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6/4共同親権国賠プレ集会レポ

共同親権運動発祥の地国立へ

いろいろ懐かしく

総会~集会に来られた方の新旧入交感


つくづく、まだまだしょせん私も浅いよな~と、共同親権運動の歴史的歩みを実感しつつ、622判決への期待とか、ワクワクが止まらない!!

ほんわかとステキな時間となるのだった!

リハーサル通りにプラスちょっとアドリブも入れたので、時間はちょっとかけちゃったかな~スライド付で国賠解説をできました!

どっかで音声付で再現もしようと思うけど、とりあえず、レポを兼ねてここでスライドをシェアする

弁護士の古賀礼子です。☆今月22日判決が近いという共同親権訴訟の方の話をしていきます。
担当しているのは、私の所属する稲坂事務所の3人の弁護士です。
令和元年11月22日に提訴した日は雨でしたがたくさんの方に見守られる中訴状を提出しに裁判所にみんなでいきました。
提訴以降の裁判期日の進行は、このとおりです。コロナ禍に突入して期日が取り消しになるなどしていましたが、書面でのやりとりを続けながら議論を深めてきました。ターニングポイントは、2年前の裁判所事務連絡になります。議論を深めるために求釈明の趣旨を補充するなどしていると、裁判所からも原告の意図に沿って被告に対して回答を補充するよう指示がありました。ここが鍵となって、被告に説明させた上で、原告側より、憲法13条論と14条論のそれぞれについて反論を補充し主張を尽くしていきました。図書館にいって多くの文献にも触れて戦後の民法改正状況から、最新の研究者の考え方など集約し、また、専門家の意見書などを提出してまいりました。昨年末、尋問も行われ、11回目の期日で結審した次第です。今月22日が判決予定日です。
共同親権訴訟の骨子としては、親の養育権は基本的人権であること、親権という具体的な法制度以前の自然権であると位置づけ、現行法がこの養育権を侵害しているのだ、特に民法818条3項の「父母の婚姻中は、」という規定が、婚姻中の父母と非婚の父母を不当に差別するものだ、ということで、憲法13条違反14条違反の憲法違反があることを主張しています。
3月の院内集会で最終準備書面のハイライト版を配布したので、それをもとに紹介していきます。まず単独親権制の違憲論の出発点として、親の養育権が基本的人権であること、これが自然権であり幸福追求権として保障されるということを出発にするのですが、注意したいのは、親権が人権とはいっておりません。自然権という意味はですね、現行法の「親権」制度の中に位置づけられる権利ではなく、「親権」という具体的な法制度以前の権利であること、「親権」の法的位置付けや内容によって養育権の人権性の結論を左右されるものではないことに注意すること、人権(自然権)は具体的制度によって作出されるものではなく、制度以前のあるいは制度の基礎として本来的に存在するものを指摘しています。 
単独親権制がこの人権である養育権を侵害していることを訴えるわけですが、単独親権制とはなにか、非婚の父母を一律単独親権としていること自体をまず親の養育権という人権との関係で問題ですが、単独親権状態の父母のみを単独親権制と言っているのではなく、婚姻中共同親権状態にあるか非婚で単独親権にあるかどうかを問わず、すべての父母が現行の「単独親権制」の制度の中に置かれていると説明しています。すなわち、父母間に子の養育に関する意見の対立があってもこれを調整する仕組みを一切用意せず、事実上の父母間の力関係に解決を委ねるか(これを解決というのかどうかはともかく)、当初からの単独親権(認知等の場合)及び単独親権への移行(離婚の場合)によって養育に関する決定権そのものを一人の親に集中させることによって解決する制度であると単独親権制を定義いたしました。
その上で、これがおかしいということについて、昨年の尋問で専門家証人として家族法の鈴木教授が証言してくれましたので、紹介しています。自分の子が知らない間に養子になってしまうというのは、これはおかしいというわけです。我が国は親子の権利という土台を完全に無視してきたが故に、養子縁組の制度も無目的で各都合や便宜によって構築され、社会においても、非婚の場合の別居の実父母の存在を軽視し、安易に再婚相手を「新しいお父さん」「新しいお母さん」とすることが当然であるかのような危うい認識が広まってしまっているとうのもありますね。

 

親子の日常的な養育関係とはほど遠い審判内容になっていくことも指摘しています。鈴木教授も法廷で、面会交流について犬の散歩じゃないんですから、といって、長期間の宿泊交流がある場合の養育の法律上の権限って何なのかという話をされて、親の権利が土台にあるでしょうということを裁判官に伝えてきました。


違憲主張の柱の1つが13条違反になります。いろいろ調べていって、現行の単独親権制は、目的の正当性以前に、便宜的にスタートさせた立法を単にその後放置しただけの遺物であることが分かってきたことも訴えています。憲法が施行され家制度の打破と両性の本質的平等が目指されたものの、我が国の当時の実態として家や氏と子どもの養育を結び付ける実態や父親が事実上決定する実態があり、これに追従する意識や時間的制約の中での現実的な立法における議論が煮詰まらなくて、事務上の便宜のために、父母の意見の調整を欠き、非婚の場合を一律に単独親権とする現行法が立法されたということです。最初から欠陥があったわけです。

 

もう一つの柱が14条違反です。ここも鈴木教授の証言の方を紹介しますが、法律婚をしている者と法律婚をしなかった者、には様々な人がいますが、非婚であれば、自動的に親権も持ちません、資質も何も審査なく親権をもちませんというのは、これは社会的な身分による差別に当たるというふうに考えられる、ということ、子供の立場からすれば親が法律婚をしていなければ、もう法定保護者は1人しかないんだというのは、これは子供にとっては差別である、というと、こどもの権利条約にも違反するというふうに考えられることになります。
立法不作為のところですが、立法制定過程を振り返って、こういえるんじゃないかと主張しています。現行憲法に適合させる形で、両性の本質的平等を回復しそれ故男女(父母)が親の養育的地位を回復したのが応急措置法であったが、その後、現行民法はこの点を置き去りにして走り出してしまった、これは、「父」が事実上子のことを決定する実態があるからよいであろうという価値判断もあった。これが戦前の家制度からの「抵抗」ではなく、事務処理上の理由からやむをえなかったとみるとしても、まさか現在まで単独親権制を放置してよいはずがないであろう。しかし、なぜか我が国は上記のような明らかに未完成の立法をそのまま放置してしまった。
最後の結語については、3月の集会でも読み上げました。単独親権制は違憲であると打ち出してほしいと訴えております。 報告は以上です。6月22日の判決に注目をお願いします。


共同親権国賠を通じてわかってきたのは、現行民法が制定された最初から、欠陥があった!ということ

最初から欠陥


欠陥をカバーするようにあれこれしてきたけど、もはや、単独親権制の合理性を見出すことは不可能なところまでに到達してきている

違憲判決を期待してしまうほどの
世論は醸成されてきた

少なくとも世論形成の成果は、提訴時との大きな違いを実感することで明らかといえる

そのあとも、様々なアピールが続いて、ほんわかと穏やかな温かさに包まれるプレ集会であった!!

想定する判決はこちら

  • 全面勝訴(請求額全額認容)=控訴不可

  •  一部勝訴(請求額一部認容)

  • 不当判決(違憲判断あり)

  • 完全不当判決


控訴不可くらいの完全勝訴を祈願する


6月22日判決にご注目ください!!


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