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じ爺放談4(KOGADOの冒険ワークショップ vol.55)

北川:
 よろしくお願いします。

谷:
 はいこちらこそ。

北川:
 昨日あれでしたよ、Zさん(注:取引先の若きクリエーターさん)が「冒険ワークショップ読んでます」っていうふうに言ってましたよ。社長の回のインタビューは人生の勉強になります、みたいにおっしゃってました。

谷:
 へえ、そうなんだ。読んでるって言われるとちょっとやりがいが出るよね。

北川:
 そうですねw 今日もやりがい持って、やる気出してもらうようにお伝えしました。
 で、今日はどんな話を聞かせてくれるんですか?

谷:
 え?先に俺がそれを聞きたかったよ。
 何がいいですかね……。最近もっぱら感じることはさ、こないだの、斉藤くんが亡くなったことなんですよね。

北川:
 はい。

谷:
 もう残念で残念でしょうがなくてさ。それを今日のテーマにしちゃうと暗くはなってしまうけれども、いつもいつも明るくなきゃいけないっていうわけじゃないだろうからさ。

北川:
 そうですね。

谷:
 結構前だけど。3年前にはミソジーズの仲間の藤井さんが亡くなったりとかしてるじゃん?

北川:
 ああ、谷さんがよく言ってる「ミソジーズ」の、そのメンバーだったのですね。藤井さんも、斉藤さんも。

谷:
 そうです。ミソジーズっていうのは僕らが20代のときにね、この業界に入って広報をやってた仲間の飲み会の名称なんですよ。ファルコムのNさんとかシステムソフトのKさんとか、それからマイクロキャビンのIさん、BPSのMさん、ハミングバードのKさん。広報営業中心にやってた仲間が集まってたのがミソジーズなんですよ。「みんなもうすぐ30だねって」言って、中には30超えてた人もいたからミソジ(三十路)ーズでいいか、みたいなね。

北川:
 うんうん。

谷:
 斉藤君は当時はデータウエストだったんだけど、そういう人たちで、みんなでいつも飲み会やってたんだよ。だから実際に35年ぐらい付き合ってた仲間だってのは嘘じゃないんだ。

北川:
 おいくつだったんでしたっけ?

谷:
 僕より五つ下ですね。心臓に爆弾抱えてたのは知ってたんだけど、薬飲んでれば安定してるからっていって何年も来てたんでちょっと油断したね。普段はそう見えないから。

北川:
 北海道にいらっしゃったんでしたっけね。

谷:
 今はそう。北海道出身で、会社勤めしてから大阪に行って、データウェスト入ってみんなと仲良くなって。そのあと独立して北海道でパラボリカっていう会社を起業して、そのとき僕が東京でやってた仕事をパラボリカさんに開発してもらったりとか、そんな感じのお付き合いもしたし。

北川:
 谷さんがエンタでやってた仕事とかですよね?私は一緒にやることはなかったですが「パラボリカのサイトウさん」という名前には聞き覚えがあって、そのサイトウさんが、斉藤康仁さんだったんですね。

谷:
 今繋がった?(笑) あの斉藤さんです。わかってくれてよかったよ。そうすると一段と思いも深くなるでしょ。
 突然死んじゃったみたいな感じだからさ、すごく残念。北海道だからもう長く会ってないんでね。

北川:
 最後に会ったのはいつぐらい?

谷:
 もう全く記憶がないぐらい。10年やそこらじゃないもっと前かな。俺が何かの用事で北海道に出張したことがあるんですよ。俺が北海道に出張するなんてあまりないじゃん?一人で行ったんで斉藤に連絡取って、千歳空港まで車で迎えに来てもらったのを覚えてる。車で札幌の市内まで連れてきてくれて、ご飯食べたりとかしたっていう記憶があるんだよね。どれくらい前かわかんないぐらい昔の記憶。
彼はギター弾きだから、ここ最近は音楽活動とかライブ活動、作曲活動みたいなことをずっとやってたね。最近の写真とかをフェイスブックで見たりとかするとすごい痩せてて、昔は恰幅の良い太ったおじさんだったんだけどさ。

北川:
 そうなんですね。

谷:
 そう。残念でした。
 ……楽しかったよ、あの時の仲間は。パソコンのイベントとかに行くとみんないて、イベント出展して疲れるのに終わった後は飲みに行って飯食って、当たり前のようにカラオケしに行って。明日があるっつってんのに午前様で。ホテルに帰ってシャワーだけ浴びてまた翌日のイベント、みたいなそんな感じ。みんな若かったし元気だったよね。

北川:
 青春してますね。

谷:
 そうだね。でもその仲間の中で2人ももう欠けちゃったからさ。先輩方でまだまだ元気な人も多いですけど。

北川:
 我々から見る諸先輩方って、結構体が頑丈ですよね。達者な方が多いというか。

谷:
 そうだね、こないだもそんな似たような話になったんだけどさ。先輩の更に上、うちの親父たちの代の大先輩方がいるわけじゃない?うちは親は死んじゃったけど、あの代の人たちが元気なのは、やっぱり戦争に行ってたり、戦後で食うものがなくても生き残ってきたとか、苦しい思いをたくさんしてる、そういうのがやっぱり生きる力だったりするんじゃないかって話してね。

北川:
 なるほど。養育環境とか経験ってことですね。しみ込んでそうですもんね。
 ただ、よくよく考えてみると「自分よりちょっと10歳ぐらい上の先輩のことをみんな元気だよねって言う現象」ってどの世代にもないですか?w あの人たちってなんでみんな元気なんだろうね、こっちはもうこんなクタクタなのに、って各世代で言っているみたいな。

谷:
 ああ、あるかも(笑)

北川:
 目上の人たちは、負けてられないって若い連中の前で気を張ってるのかな。
 そうそう、この間ふと思ったんですけど。鬼羅さん(工画堂の先代の社長)っておいくつで亡くなったんでしたっけ。

谷:
 たしか、72くらいだったかな。生まれたのは終戦の年の翌年だったかな?1946年。

北川:
 なくなったのって何年前でしたっけ?

谷:
 2018年。もうすぐ6年だね。

北川:
 いやね、僕が鬼羅さんと会ったときって鬼羅さんは一体いくつだったんだろうっていうのを、この間ふと思ったんです。私が今54で、高円寺界隈に来たのって1998年位なんです。だから今から26年前の28歳の時、そんとき鬼羅さんは?46歳か……。

谷:
 そうだね。

北川:
 いや、なんかすごい上の世代の、先輩というのもはばかられるくらい上の人って思って接していたんだけど。つまり今の僕よりも若いっていう。……やっぱりそうか。
ずいぶんと僕は、足りてないなって思いますね。

谷:
 なるほどね。あの当時の人たちは、もちろん人柄や社会背景もあるだろうけれど、ゴリゴリと自分を信じて生きていくっていう感じの人が多いよね。俺がやりたいことがあるから俺について来い、みたいなさ。

北川:
 そういう印象はありますね。生存者バイアスなのかもしれないですけど、そのスタイルで結果が出せてた人と僕は会えていただけだからってのもあるとは思うんです。誰しもがああいうふうになれるものではないでしょうから。

谷:
 それもあるだろうね。

北川:
 なんでそんなことを思ったかってのがもう一つあって。僕小学校4年生のときに実家が引っ越しをしてるんですよ。オンボロの家にみんなで住んでたのが、ちょっとはずれの方なんだけれど家を1軒建てて、そっちに家族全員で引っ越したんです。

谷:
 ほうほう。

北川:
 この歳になるとわかるんですが、まあド田舎とはいえ、まあまあ立派な家なんです。広くてね。で、僕の父親があの家を立てた時って一体いくつの時だ?って考えてみたら、僕は父が38の時の子なので小学校4年生、10歳の子がいる時って48歳ですね。つまり、今の僕よりはるかに若い。えーすげえなぁ……俺にはできないって、親父が死んでから初めて計算をするみたいなw

谷:
 わかるよ、うん、わかる。全く同じ気持ちを、僕、持ってるからね。だって今の世代で家を建てるっていったら、それは相当大変なことじゃないですか。

北川:
 相当ですよ。

谷:
 それってやっぱり、社会背景が違うからなんですよ、当時は一生懸命頑張れば家の1軒ぐらいは建つんですよ。

北川:
 いやいやw まあ。それと同じでね、そういえば鬼羅さんってって考えて、申し訳ないのですけどまあまあおじ様というかお爺様みたいな感じで捉えてたけど、つまり今の野口くんとか日向くんから、俺は鬼羅さんぐらいに見えてるってことか!?みたいなことを、この間ちょっと思ったって話です。

谷:
 そうだね。だから俺なんて(当時の)会長ですよ、みんなから見たら。

北川:
 会長ですよね。あんとき、我々が会長を見てたときの、そういう感じで今は谷さんは見られてるんですよね。
(補足をすると。私北川の感覚としては、初めて会長とお会いした時には会長はもう「The 長老」という雰囲気を醸し出していらっしゃいました)

谷:
 そうですよ。ほんと面白いよね。それが人懐っこくさあ、ランチでも行こうよとかって俺が誘ってんのにさあ、「社長となんかみんなは行きたくないんですよ!」とか言われたらさあ、冗談じゃないよ本当に!(笑)

北川:
 なんかね、勝手に歳とってますよね。

谷:
 勝手に年取ってるね、困っちゃったね。

北川:
 ずいぶん自分は足りてないなって本当に思いますよね、この歳になって、何か足りてねのに歳ばっかりとっちゃったなあってのはすごい感じますよね。

谷:
 そうだね、でもね、年間を通じて何度かそうやってね、故人を偲ぶっていうようなことはね仏教的にはすごく重要なことらしいですよ。

北川:
 なるほど、そうですね。

谷:
 こないだ法要があったんですよ。その時にお話をしてくれたお坊さんがいうにはね。死んだ魂が何度か裁判を受けるんだってさ。

北川:
 裁判ですか。

谷:
 その裁判を執り行うのが十王と言って、10人の王なんだそう。その中に閻魔大王も入っている。それをね、7日ごとに7回、裁判が行われるんだって、あの世で。すると7日×7回だから49日の間っていうのは、裁判が行われてて、で天国に行くか地獄に行くかみたいな行く末が決まるのだそうだ。

北川:
 はい。

谷:
 それで晴れて、あちらの方に行くことができるんだけど、けどそれだと、7人しか仏様に会ってないなと。あと何人かいるんじゃないか?と。実はこの残りの3人の仏様たちっていうのは、百箇日、一周忌、三回忌、その部分を担当する仏様で、この世に残された側の人たちが故人を偲んで、その人のことをいろいろ語ったり思い出したり、あの時はこうだったよねって言っていくことが、その一つ一つの裁判に当たるらしいんだね。だから残った人たちがその人のために語ってあげることや思い出すことってのはとても重要なことなんだって話を聞かされてね。仏教っていうのは心に刺さるよね(笑)

北川:
 なるほど。

谷:
 ちょっと宗教臭くなってしまうとあれだけど、俺がいつも言ってるように、目に見えるものばかりを信じちゃいけないんですよ。大切なものほど目に見えにくいんですからね、そう常に思っておかないと、目に見えないことをおろそかにしがちということがあるんじゃないかな。

北川:
 目に見えない……。見える見えないと、大事大事じゃないで4つありますね。見える大事なことばかり追いかけてると、見えない大事なことを見落とすよってことですかね。

谷:
 見えてるものだけじゃないんだよ大事なものは、って話ですよね。

北川:
 区別はどこでつけたらいいんだろう。見えないけど大事なものってのはどうやって見つければ。

谷:
 普段は見えてないんだけれども、実は大切だよねって言われることっていうのもあるよねっていう話だね。
 8年前か、うちが100周年をやった時に、「100周年をみんなでやることができました本当に皆さんのおかげですありがとう」っていう内容のメッセージを社員のみんなに送ったわけだよ。ただ100年とか言うけど俺たちがやってんのはたかだか20年だったりするわけじゃない。だから多くの社員にとってはぴんと来ないかもしれない。

北川:
 そうですね、うん。

谷:
 でも100周年ができるっていうのは先人の人たちの努力や汗や涙の結晶なわけだよね。普段はそんなとこって考えもしなきゃ気付きもしないじゃない? 企業は、100年残っているっていうことが大きな信用の裏付けになって、これはすごく大事な、価値あることなんだよね。年がら年中「うちは100年なんで」とは言わないけれど、100周年の話をした時、見えない大事なものってあるよねっていうようなことを、確かあの時の文章に書いてた気がするんだよ。

北川:
 なるほど。気づけることが大事だってことですね。

谷:
 ずっとじゃなくても、何かのときに気付けってことなんですよ。さっきの故人の事もそうですよね。

北川:
 8年前にそういうメッセージを貰った時に「そうだな」って思う人と、「うーん?」っていう人はいたと思うんです。目に見えない価値みたいなものに気づいた人と気づかなかった人の二つにわかれてるわけじゃないすか。何が違うんですかね。気づけるほうがいいですよね。

谷:
 気付けた方がいいよってことでしょうね。気づかないと、気づくまでそれに接することはできないんだよね。

北川:
 そうですよね。あとその時には気づかなくてもあとで、何かの折に気づく人もいるじゃないですか

谷:
 うんうんそうそれはその通りだな。例えば何年後かに、みたいにね。

北川:
 その違いって何なんでしょうね。

谷:
 なんなんだろうね。総会でも喋ってるからね、目に見えにくいものが大切だってことは。それが強運に繋がるというような話で。
 あとさっきあなたの言ったその気づく気づかないっていう話、あれは松下幸之助さんに言わせると、「風の音を聞いても気づくことがあるわな」っていう言葉があるよね。なんで、普段からアンテナを立てておくっていうことがやっぱり大切なんだと思うんだ。いろんなことに対して、高いアンテナを持っておく。普段から一生懸命そういう経営のことだとかいろんなことを感じ取ろうとすることに気持ちをもっていけてると、道端の石ころや風の音を聞いても感じることに、気づくこともあるわなというふうにおっしゃってるわけですね。

北川:
 うんうん。

谷:
 それが、故人を偲ぶってこととかと同じようなアンテナでもいいんじゃないのかな、ってのが今日強く思うところでありますと。

 ……ってあたりで、今日のはちょっと記事にしづらいね(笑)

北川:
 まあ、そうですねw

谷:
 「目に見え難いものほど、大切なんだよ」ってことでいいんじゃないかな?



 私は目に見えて気づいているのに、たくさん取りこぼしがあって、あちこちに迷惑をかけ、信用を失っているのに、どうしたらいいでしょうかね。

 最後に、斉藤康仁氏のご冥福をお祈りいたします。

 今週はこの辺で。
 また次回。

※「KOGADOの冒険ワークショップ」では、ソフトウェア開発部の北川がその時思いついた事柄を駄文にしたためております。取り上げて欲しい事柄などありましたらお気軽にリクエストください。
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