お父さん、お疲れ様。

父が逝去しました

 つい先ほど、父が逝去しました。享年51歳。
 思い返せば、僕が大学3年生の終わりから、社会人3年目の今にかけて、実に4年ほどの闘病生活でした。いつかこの日を迎えるのだろうな、と漠然と感じていましたが、いざその場になってみて、なんとも言えない感覚に襲われています。
 今日は夜通し起きて、ロウソクの番をする形になるので、時間を持て余していることもあり、今こうしてnoteを開いている次第です。
 父が旅立ったタイミングで、自分の中に残ったもの、道中で感じたものは残しておきたいなと思っていたので、この場を借りて、少し自分の中にあるものを残したいなと思います。

この4年間は

 この4年間、しんどいこと、悲しいことももちろん沢山ありましたが、それ以上に気づきや学び、ポジティブな発見も多かったように感じています。以前の僕であれば、この現状を目の前にして世の中への恨みつらみ、自分の出生への不満、他人への嫉妬などネガティブな感情に苛まれていたと思うのですが、この4年間を通して、受け取るもの、見えるものが全くかわったこともあり、そういったネガティブな感情には不思議と襲われてはいません。この変化自体が、父の闘病がもたらしてくれたものでもあるので、この点については父がくれた贈り物と言う他ないと思っています。
 もちろん、とても悲しくはあります。でも、それよりも、自分の人生がこの経験を通して豊かになった確信、これまでの闘病生活でお世話になった数えきれないほどの人への感謝の方が自分の中で上回っているように感じています。
 今は葬儀の手配やその他諸々の作業によって忙殺されているので、そのせい、というのもあるかもしれませんが、苦しかったこの4年間は間違いなく自分の大きな財産となりました。

「何を為したか」より「どう生きたか」

 僕は、父と母以上に尊敬できる人は、この世界にいないと思っています。東京でそれなりの大学に進学できたこともあり、とてつもないビジネスパーソンや、その他常人では達成できないような凄いことをやっている数多の同輩や諸先輩方にお会いする機会をいただけましたが、それでも、僕の中のNo.1は両親です。
 父も母も、親の事情で振り回されたせいで、不遇な人生を送っています。ギャンブルに明け暮れ、DVが日常茶飯事な父親、身勝手な借金(数千万)を子どもに押し付ける父親、そういった環境を言い訳にせず、寡黙に働き続け、自分を育て上げてくれたことには感謝しかありません。
 果たしてどれほどの人間が、父と母を同じ境遇に置かれて同じことができるだろうか、と常々思っています。もちろん、しんどい環境が故に子どもに当たってしまうことがあったり、パチンコにお金使い過ぎてたりと、完ぺきとは言えない部分も多々ありましたが、それを踏まえても、子育てをその出自でやり切った両親を心から尊敬しています。
 一般的には「結婚して子供が独り立ちした」という、ありふれた事象に過ぎないかもしれません。でも、それ以上のものを、僕は父の生き様から受け取ることができました。
 晩年も、非常に父らしいなと感じることが多かったです。
 余命宣告をされた後も、資格の勉強に励み、なんと試験に合格。これまで有資格者がいなかったことで取引できなかった取引先を開拓し、いまでは受注の量も当初の数倍となっているそうです。帰り際も仕事道具を丹念に手入れしてたそうで(トラック運転手だったので、トラック磨いてたらしい)、それが記録された監視カメラの映像を社長が見てたらしく、死ぬまで会社に在籍させていただくことができました。懐の深い社長にも感謝ですし、死を目前としても、やけにならず真面目に生き続けたその在り方にひたすら感銘を受けます。
 看護師さんと話していても、医療関係者の皆様に気を遣って入院生活を送っていたことが伺えましたし、自分の体が限界な状態でも家族のことを気遣ったりと、人として在るべき姿を、その生き様から教えてもらいました。
 亡くなったタイミングも、皆が揃いやすい夜で、本当に最後の最後まで周囲に気を遣ってくれたんだなと思います。本当に最後まで父らしいなと、病室の隅で思わずにはいられませんでした。
 父ほど立派に生きられるかはわかりません。ですが、父のように在りたいなと心から思います。
 確かに、僕の父はニュースに取り上げられるような偉業や、歴史に残るような実績は残していないかもしれません。でも、それ以上に父の生き様が周囲に与えたインパクトは大きかったんじゃないかなと、個人的には思います。
 人として、どう生きるのか、どう生きたいのか。この問いが今の自分の中では非常に重要な問いとして、生涯向き合いたい問いとして残っています。

明日の不確実性

 癌の再発はタイミングによっては余命を宣告されます。僕の父は余命2~3年と宣告されていました。癌の余命は、これまでの数万人の癌患者の統計データから導き出されているものなので、結構正確です。僕の父も実際、余命宣告から2年半で亡くなりました。
 余命宣告を受け入れてから(多分受け入れ切れてはなかったけど)は、「お母さんに恋文書かなきゃな~」とか、「子供とは一回じっくり時間を取って話すんだ」とか色々言ってたらしいのですが、結局全部未達成です。僕が父に対して亡くなる3か月くらい前に手紙を書いたのですが、それに対してのまともな返事ももらってません。これは自分が後悔を残さないために書いたので、大丈夫といえば大丈夫なのですが…。
 僕の父は命の終わるタイミングが、だいたいではありますが、わかっていました。それでも、かなり多くの未達成タスクが残っているように思います。
 医療用麻薬の作用で、段々と会話が難しくなる父と対峙しながら、「今以上に確かなタイミングってないんだな」と痛感しました。明日が今日と同じように健康体で過ごせる保証なんて、どこにもないんだなと。「人間いつ死ぬかわからないし」的な、超絶チープな常套句に対して、体感覚と共に納得感を得た瞬間でもありました。
 そのせいもあってか最近は「いや、今しかないもんな」と、後回しにすることが少なくなったように思います。後悔が残りそうなことは特に。
 父の闘病という経験を経て、今後はよりダイナミックに、パワフルに決断できそうな気がしています。この感覚を得られたことは、非常に大きい財産になったと思います。

これからの楽しみ

 不謹慎ではありますが、父のことが落ち着いて以降のことは少し楽しみでもあります。
 これまでは気持ち的にも、物理的にも、闘病生活にそれなりにキャパを持っていかれていたのですが、それが全開放されるわけなので、僕の持っているエネルギーがかなり大きくなる予感がしています。(闘病生活でエネルギー増えた)
 ここからは自分がエネルギーを向けたいと思ったことに、フルベットしていきたいと思います。この有り余るエネルギーを何かに注ぎ込んだらどうなるのか、自分でも結構楽しみなのです。
 結局、僕が人生をより楽しく生きるための糧になった感覚がめちゃくちゃ大きいので、しっかり悲しんだ後は、バチバチに楽しんでいきたいと思います。
 こんなこと書いてると「もっと悲しめよ!」と父に怒られそうな気がしますが、これはご愛敬で。こっちからしたら「いや、手紙の返事しろよ!」だから!

親孝行のすゝめ

 自分なりに後悔しないようにやってきたつもりではありましたが、ちょっとの後悔も残ってたりします。「親孝行」です。
 誕生日もロクに祝えていなかったり、旅行のプレゼントもできてなかったり、自分の結婚式に招待することもできなかったりと、このあたりのことは父の生前にやっておきたかったな~と思います。
 「もうこれ以上ないでしょ!」って感じの親孝行が人生で一回でもいいからできてれば、もっとパーフェクトだったのかな、と。パチンコ一緒に行ってる場合じゃなかったです。
 
 これを読んで、ちょっとでも気持ちが動いた人には、是非とも両親に感謝の気持ちを伝えてほしいです。親孝行、絶対大事。

お父さん、お疲れ様。

 とにもかくにも、お父さん、色々お疲れさまでした!
 闘病生活、けっこー辛かったと思うので、ゆっくり休んでください。まぁ、天国でも働いてそうな感じするけど。
 最後はご飯食べられなかったと思うので、美味しいもの沢山棺に入れておきます。あと、お母さんと妹がうるさくてコソコソ吸ってたタバコも入れとくね。セブンスターのソフトパックのやつ。
 できれば、パチンコも勝たせてほしいです。この間6万ほど負けました。
 本当にありがとう。だいぶ先になりますが、そっちではあまり一緒に飲むことができなかった、お酒を一緒に飲めればと。積もる話もたくさんあるので、お酒の力を借りて色々と話しましょう。
 それでは、また。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?