4.17育休後カフェ振り返り<内容編>
先週諏訪で開催した育休後カフェ
充実濃厚なイベントとなって、余韻が続くとともに、今後に活かすための技術面の振り返りを先行して、中身の振り返りを残していた
小1の壁自体まだ馴染みがなかったり、とはいえ、ふと立ち止まって考えてみると多面的にポイントがあって、かといって、きちんと向き合い知っておくことで対処できるというところが前向きでいい
当日は、オンライン管理でいっぱいで、もっとのびのびと内容に入り込みたいという気持ちばかりで、実際余裕がなかったわけだけども、それでも、随所に飛び込んでくる新しい発見もあって、小1の母当事者として、刺さりまくった!!
今や中2となった息子の小学生時代も振り返って、共感できるエピソードも満載であった
侮れないのが、地域
そのためにPTAにも前向きに参加した方がいいというのも、PTA非会員ながらも頷くのである(今は、パパが会員になっている←)
いろいろ工夫をしていたけどもエラーをしたこともあって
5年生のときに卒業式に参加した際、ランドセルではなく軽装備で登校したことがあった
午前中だけで用事が済んで帰ってくる
自宅の鍵は、ランドセルに結びつけている(落下・紛失防止)
つまり・・・
軽装備で登校し、お昼なしで帰宅するが、その頃は、ふつうに母は出勤しているという事態に見舞われる!!!
大ピンチ
お腹はすくが、家に入れない
連絡を取る手段もない
頼れるお友達も・・・苦しい状況
そこで、息子は冷静に考えて、通っているスイミングスクールに出向く
そのスポーツクラブは、祖母も毎日通っているところなので、もしかしたら会えるかもしれない
実際、その日は姿は見えなかったが、受付カウンターにいって、状況を説明し、祖母に連絡をとってもらうことに成功する
連絡がとれてほっと一安心すると、もう泣きそうだったとか
無事連絡がとれて、祖母に駆けつけてもらうことで、お昼にもありつけた、と
そんなエピソードが頭によぎるもシェアする余裕がなかったので、ひとりカフェ
逆に、似たようなことは小学生にはありがちで、帰宅したのに、親の方がでかけていて、玄関前で待ちぼうけということは我が家に限ったことではなかった
雨の中、同じマンションの知っている子だったので、雨宿りに誘って服も貸して、っていうこともあったし、同じく、どうしたらいいかわからなくって泣いている子に声をかけて、携帯電話を貸してあげたこともあったし(ちゃんと両親の電話番号を記憶しているということは立派なことであるし、その上で、むやみに電話番号を知らしてはいけない、ということさえ弁えていた)
子ども会なるものが減ってきてはいるけども、やっぱり重要なのだ、と思ったりする(だから、この度入会予定)
今回の育休後カフェで心に強く残ったのは、子どもへの眼差し
初めて参加したときの、2013年の頃も、当然同様の視点の教えもあったと思うけど、そのときの印象に残ったフレーズは、低空飛行でも飛び続けるというキャリア応援のための視点だった
まだまだ課題が多いとはいえ、それでも両立しながら働くことを続けること自体は可能になってきているのだろう
子どもが小学生になっていけば、チャンスも広がり、キャリアアップが成功する例も見える(本業で扱う事件などでも)
でも、それ以上に、子ども自身が今苛酷な環境と隣合わせにいるということを強く認識しておくことの意義がとても大きい
いざとなれば、おかしなものに巻き込まれすぎないこと、というアドバイスも新しいが重要だ
要は、逃げていいというメッセージ
無理して我慢するものではないということを大人や親が知っておくことは、子どもの環境を優しさで包めると思う
もちろん、親自身も、だ
心地よさを選んでいいこと、それは、弁護士としても思う
幸いなことに、ウチの子たちは環境にも恵まれ、よく愛され、可愛がられ、多くのお友達に囲まれながら、不登校に悩むこともなく、多少勉強につまづくことがあっても、元気に通うことを続けてくれているので、これは本当に助かっている
子どもに助けられているのである
もちろん、それでもピンチなことはあって、運良く察知することができ、また、知恵を絞って、大事にならないように解決したこともあった
最近は、教育論をよく考える機会が重なるのだけど、公立こそ、多様性を知る環境に恵まれているという評価の中で、多少の不遇とも折り合いをつけて生きる上での免疫をつけるのもまあいいか、と思える
まだ入学して、3週間足らずなのに、小1の娘がどんどん成長している
給食当番をこなしたらしく、給食着を持ち帰ってきた!
お迎えではなくて一人で帰ってみたいらしく、学童の連絡帳に帰る時間を記載して、一人帰りを予定した
初日は、ちょっと遊びすぎて疲れもあったのか、少しお熱が・・・ということで急遽お迎え、一人帰りは断念したが、次のチャンスのときは、帰る様子を垣根から見守り、無事に帰る様子をうかがっていた
「バレてるよ~」とすぐ言われ「お迎えみたいになっちゃうじゃん!!」と怒られた
距離を取ろうとしたら、父も同じく通学路をたどっていたので、「怒られるから、お迎えにならないように距離とってー」と共有する
歩行者道があって、歩道橋を渡るまではいい
自宅の近くの横断歩道には信号がなく、朝は、地域の方が当番で見守ってくれることに加え、中学生の兄と渡るお約束を徹底するようにしているが、帰りも夕方はそこそこ交通量が増えるので、本当にそこが心配
だから両親そろって見守るわけだけども
それを疎ましく思うのも、それも成長だったり
男子とは違う女子コミュニティの怖さだって懸念しつつ、我が家の小1の壁はまだまだ警戒中
だから、また育休後カフェの場があることを頼りにしたい
次も開催していきたいけども、他の同志・先輩の開催情報もチェック・拡散
ある対話の機会で、子育てとは何だと問われたら、冒険という答えにたどりついたのだけど、まさに、子どもたちは共に育ち合う仲間たち
心地よい家族・空間という理想を具体的に現実に実践するには、このパーティーで試行錯誤開拓すること、それ自体が楽しかったりする
パパっ娘には、あまり求められていないと思っていたら、遠方の期日で前泊出張もある忙しさが続いていたのもあって、「みんなで一緒にいたいよ」と抗議を受ける
GWはみんなで過ごす計画もして
心地よい家族を実践しながら、心地よい社会を創っていきたい
育休後カフェと共同親権制が内在する寛容性の実践がコラボすれば叶うように思えてきた
そうよ、お互いが心地よくあるために他者を含めた個人の尊厳を守ること、とりわけ子どもだって独立した人格的利益の享受主体性であることも自覚して大切にしていくこと
だから
共同親権教室を始めたい
子育て世代に、寛容性を届けるのである
それは、道徳規範の押し付けとは違う
親切な姿勢が有利になることを約束するルールである
単独親権制は尊属殺重罰規定の趣旨が温存した時代にこそ機能していたのだろう
時代を遡るようなことを求めるものではない
尊属殺重罰規定が違憲・無効となって、規定が削除した今、やはり、単独親権制を残すわけにはいかない
親は敬うものという道徳を、法が強制することをやめたからといって、親を否定することがあってはならない
親を親として親の尊厳が守られることで、子の人格も尊重されるのである
多様性の中で他者を尊重することの大切さを理念として理解しつつも、まだまだ実践の難しさが社会にはあふれている
絶望して悲観に終わることもできるけども、気づいた以上、やってみよう
まずは、大切な身近な家族との間で、さあ 始めてみようと思う
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