未来の教育のかたちを妄想してみた
FBにて友人からある投稿が届きました。数学のトリセツというサイトにて映像授業を届けている迫田先生が書籍を出版されたそうです。この迫田先生は河合塾の先生でもあり、予備校で鍛えられていて授業力もあります。
書籍も購入できて、それに対応した動画も見られる。こんな環境が簡単に手に入れられる時代となりました。
現代は、意欲が少しあれば、簡単に知識にアクセスすることができる時代ということです。
明治初期、日本は富国強兵の名の下、欧米列強から学問を輸入しました。その当時は、まだ数学も物理も英語で学ぶしかありませんでした。それでも、その時代の日本人は、前時代の抑圧から解き放たれ、うちから湧き出る渇望感のまま、学問を修得し、自らをドンドン鍛えていきました。今の子どもたちは、古くに作られた制度に抑圧されながら生きています。しかし、インターネットが子どもたちをこの抑圧から解放しようとしています。知りたいと思えばなんでも学べるという時代になってきました。
これは、意欲がある子どもたちにとって、天国そのものです。
もちろん、現代は、動画も駆使することができるので、明治の時に求められたほどの意欲・渇望感の高さは、必要ありません。幾ばくかの意欲があれば、どんどんトライして、新しい知識に出会っていく、そんな時代がもうすぐ訪れるでしょう。
では、逆に意欲がない子どもは置いていかれるのでしょうか?
いやいや、そんなことはないだろうと私は思っています。なぜなら、この流れは、学ぶことに楽しさを提供してくれるからです。教育(エデュケーション)とエンターテイメントを掛け合わせて、エデュテイメントという言葉があります。このエデュテイメントのクオリティ向上は、教育YouTuberの方々や探究学舎のような興味開発の塾が担ってくれると思います。エデュテイメントを通して、「学ぶ事って、楽しい」という気持ちが、意欲があまりない子どもにも芽生えていくでしょう。そして、学ぶ意欲があまりなかった子が学ぶ意欲がある子に変わっていくだろうと思っています。
この流れの中で、さらに面白いところは、教育Youtuberの動画であれば、無料で受けられると言うことです。無料だから、誰でも授業が受けられます。これは、教育のバリアフリー・ユニバーサルデザインではないかとすら思っています。
先ほど、子どもたちを古くに作られた制度の抑圧から解放すると言いました。この古くに作られた制度とは学校のことです。私は、今から5年から10年で、学校の姿は一気に変容すると思っています。まず、
学校は、子どもたちに教育を提供する唯一の機関ではなくなります。
現状、不登校という言葉がありますが、この言葉は死語になるでしょう。なぜなら、不登校という言葉は、学校に通うことを前提としている言葉だからです。そして、
学校は社会の縮図として存在することになるでしょう。
学年をまたいで子どもたちが学校で繋がり、実社会生活を学んでいく場になると思っています。ここでは、先生は教えるだけ人ではありません。子どもたちの相談相手だったり、支援計画を考える人であったり、励ます人であったり、叱る人であったりします。子どもたちは、学校・学級の中で、周りの子どもと折り合いをつけながら、社会で自由に生きていくために必要なことを学んでいきます。先生は、その水先案内人です。
時には、先生よりも知識が深い子どもがいるでしょう。そんなときは、その子が授業をするかも知れません。また、勉強が分からない子に対しても子どもが教えた方がより分かりやすいことも多いです。そんな時は、周りの子がその子を教えることを奨励します。
また、学校での勉強は、学年輪切りのカリキュラムではなくなります。
その子どもの進度に合わせて勉強が進んでいきます。たくさん進んでいく子どももいるでしょうし、なかなか進められない子どももいます。中学3年生卒業までに、概ね小学6年生くらいの内容をマスターしているとよいかなと私は思っています。
学校は、給食までで一旦終わり。
その後、ある子はサッカークラブに行ったり、ある子は塾に行き、ある子は家に帰って家事を手伝ったり、余暇を過ごしたり、家業を手伝ったりする。もちろん、学校でも特別な授業が提供されていて、それに参加する子どももいます。
学校が数ある教育機関の一つとなり、あらゆる教育サービスと連携しながら子どもたちの成長を促していく。私は、そんな仕組みが良いのではないかと思っています。
新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止を目的として、学校が休業しました。これに触発されて、WEB系のあらゆる教育サービスが無料公開され、多くの人たちがこれらに触れることになりました。このことは、私が今お伝えしたような流れを少し早めたと思っています。子どもたちは皆、自分が楽しいと思うことを見つけて、それを探究し、その過程で力を養っていけば良いです。そして、その力を使って世の中の役に立てば良い。偉業を成し遂げればそれはそれで素晴らしいことだと思います。でも、そんな歴史に名を残すような偉業を成し遂げる必要などはなくて、周りの家族や仲間やお客様を少し喜ばせれることができれば、楽しく生きていけます。
さて、今回は、ほぼ妄想の投稿となりました。しかし、この妄想は意外に当たるのではないかなと私は思っています。
私たちは、これからも発達障害児や発達遅れのある子への支援を継続して行っていきます。あらゆる手法や技術を使って、意欲を引き出し、そして、彼らの世界を豊かにするお手伝いをしていきたいと思っています。
「この世の中は、生きるに値する」
このことを伝え続けたいと思っていますし、このことを多くの人たちが感じ取れるような社会づくりに貢献していきたいと常に思っています。
私たちは、誰もが輝く社会をつくります。
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