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YOKOHAMA Walker

横浜に降り立つひとりのオタク。
そう、公式の巧妙なる企画に誘われて……

横浜という街を訪れたのは意外にも初めてだった。
行き当たりばったりの旅が好きな私は、当日横浜に向かう新幹線の中にてようやくスタンプラリー設置箇所を把握する。
あらゆる締め切りに追われる中、一泊二日の弾丸旅行をねじ込んだ。こっちはやる事一つ、クリアシート獲得のみだ。


それにしても中華街というのは騒がしい。右から左から客寄せの声と行き交う人並み、青を纏った同志…かく言う私も、引っ提げたお気に入りのトランクケースは青である。

遅めの昼食に、フライヤー配布のお店で炒飯を食べる。そういえば彼も炒飯が好きだと言っていた。このお店なのだろうか?きっとフライヤーを配布しているくらいだから馴染みの店なのだろう。
あの端っこの少し人目が届かない席に座ったかもしれない、そう思うと涙腺が馬鹿になりはじめた。

私らにとって途方もない価値を持つ紙切れを集めるために片っ端から胃袋に詰めてゆく。
炒飯、チョコまん、シュウマイ、ゴマ団子、タピオカ、フカヒレスープ、あんまん、、、おっと関係のないものまで手を出してしまった。食べ歩きというのは、食べながら歩いている訳だから、カロリーの摂取と消費を同時に遂行出来る非常に効率の良い行動であることは自明の理である。

少し早いが宿に荷物を預けてチェックインを済ませる。中華街と書かれた煌びやかな門を出てすぐ、異国情緒溢れる客船風のカプセルホテルを予約していた。
ハレとケが交差する街にぴったりの名前だ。
Twitterで話題になっていただけあり、内装と雰囲気が妙に懐かしいような新しい場所に来たようで楽しい。見下ろすのは中華街へ続く道。
まだ十分に明るい。

海に向かうほど風は強くなり、刺すような冷たさで容赦がない。空がオレンジに染まり始めている。
ベイブリッジを横目に大さん橋へ。歩くほどに髪が乱れた。ハマの夜風に吹かれ、といえば聞こえは良いが実際にはヘアセットの全てを無に返す強風である。これがデートスポットであるならば、容姿云々以上に惚れ込んだ人物と来るべきであろう。あのBLUEにもいくらか人がいた。彼らもこの風に吹かれていたのだ。この場所で聞くドラマトラックは格別だ。

湾岸線の都市計画が上手い街だなぁ等と考えていると月が出ていた。時節柄だろうか、日が沈むのは早くすぐにアウトローな時間が訪れる。

赤レンガに着いた頃にはもう真っ暗で、あぁ月はこんなに綺麗だったかと涙を堪える。銀色の盾のようだ。後で知るが、スノームーンだったそうだ。我ながら良い時を選んで横浜に来たものだ。
ここで吸い込む煙は格別な気がした。持つ指が悴んで冷たい、あと1本、肺には煙、脳にはブルース、きつく痺れる。

急ぎ足でスタンプ設置箇所へ。店舗には特設コーナーとポップアップが展示されており、心躍るばかりだ。多くの人と同じように、稚拙ではあるが言葉を残す。
「地獄へ道連れ」 彼らを喩えるのにこれ以外の言葉を思いつかなかった。王座の先には心中がある気がしてならない。
近辺のコラボ以外のショップでも特集されており、迷わずいくつかレジに持っていく。やれやれ、パンパンのトランクケースで来てしまったのにどうして持って帰ろうか。

急ぎ足に、中華街へ。晩餐は食べ放題と腹に決めていた。生憎酒は飲めないが、それでも十分すぎる程の品揃えだ。パイナップルの入った酢豚をこの地で食べることは、不義だろうか?それでも好きだと心から思った。
満腹の胃袋を抱え、再び煙をあげる。この旅で随分と本数が増えてしまった。誰の影響かと周りに聞かれる度に「オトコのせいだ」と言い続けたが、これは嘘ではない。あの男のために私は喫煙者になり、横浜へ来たのだ。
今日はもう寝てしまおう、夜のハマは胸騒ぎがする。昼間の人たちはどこへ行ってしまったのか。カラスの鳴き声だけが街の支配者であった。朝になればまた違う風景を見せてくれるだろう。面白い街だ。



何故だか名古屋の夢を見て、ふと起き上がると日の出前である。ジャケットの舞台は朝日の中だと誰かが言っていた。次は夜明け前を楽しめる旅にしても良いかもしれない。

朝一番の小籠包も悪くなかったなと思いながら、みなとみらいに足を向ける。この街に来てからたくさんの“青”を見たがカラッと晴れた空を映す深い海も、また魅力的である。
海岸線を少し離れると高級住宅街だ。ここで育まれる暮らしとは程遠い生活をしてきたであろうこの街の王様は、みなとみらいを視界に何を思うのだろうか。

さて、長かった健脚での往来を終え、遂にお目当のものをゲットした。ここから最高の遊びが始まるが、帰る時間も迫っている。彼らのロゴは青によく映えるからもう一度海へ行こう。その前にひとつ寄り道を。
TO DIE FOR を手に入れるのだ。対応してもらったお姉さん曰く、飛ぶように売れ今日も残りわずかであると…初めから買うつもりではいたが、今まで着けたことのないような可愛らしいピンクが少し居心地が悪いような気がする、でも悪くはない。春が待ち遠しくなる。かの曲が唇に乗せられるというのは、想像以上の多幸感でこのまま染まってしまいたいような気にさえなった。

今日の夕焼けは昨日よりも淡く赤かった。再び浜風に吹かれる頃には月が出ていた。“目が合った”と感じた。髑髏の左目に金ピカの月を納める。これはしばらくの宝物になるぞ、と寒さに負けなかった自分を褒めてやりたい。
たった一泊でこれだけ表情豊かな空を見られたのは幸運である。昨夜の月も愛しかったが、今夜の月はまた格別の思慕を煽り、釘付けにし、忠誠を誓わせる。
月がこれほどまでに綺麗に見えるとは知らなかった。全てのノスタルジーをそこに預ける。

ここに来ればまた生きた彼らに会えるのだ。

記憶は過去だけでなく未来にも作用すると、ある作家が曰った。あながち間違いではないのだろう。

そして、惜しみつつも時速300キロでこの地を離れる。帰りたくない、と思える旅が出来たことはなによりの幸せである。少し物足りないくらいで丁度良い、次を望めるからだ。

以上は、横浜旅行記である。街を歩くときのお供は常に3人の声と音楽であった。ここを離れても音楽を聞けばまた横浜にトリップ出来てしまうように。この街で生き抜く人間から紡がれた言葉を忘れぬように。

“横浜”という街を歩いて分かったことがふたつある。

ひとつは、 時間によって風景が大きく変わる街だ ということだ。朝は少し白けた空気が、昼には舞台照明のようにきつい日光が、夜は街ごと海に沈んだような青と黒が。刻一刻と変化し、高層ビルに白く反射する日差しと、それが落とす影の濃さがこの街の二面性をまざまざと見せつける。
人波も然り、昼には掻き分けるほどいた人々が夜にはひっそりとどこかに隠れる。昼間を生きる人は夜にいるべきではないのだろう。須く、夜を歩く人は昼間には生きられない。
善良と無法者が上手く共存している、まさに彼らを象徴する街だ。

もうひとつは、 行き先を見据えなければあっという間に流されてしまう ということだ。
丁度観光地ばかりを歩いたせいもあるが、昼の寄せる人波はまさに、群れである。歩く方向を決めていなければ知らぬ間に流され、目的地に辿り着けない。
裏を返せば、“目的地を決めた者だけが肩で風を切って歩ける街”なのである。
街の支配、麻薬撲滅、軍の復活とそれぞれの行く末を見定めた者が、その歩みの途中で群れの中から互いを引き合わせた。猥雑で雑多で騒然たる港街から今度は中央へ、優勝という目的地めがけて全てをなぎ倒して進むだろう。

これは旅の記録であり、募る思いをしたためたものでもある。ただ、忘れたくない。そのためだけに書き残した。

猛獣がいる。彼は傷だらけの自身をものともしない。

忠臣がいる。彼らは獣を王座に引き摺り上げる。

獣も忠臣の暴力性を信じて託した。

今でも横浜という街が“私”であったと錯覚する瞬間がある。それほどにチームとそのホームが愛しかった。
今度訪れる時は、王の凱旋になっているよう願うばかりだ。