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発明工房は眠らない


 トリスティアという名の海洋都市があった。
 大陸間貿易の要衝として栄え、船乗りたちから海の宝石と称えられた美しい都市である。だがそれも今は昔のこと。十年ほど前、トリスティアに襲来した巨大なドラゴンによって街は壊滅的な打撃を被った。以降、かつての盛名を失って久しい。

 そこへ天才が訪れた。

 まだ少女である。
 トリスティア行政府の依頼で街の復興事業を請け負った帝国人、世界的大発明家であり、その道の者からは〝大工匠〟の尊称で呼ばれる祖父プロスペロ・フランカの代理として、少女はこの地へやってきた。それ以来、祖父直伝の「プロスペロ流工房術」を駆使し、トリスティアを再び蘇らせようと奮闘の毎日を送っていた。


 名を、ナノカ・フランカという。

 帝都からやってきたこの新米工房士の目的は、トリスティアを復興し、在りし日の繁栄を――市民の笑顔を取り戻すこと。
 これは、だれもが諦めかけた街で、街のだれもが彼女を〝希望〟と呼ぶようになる、ちょっと前の話。


* * *


 ――これはもう間に合わない!
 と思っていたが危ういところで間に合った。出来上がった発明品を満面の笑みで受け取った今回の依頼者を「プロスペロ発明工房」の扉から送り出したところでナノカ・フランカはようやく安堵の息を吐いた。
 額に浮いた汗を服の袖でぬぐう。壁の時計を見る。

「……よおし、ぎりぎりセーフだね」

 万感の想いがこもった呟きとともに工具を作業台へ投げだす。そのまま突っ伏した。
 拡げたままの製図紙の上には様々な数式、機器の構造図解、はたまた何かの装置のアイデアスケッチが、びっしり書き込まれている。

(もうダメかって思ったけど……よかった)

 今度トリスティアの西通りに新装開店するピザレストランの新規メニュー全12品目の開発に、職人通りの鍛冶屋組合から依頼された新型高炉とエネルギーサプライの開発および、それを設置する製鉄ラインの図面引き。
 これらいちじるしく毛色の異なる緊急依頼を同時にこなし、指定期日までになんとか全てをやり終えた。

「いやはや、ダブルブッキングは、もうごかんべん……これはさすがに少し」

 ふぅと一息入れつつ顔をおこせば、工房の窓から早朝の日差しがさし込んでいる。ナノカは、眩しそうに眼を細めた。

「うはぁ、世界が白い」

 今日は良い天気になりそうであった。



「一段落ついたかね、ようやく」

 全身を満たす心地よい達成感にひたるナノカの足元で渋みのある声が響いた。

「断ってもよかったんじゃないのかね」

 作業台のかたわらでうずくまっていた灰色の影が、むくりと動き出す。
 トリスティアに発つ際、祖父プロスペロがナノカの保護者としてお供に付けたオオカミ型自律稼働Eウェポン、スツーカである。ナノカが夜を徹して作業をしている間、ずっとそれに付きあって側に控えていたのだ。


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