される,もう裁判所が機能していないんじゃないか,っていう声をあげているという行動力が素晴らしい!!
司法崩壊
医療崩壊・経済崩壊・・・そういう単語が飛び交うも,なんとかこなしてきているものとも評価できるが,司法崩壊だけは深刻に現実のものになってしまったか
たしかに,この期日,被告=国も機能していないようで,被告の手番となっている書面の提出もいつになるのか全く見込めない
戦略としては,それでも期日だけはもうけて進捗をうかがう,なんてことは一般民事ではあるかもしれないのだけど,そういう調整自体が困難そうな気配すら漂う
つい,この問題でありがちなことなのだけど,,,みんなどこかで,
司法を信じている
正しいこと,子の利益に資する正義の主張がいつか通用するのだ,という気持ちがどこかにある
長い間いろいろなアクションを続けたはてに,個別の事件では,自分たちの正義は司法には通用しないということに気づくことがあるのかもしれない
特別に救われることがあるのかもしれない,と期待していたり
だがおよそ,大通りで正面から臨んだところで,全く通用しないことが目に見えている
だからこそ問題が深刻なのである
司法には通用しない
そんな問題のある司法を放置しているのは,ルールに不備がある,だから責任は立法府にあるという闘いになっていく
一方で,法律のどこにも書いていない理念として,実は通用していることがある
家事のことは自律的解決が望ましい
法は家庭に入らず,と言われる方がなじんでいるかもしれない
自分たちで決められるのであれば,ルールも裁判所の判断も後退してよい
その道があるからこそ,ルールの不備も司法の問題も解消することなく長年放置された,ともいえる
単独親権のまま共同養育を実践できる
誠にそうだ
実践者として断言しよう
私たち家族にとって,非婚の共同親権って必要だろうか?
現にそれがなくても,愛情いっぱい,ドイツ人からみても仲良し家族なはずだ
非婚の場合の単独親権において,共同養育は禁止されていない
自由なのだ
それもまた人権であり,心地よい家族のカタチは他人に侵害されない
婚姻(夫婦同氏)も共同親権も強制されない自由がここにある
でも,それじゃあ足りないよね,という問題提起である
司法が崩壊している場合じゃない,ちゃんと機能しないと,子どもたちが犠牲になっているではないか,という問題がそこにある
豊かな層にはあらゆる選択肢が手に入るのに,その選択肢すら与えられない・・・知らなければ選択しようがないという格差の問題だからこそ,国家の責任,政治の問題なのである
全員の子どもに共同養育を付与するものではない
全員の子どもに共同養育の「機会」を付与するのである
結果として,共同養育のない子どもがいなくなるということはないだろう
もちろん共同養育を欠くからといって負担にならないよう配慮することは別途必要だ・・・社会的養護の議論になる
共同親権制の国は,機会を用意している
機会の平等の問題なのである
平等権こそに注目して欲しい
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